本音と建前
議案が増えた独立自由都市フリエンツフルトの議場では、デウチェ連合の東西で同時進行する課題に対処するため、アドラスブルク帝国とプロジャ王国の交渉団が、表面上は協調してことにあたるようになっていた。
東のポリニカ問題では、アドラスブルクとプロジャは独立ポリニカの再建に反対しているわけではない、と、リュースの非妥協的態度が和解の障害になっていることを強調した。
交渉決裂後の蜂起再燃をほのめかすポリニカ民族運動の領袖キャリテルスキ公爵に対しては、アドラスブルクとプロジャの領内で叛乱が再発した場合、提示した譲歩は撤回される、とチラつかせて牽制する。
こちらは交渉条件を出しました、あとはリュースとポリニカしだいですよ、とボールを押しつけたわけだ。
いっぽう、西のスレズヴェルヒ・ヘムシュタイン問題では、デウチェ連合とダンヴィケ王国のあいだの緊張が、時間の経過とともに高まっていた。
ヘムシュタイン議会および、“正当”なるヘムシュタイン公爵ルートヴィヒの要請に応え、サクノスとハルファーデンが合同で12000の兵を動員していた。サクノス、ハルファーデン両王国は、ユテニア半島近くに位置しており、ヘムシュタインに進駐してきたダンヴィケ軍を安全保障の観点から座視できない立場でもある。
ユテニア半島近傍に連合軍を待機させた状態で、デウチェ各邦は、ダンヴィケに対しヘムシュタインからの即時撤兵を要求する声明を採択した。これには、わがアドラスブルク帝国代表である外相イルヒベルクも賛成票を投じている。
ダンヴィケ王にして自称スレズヴェルヒ・ヘムシュタイン両公爵であるハンス二世は、主権の侵害であり侵略準備だと抗議し、国際社会にデウチェの無法を訴えたが、ハンス二世の期待に反して諸外国の動きは鈍かった。
伝統的にダンヴィケと北方同盟を組んでいる、スカーラヴィナ半島のウェルデンの王、グスタフ四世は援軍まで約束していたのだが、デウチェとの本格的な紛争になることを懸念した議会が動員令を否決し、ハンス二世ははしごを外された。
時代は、君主の一存による国政の専断を許さなくなっていたのである。
ハンス二世がアテにしていたもうひとつの勢力である、以前にスレズヴェルヒ・ヘムシュタイン紛争の調停を取り持ったブライトノーツは、プロジャ宰相ディズマールの巧みなレトリックによって介入を封じられていた。
プロジャはルートヴィヒ大公が正当領主だとするデウチェ連合のほかの加盟国とは違い、ハンス二世の継承権そのものに異議は唱えていない。これはスレズヴェルヒとヘムシュタインの地位に関する問題である。
ハンス二世に両公国の継承権があるにしても、その主体性を抹消してダンヴィケと統合する権限はない。デウチェ連合の一員としてのヘムシュタインを保護する限りにおいてのみ、プロジャは行動している。
このディズマールの言いぶんには効き目があった。
ブライトノーツは、以前に自国が取り持った和解案が踏みにじられ、メンツを潰されていることに気がついて、ヘムシュタイン併合を強行しようとしているハンス二世の肩を持つことをやめた。
メロヴィグとリュースは、とにかくポリニカ問題で名声なり実利を得たいので、これ以上プロジャと(そしてアドラスブルクとも)揉める種を増やすつもりがなかった。
外向けには効果的だった、ルートヴィヒ大公によるヘムシュタイン継承を争点から外したディズマールの論法は、むしろデウチェ内で世論の反発を招いていた。
ルートヴィヒ大公にヘムシュタインを継承させ、さらにスレズヴェルヒももぎ取って、デウチェ連合の勢力圏を広める――それが、デウチェ民族主義者たちのもくろみだったのである。
その旗振り役であったはずのディズマールが、急に盟友ルートヴィヒ大公を突き放した。多くのデウチェ人には、そのように見えたわけだ。プロジャ国内からも不満の声があがるほどだった。
わたしにはディズマールの考えがわかる。
彼は民族主義者ではなく、民族主義を利用しているだけだ。スレズヴェルヒ・ヘムシュタインをめぐって、ダンヴィケ民族主義とデウチェ民族主義の相克を演出してみせてはいるが、ブライトノーツやメロヴィグ、リュースに干渉の口実を与えるつもりはない。
あくまでもヘムシュタインの主体性保護と、スレズヴェルヒとダンヴィケの統合に対する異議申し立てを名目に、ハンス二世を国際的に孤立させつつ、圧力をかける。
ハンス二世があきらめれば、あらためてルートヴィヒ大公の継承権を持ち出し、強硬姿勢を崩さないようなら、戦って奪う――どちらに転んでも、責任は相手に転嫁しつつ領土を切り取れる、狡猾な手口だ。
……かくして味方がいなくなり、追い詰められたハンス二世だったが、しかし退くことはなかった。熱意を増すダンヴィケ民族主義の炎に煽られ、王位を継いだばかりで弱腰なところを見せられないハンス二世は、退くに退けなかった、ともいえる。
もはや戦争は不可避、あとはいつ開戦するか、という情勢下で、ディズマールは外相イルヒベルクをつうじて、わがアドラスブルクへ共同出兵を持ちかけてきた。
いわく、ダンヴィケとの全面戦争となれば、サクノス・ハルファーデンの12000の兵では、とうていヘムシュタインの同胞を保護しきることはできないだろう。ほかのデウチェ連合諸邦がいくら兵を出し合っても、ダンヴィケを倒すだけの力はない。
けっきょく、デウチェ連合にはプロジャとオストリヒテにしかまともな軍備はないのだ。協力してヘムシュタインを救い、あわよくばスレズヴェルヒも獲得しようではないか。
プロジャ・アドラスブルクの結束を見せつければ、リュースも背後での策動は慎むであろうし、ポリニカ問題でも妥協が必要だと悟るかもしれない。
……表面上は、デウチェ連合の双璧の一方であるオストリヒテの顔を立て、独断専行をするつもりはない、という体のプロジャからの申し出だったが、実際のところは、フィレン政府が断ってくれれば、これさいわいと独り占めする気満々でいることを隠しもしないメッセージだった。
いまのプロジャにはそれだけの力がある。アドラスブルクを共犯に引き入れようとしているのは、ほかのデウチェ連合メンバーに対するポーズにすぎなかった。
プロジャが、それすなわちディズマールが、ヘムシュタイン、さらにスレズヴェルヒの奪取を謀っていることは、だれの目にも明白だった。にもかかわらず、戦争が目前に迫ったこのタイミングで、ディズマールはルートヴィヒ大公の継承権の擁護をやめた。
もしや、ディズマールはヘムシュタインとスレズヴェルヒを、デウチェ連合としてではなく、プロジャの一部に取り込むつもりなのではないか……? 疑いはじめたデウチェ諸邦へ向け、連合の南北の雄であるオストリヒテとプロジャが、共同でダンヴィケからヘムシュタインを守ろうとしているのだ、という構図をかかげるために、ディズマールはアドラスブルクに接近してきたのである。
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ディズマールの魂胆を、エルディナント陛下は承知していた。わたしにわかるのだから、陛下が気づかないはずもないのだけれど。
フィレンの元老たちは、ようやくプロジャが序列をわきまえた、とおめでたい解釈をして、共闘を受け入れアドラスブルクの存在感をデウチェ連合へしめすべし、と諮問会議として答申している。
もちろん断るという選択肢はない。アドラスブルクが共同出兵を拒否しても、プロジャはサクノスやハルファーデンと手を組んでダンヴィケを倒せるのだ。場合によっては一国でもやるだろう。
そうなれば、ヘムシュタインはルートヴィヒ大公に引き渡されることなくプロジャに併合されてしまうだろうし、スレズヴェルヒもどうなることやら。
したがって、オストリヒテ・アジュール連絡会議の席で話し合われるのは、プロジャの提案を受けるか否かではなく、スレズヴェルヒ・ヘムシュタイン紛争に勝利したのちにどうするべきか、という意見交換だった。
「イルヒベルク外相の報告によりますと、ディズマール宰相は、戦後はヘムシュタインをオストリヒテの委任統治領に、スレズヴェルヒをプロジャの委任統治領とするのが妥当ではないか、と提案してきているとのことであります」
オストリヒテ・アジュール連絡相エクセルハーディ伯が、フリエンツフルトからの電信文を読み上げる。
「ずいぶんと美味い話だな。美味すぎる」
エルディナント陛下の口調には、プロジャの、ディズマールの謀みを露骨に疑う響きがあった。
ヘムシュタインは豊かな土地である上に、住民もほとんどがデウチェ系だ。それに比べると、スレズヴェルヒは北洋方面と大陸をつなぐ導管としての価値はあれど、単独ではとくに旨味のある土地でもない。しかもデウチェに批判的なダンヴィケ人が多く住んでいる。
なぜディズマールは、わざわざヘムシュタインをこちらへ差し出してきたのか。
「誘いに乗ってヘムシュタインを領有すれば、ルートヴィヒ大公の継承権をないがしろにしたのはアドラスブルクということになります。デウチェ世論の批判も、プロジャからアドラスブルクへ向けられるでしょう。ディズマールの考えはわかりやすいように思えますが」
マイラー伯が、デウチェ連合内での嫌われもの役を単独で引き受けたくない、プロジャの妥協ではないか、と述べるも、陛下はあまり納得した様子ではなかった。
「それだけのためにヘムシュタインを譲るのは高くつきすぎる。ポリニカ問題でフォーゼンの南半分しか出そうとしなかった業突張りが、急に気前がよくなりすぎというものだ」
プロジャは、あえて貧しい土地を欲しがっている? 理由があるとしたら……
「……あっ」
会議卓の上に広げられているユテニア半島の地図を眺めていたわたしが、急に声をあげたので、いっせいに視線が集まってきた。
「なにか気がついたのか、セシィ」
「この入り江から、ゼーヘ川と、レステンゼ湖……ですか、これをつなげて、こっちの……エーザー川まで水路を掘削できたら、運河が造れませんか?」
地図をなぞりながらわたしがいうと、エルディナントさまが身を乗り出してきた。
鋭い視線が架空の水路をたどる。
「ここに運河があれば、ユテニア半島を大まわりする時間を短縮できる上に、島と島のあいだが狭く岩礁が多い難所を避けられる。……プロジャが、ヘムシュタインよりスレズヴェルヒを欲しがっている理由はこれか」
「ユテニア半島に運河を造る計画が、プロジャにあるのかは知らないですけれど」
「プロジャは鉄道網をデウチェ連合全域に広めようと、他国に対しても技術供与をしている。陸運と双補完するための海運インフラの整備計画はあるはずだ。……となると、問題はスレズヴェルヒまで手を広げる前にハンスが白旗を上げたらどうするのか、だな」
デウチェ連合が大義名分を持っているのは、ヘムシュタイン公国の保護までなのである。ディズマール自身、ブライトノーツやメロヴィグにはそのように説明している。
ダンヴィケが早期講和を求めて、ヘムシュタインを放棄し、スレズヴェルヒを手元に残そうとしたとき、プロジャはどう動くつもりなのか。
「ヘムシュタインのみの獲得に終わった場合は、ルートヴィヒ大公の継承権を擁護すべきでしょう。ディズマール宰相はプロジャとアドラスブルクでの分割協議を持ちかけてくるかもしれませんが、それには乗らないほうがよろしいかと」
そういったアングレアム伯に対し、陛下は肩をすくめる。
「ことによってはただ働きか。それだと困るな」
「獲得域がどのていどになるかはまだわかりませんが、ダンヴィケの負けはもう決まっているのです。プロジャ単独にゆだねることはできません」
「できれば獲物の大きさの目星をつけてから、丸損をしない範囲で出費を決めたいのだが」
プロジャだけに任せることはできないとわかっているものの、デウチェ連合の西の端まで軍を派遣する費用が脳裏に浮かんでいる様子のエルディナントさまだったが、アングレアム伯の見解はすこし違った。
「弱体な叛乱勢力相手ではない、正面決戦でのプロジャ軍の力を確認する必要があると私は考えています。ポリニカ有事に備えて用意しておいたアジュール軍を出しましょう。うわさによると、プロジャ軍は、バルティア・ロカーナ紛争のときのメロヴィグ軍より、さらに先進的な装備を整えているとか。敵として相見えるのではなく、友軍としてその威力をたしかめることができる機会を、逃すべきではない」
遠からず戦うことになる相手の持ち札を、いまのうちに見ておくべきだ――軍人としてのアングレアム伯の具申に、陛下も帝国の台所事情に頭を悩ます行政府の長ではなく、帝国軍最高司令官の顔になってうなずく。
「フム……首相の言うとおりかもな。エクセルハーディ伯、参謀会議を開く。アジュール首相も出席する、そのつもりでいるようにと各将軍に伝えよ」
「御意」
「アングレアム首相、アジュール軍をユテニア半島まで派遣するのに必要な経費を出してくれるか。請求はフィレンに回してくれ」
「陛下のお心遣い、万謝に堪えません」
「こちらが兵力を借りる立場だ、気にするな」
高級幕僚を招集するためにエクセルハーディ伯がさきに退出し、エルディナント陛下とアングレアム伯も連れ立って小会議室を出る。このまま参謀会議に移るのだろう。
小会議室に残ったのはわたしとマイラー伯。どちらも軍の会議には出席する権利がない。
アジュール宮内卿、つまりビュラの宮宰であるマイラー伯がフィレン皇宮にずっといるのは、じつをいえば変なのだが、首相であるアングレアム伯はあまりフィレンに留まっていられない(当然、ほかのアジュール政府の大臣も)ため、わたしがアジュール王妃として会議に出席するには、形式としてアジュール政府閣僚が必要なので滞在してもらっている。
エルディナントさまやわたしがビュラに滞在しているとき以外は、アジュール宮内卿としては仕事もないので。
「プロジャは、アドラスブルクと戦争になると見越して行動しているのでしょうか?」
以前、プロジャの前王妃でもあるヴィルヘルミーナ伯母さまが言っていたことを思い返しつつ質問してみると、マイラー伯は考えぶかげに口もとに手をやってヒゲをしごいた。
「名実ともにデウチェ連合の首班となる、それがプロジャの目指しているところだとは思います。いまや実力での盟主はプロジャですが、オストリヒテ皇帝の名は、デウチェ君侯のあいだでいまだに大きな存在感を持っている。プロジャは連合の指導者となるだけで満足するのか、それとも、構成各国を解体して単一国家としたいのか、それはまだ私にはわかりませんが」
「デウチェ単一国家ですか……」
果たして、連合の盟主としてのプロジャにしたがうのはともかく、プロジャの王権(あるいは帝権)に服することを、デウチェ諸邦は肯んじるのだろうか。初代バルトポルテによって切りわけられた結果とはいえ、主権国家としての地位をむざむざ放棄できるのか。
……やはりそこで統一を求めるのは、それぞれの国王や公爵ではなく、デウチェ民族主義に湧く大衆ということになりそうだ。
大プロジャ万歳、デウチェ皇帝万歳――その叫びを引き出すために、アドラスブルクを戦争で打ち負かし、旧帝国の無力を全世界に見せつける、それがディズマールの目的なのだとしたら……。




