偽善と欺瞞と
プロジャから秘密裏に打診されたポリニカ譲渡提案は、フィレンのアドラスブルク帝国政府重鎮たちを激怒させた。
猫の額ほどの土地に300万のポリニカ人を詰め込んで、それをアドラスブルクに引き取れとは、あまりにも舐め腐った態度だ、と。
諮問会議は、即座に提案を撥ねつけ、プロジャの傲慢を断固糾弾すべし、と奏上したが、エルディナント陛下は正式裁可のための御前閣議を開かなかった。
元老たちがなにを言おうが、それを黙殺する権利が専制君主にはある。
とはいえ、いつまでも回答を保留しておくことはできない。
閣僚たちを放置したまま、エルディナント陛下は、オストリヒテ・アジュール連絡会議を開くと関係者へ通知なされた。陛下が発起人になるのははじめてだ。
アジュールの首相であるアングレアム伯爵は、火急の事態に備える即応部隊を編成するためビュラへ戻っている。フィレンに残っているアジュール政府関係者は宮内卿マイラー伯だけだ。
いつもの小会議室に、エルディナント陛下と、わたしと、マイラー伯と、エクセルハーディ伯が集まった。
「陛下、アジュールでとくにあたらしい動きはございませんが」
といったのは、オストリヒテ・アジュール連絡相であるエクセルハーディ伯だ。エルディナントさまはあっさりうなずく。
「アジュールの話ではない。目下フリエンツフルトで進行中の、ポリニカ問題調停会議の件だ」
「諮問会議の答申は、陛下へお伝えされているはずでございますが」
「私が意見を聞きたい相手は、帝国大臣ではない。王妃だ」
面倒くさいけれど、これが600年の歳月を閲した帝国の〈形式〉というやつなのである。アドラスブルク帝妃セシーリアに政治的発言権はない。ここにいるのは、アジュール王国の王妃であるセシーリアだ。
これまでのオストリヒテ・アジュール連絡会議でも、アジュールと関係のない話題が出ることはすくなくなかったが、それはあくまで雑談という体裁であった。開催を申請していたのも、アングレアム伯なり、マイラー伯なりの、アジュール王国政府の関係者である。
アドラスブルク皇帝としての陛下が、妃を政治的助言者としてあつかうために、自ら連絡会議を催すというのは、これまでとは一線を画す。
エルディナントさまの言明に、エクセルハーディ伯は反問なく一礼した。陛下とわたしは夫婦なのだから、こっそり話そうと思えばいくらでも……というほどの機会はないけれど、密談自体は不可能ではない。すじはとおす、それが皇帝としてのエルディナントさまの姿勢というわけである。
わたしのほうへ椅子ごと向きを変え、エルディナントさまがあらためて口を開いた。
「王妃、プロジャからわが帝国へ内示された、ポリニカ譲渡案の話は聞いているかい?」
「マイラー伯から資料をいただきました」
正規の手順で交渉団の報告書をもらう前から、フリエンツフルト会議の進展具合は随時チェックしていましたけれども。
「断るしかないが断りにくい、いやらしいやり口だ。なにか、切り返す方法があるといいのだが」
「そうですね……そのままでは受け入れられないけれど、もうすこし条件が整えば、と、先方の本気のほどを測ってみるのがよろしいのではないでしょうか」
わたしのべつだん斬新でもない答えに、
「向こうから断るように仕向けるか。割譲地を増やすように要求でもするかな」
と、エルディナントさまもだれでも思いつきそうなことをおっしゃる。
「いえ、アドラスブルク帝国としては、あくまでもポリニカ独立を基本プランとして堅持すべきです。プロジャが南フォーゼンの放棄に応じるのであれば、こちらは最初の提案どおり、ハーツィアをポリニカへ返還する。されど、ハーツィアと南フォーゼンだけでは手狭であるから……」
「プロジャの責任でリュースを説得しろ、か」
にわかにおもしろげな表情を浮かべた陛下へ、わたしは首を左右に振る。
「いいえ、アドラスブルクとプロジャの連名で、リュースにも賛同を呼びかけます。……もちろん、プロジャがこちらの交渉戦術に乗ってきた場合は、ですけれど」
「セシィ……きみはほんとうに、爆弾の最終処理を他人にやらせるのが上手いな」
悪い顔になって、エルディナントさまはくつくつと笑った。
……あのー、それって、わたしがめちゃくちゃ性格曲がったクソ女だという意味でございましょうか……?
「一度否決されたポリニカ独立の議題を再提起する、王妃陛下の腹案はすばらしいものだと私も考えます。しかしながら、たとえ議案がとおったとしても、リュースもプロジャ同様に、取るに足りない狭い土地しか供出しない可能性が高くはありませんか?」
そういったのはマイラー伯だった。
プロジャが占領地の1/6しか返さないというなら、当然リュースも、それ以上出す義理はないなと考えるだろう。アドラスブルクがハーツィア全域を提供したとしても、かつての三割ほどの領土で独立、となれば新ポリニカはずいぶん人口過密になる。
もっとも、統治下民族のあつかいに露骨な差をつけているリュースからすれば、土地だけではなく領民も手放したくないだろう。そこが、ポリニカ人の独立にはべつに反対しない、としているプロジャと違うところだ。
マイラー伯の疑問には、エルディナント陛下がお答えになった。
「仮にポリニカ独立が実現したとして、人口が過剰となるようなら打つ手はいくらかある。ひとまずは、これでプロジャのつぎの反応を待ってみようじゃないか」
ゼクフィコへ移民としてポリニカ人を送り出す、というアイデアは、まだ陛下とわたししか知らない。ゼクフィコ情勢が不安定なうちは、あまりあちこちに触れまわることではないだろう。
エルディナント陛下は閣議を開かないまま、フリエンツフルトのイルヒベルク外相へ、プロジャ宰相ディズマールの提案に対する回答を指示された。
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アドラスブルクとプロジャによって再提議されたポリニカ独立案だったが、リュースは断固として自腹を切ることを拒否し、またも交渉は暗礁に乗り上げた。
会議開催に先立って合意されていた仮停戦の期限が迫る中、バルトポルテ三世の意を受けてメロヴィグ交渉団は強く停戦延長を主張し、アドラスブルクも賛同する。
リュースは停戦終了と同時に掃討作戦を再開すると公言して、揺さぶってきた。戦う手段に乏しいポリニカと、その後援者であるメロヴィグに圧力をかけて、停戦延長の対価を引き出そうとしたのだ。
ここでプロジャが、一切の妥協を拒むのであれば相互越境協定を破棄する、とリュースへ通告した。
メロヴィグ、アドラスブルク、プロジャの三者は、和解を邪魔しているのはリュースだ、と“悪者づくり”の挙に出たわけである。
おためごかしの飛び交うフリエンツフルトの会議卓を囲んでいる要人の中で、真剣にポリニカ民族の明日のことを考えているのは、キャリテルスキ公爵だけであった。
アドラスブルクはとにかく自領でポリニカ人蜂起が勃発しないようにしたいだけであるし、プロジャはできることなら寸土も割かずにポリニカ人を追い出したいと考えているだけだ。メロヴィグにしろ、バルトポルテ三世がええカッコしいをしたいだけのこと。
領土は手放したくないしポリニカ人から搾取するのもつづけたい、とリュースのみが我欲に正直でいる。
されどここは外交交渉の席。偽善と欺瞞が基本戦術の場であり、本音や率直さは美徳とも上策ともされない。
一両日の交渉と、本国政府への意向うかがい、回答の結果、リュースも渋々ながら停戦延長に合意した。
これで、会議は仕切り直しとなる。
しかし、アドラスブルクとプロジャはもう妥協案を提示しており、これ以上譲る気はない。……じつをいえばアドラスブルクにはポリニカ難民を受け入れる余地があるが、移民計画はまだエルディナントさまとわたしだけの秘密であり、交渉団首席イルヒベルク外相も知らない伏せカードであった。
会議場の外では、リュースが交渉決裂を前提に動き出していた。
相互越境協定が失効してプロジャ国内への越境作戦ができなくなること、今後はプロジャ軍がポリニカ鎮圧に協力しなくなることを見越し、待機中のフュロドフ将軍のもとへ追加兵力を送ったのだ。
つぎの停戦延長交渉に、リュースは同意しないつもりであろう。それに対して、ポリニカは時間をおいても戦力増強ができない。アドラスブルクもプロジャも、さすがにメロヴィグからポリニカへの武器供与まで認めるほどお人好しではなかった。武器を得たエトヴィラがどうなったかは記憶に新しい。
ラベール外相、イルヒベルク外相、ディズマール宰相、キャリテルスキ公爵の四者は、そろってリュース帝国の頑迷固陋な態度を非難したが、単独でのポリニカ制圧を決意した本国政府から指示を受け、ミハイル大公はおざなりに愛想笑いするばかりで、建設的な交渉には応じなくなっていた。
会議の主題が進まなくなったいっぽうで、ディズマール宰相は、キャリテルスキ公爵に対して、プロジャがしめしたポリニカへの「好意」を強調し、このまま停戦期限が切れた場合、対リュースの抵抗運動はともかくとして、プロジャ領内では決して騒動を起こさない旨、ポリニカ国民議会の名において保証せよ、と迫った。
ポリニカ人の権威によってポリニカの民族運動を封じさせようとする、意地悪で効果的な圧力のかけかただ。
キャリテルスキ公爵が同意すれば、リュースの支配下で苦しむ同胞を見捨てるのか、と、民族運動指導部としての国民議会に対する、ポリニカ大衆からの信頼が薄れるだろう。
さりとて拒否したら、鎮圧の大義名分が確保されるだけだ。ポリニカ人が治安を乱すなら、しかるべく対処をする。プロジャはリュースのような民族の弾圧者ではなく、ただ国内の平穏を保つために警察活動をしているだけだ、という建前で、実質はこれまでと変わらずにポリニカ支配を継続できる。
ディズマールの交渉手腕を横目で見たイルヒベルク外相が、アドラスブルク帝国も、ハーツィアでは騒動を起こさせない、とキャリテルスキ公爵から言質を取るべきではないか――と、対ポリニカ交渉の是非をフィレンへ問い合わせてきた。
それとほぼときを同じくして、西のスレズヴェルヒ・ヘムシュタイン両公国から、さらにはるか西、新大陸ゼクフィコからも、あらたなニュースが入ってきた。
近所から(といっても800キロくらい離れているが)の報せは、ヘムシュタイン公国の継承を認められなかったダンヴィケの新王ハンス二世が、スレズヴェルヒ・ヘムシュタインの併合を宣言した、という頭の痛いものだった。
それを受けたスレズヴェルヒ議会は、圧倒的賛成多数でダンヴィケへの帰属を決議し、ヘムシュタイン議会のほうは、非常事態を発令してデウチェ連合へ保護を求めてきた。
一触即発。いつ戦争がはじまってもおかしくない状況だ。
西太洋の向こうゼクフィコからは、首都エル・オーロがメロヴィグ軍によって解放され、メルヒオール殿下とイザベル妃が入城を果たした、と速報がもたらされた。
電信用の西太洋海底ケーブルは、敷設工事が行われては断線に見舞われたり、急速な通信品質の劣化でせっかくの作業成果が水泡に帰すという状況で、まだこの時点では、船便のほかに大陸間交信の手段はない。
つまり、ニュースを乗せた船が海を渡っていた10日間ほどのタイムラグを考えれば、すでに即位式は挙行され、ゼクフィコ皇帝メルヒオール陛下と、帝妃イザベラ陛下(イザベラ妃は夫とともに自らも戴冠したはず)が誕生しているということである。
地球史より1年先行して、皇弟殿下が皇帝陛下にアップグレードされました。この1年間のアドバンテージで、果たして四面楚歌からの全部詰み状態を打開することはできるでしょうか……




