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時代の終幕(下)


 わたしに人生最大の秘密を打ち明けたのがきっかけであったかのように、ゾラさまの病状は急速に進行した。


 侍医長ヘイレから、ほどなく明瞭な意識を保っていることが困難になるだろうと告げられ、人生の幕を引くときがきたと悟ったゾラさまは、一族のみなを呼び集めるよう指示をされる。


 わたしたち皇帝一家のほかに、フィレンの内外から、夫君であるマティアス殿下をはじめとする各オストリヒテ大公とそのご家族、プリグからはハインリヒ上皇さまもいらっしゃり、当然ながら、トライエットから皇弟メルヒオール殿下とマクシミリアン皇子、イザベラ皇女も駆けつけた。


 感染のリスクをすこしでも下げるため、太后さまとアドラスブルク一族の最期のお別れは、ひとりずつ短時間に限られた。

 ゾラさまご自身の意向により、末期の接吻もなしの、残される者たちにとってはさみしさの残る最期の対面となった。


 先帝ハインリヒ陛下在位のころは公然と、現帝エルディナント陛下の代になってからも、アドラスブルク帝国の影の柱でありつづけた太后さまは、一族の面々ひとりひとりにお言葉をかけられたのち、フィレン大主教より末期の告解と塗油からなる最期の秘蹟を受け、夜更けすぎに神の御元へ旅立たれた。


    +++++


 太后殿下薨去――


 その報せはすぐにフィレン市内に広まり、深夜であったにもかかわらず、皇宮の前庭には喪服をまとった人々がぞくぞくと集まってきた。


 バルコニーに立って、義母がフィレン市民から勝ち得ていた尊敬の大きさをあらためて感じていると、エルディナントさまが五ヶ月ぶりにわたしのかたわらへと歩み寄っていらした。

 ゾラさまのお世話をしているあいだ、わたしは家族と直接会わないようにしていたのだけれど、太后さま臨終の枕元に皇族全員が顔を出したので、もうリスクに大差はないと、侍医長ヘイレがわたしの隔離を解除したのである。


 太后さまの冥福を祈る人々を眼下に見ながら、陛下は独り言のように口を開かれた。


「母は、今後セシィの助言を一番に聞けと言っていた。セシィにはなにを?」

「生きろ、とおっしゃってくださいました。王朝のためではなく、夫婦として、ふたりで」


 ひとりの人間である前に、神より人民の統治を委ねられし皇帝であれ――それが、これまで歴代のアドラスブルク家当主が教え込まれてきた自己規定だった。


 ゾラさまは外から嫁入りしてきたひとだけれど、女帝メレナ・テレーゼを模範とし、当時宮廷の中で失われかけていた神聖帝国(ハイリジェス・ライヒ)の誇りと規律を取り戻して、アドラスブルクを瓦解の瀬戸際から救った。

 そして愛息エルディナントさまへ、皇帝かくあるべしという心得を伝えたのである。


 わたしは太后(ゾラ)さまに、アドラスブルク帝国解体の意図を告白した。それに対して、お義母さまは「もうわたくしに指図できることはない」と応じてくださった。


 託された……そう受け取っても、思い上がりではないはず。


「セシィ、きみはオストリヒテ=アジュール二重帝国の生みの親であり、その国体を守るためにこれまで何度も大きな働きをしてくれた。きみの功績を認めて、母はあとを任せてくれたということではないのかい?」


 宮殿前庭の人々からわたしのほうへ目を移してそういったエルディナントさまの言葉には、帝妃としてのわたしは太后さま同様、アドラスブルク家のために尽くしてくれていただろう、という響きがあった。


 表面上はそのように見えていたかもしれないけれど、わたしの動機はまったく違っていた。そして、ゾラさまはそのことを見抜いている、数すくない例外であった。


「陛下……いえ、エル、わたしは最初から、あなたと子供たちのことしか考えていなかったんです。アドラスブルク帝国の利益になっていたのは、単なる結果論でしかありません。だからお義母さまは、ずっとわたしのことを本心から信用してはくださらなかった」

「そうだとしたら、私に『今後はセシィの助言を一番に聞け』とは言い遺さないだろう」


 お母上と嫁のわたしのあいだに、そこまでの軋轢がわだかまっていたと思っていなかったエルは、怪訝げな顔になる。

 わたし自身、義母が心を開いてくれて、わたしのやりかたを肯定してくれると期待して、最期の日々の看病をしていたわけではない。


「お義母さまは、マティアス殿下とのあいだに真の愛を築けなかった。その代わりに、アドラスブルク家そのものを慈しみ育むことで、結婚から得られなかった充足を手に入れようとなさった。息子であるエル、あなたが愛のある家庭に恵まれたのを見てきて、やっと肩の荷がおりた。……たぶん、そういうことだと思います」


 ゾラさまとシャール・バルトポルテとの関係に触れないようにすると、こう言うほかなかった。


 末期の告解で、ゾラさまは大主教猊下にシャールとの愛を白状したのかどうか。……なんとなくだけれど、大主教には明かしていないような気がした。太后さまなら、自分の罪は神の御前で直接話しそうだ。

 お義母さまとわたしだけの秘密として、今後も口にするべきではないだろう。


 ご両親のあいだのすきま風は、エルも重々察してきたことだ。すこし考えぶかげな表情になって、こういう。


「……母がもし結婚から充分な愛を感じていたら、この国はもう帝国ではなくなっていたかもしれないと?」

「それはわかりません。諸民族の調停者としてのアドラスブルク皇帝の存在は、確実に多くの人々から求められていました。ただ……革命騒ぎのときに、ゾラさまの愛が帝国ではなく家庭へ向いていたら、武力による鎮圧ではなく、亡命を選択された可能性はあったかもしれません」


 その場合でも、相争う諸民族はいずれ闘いに倦み、統合の象徴としてアドラスブルク家の再登場を望んだとは思う。おそらくは、いまのプロジャに近い連邦制の国になっていたのではあるまいか。


 わたしが仮定の過去について語るのを聞いて、エルにかすかな皮肉を帯びた笑みが浮かんだ。

 どうしてそんな顔をするのかとわたしが内心で小首をかしげると、たくましい腕が伸びてきてわたしの肩を抱く。


「親不孝な話だが、私としては父母が不仲だったことに感謝すべきらしいな。強大なるアドラスブルク帝国が維持されていなかったら、ヴァリアシュテルン公爵の娘との婚約はなく、彼女の妹であるセシィと私が出逢うこともなかったわけだ」

「もしアドラスブルク家が皇帝の椅子を放棄していたら、ヴァリアシュテルン一番の華であるシャルロッテはほかの王家へ嫁いでいて、出来の悪いセシーリアが最初からあてがわれていたかもしれませんよ」


 たしかにいまのわたしはしあわせだけれど、それがゾラさまのふしあわせを絶対の前提条件としていた、という運命論はあまり考えたくなかった。

 最後にわかりあえたとはいえ、姑の仕打ちはなかなかしんどかったのだから。義母のしあわせを吸い取ってしまった嫁として、やられて当然のことだった、とまではさすがに思えない。


 if(もしも)があるなら、しあわせな夫婦のゾラさまとマティアスさまの息子である、皇帝ではないエルの妻として、ヴァリアシュテルン公爵不肖の娘セシーリアが嫁いでいた――そんなていどの展開であってほしい。


 フィレンかミューゼンで、()()皇太子と自分が、庶民的な生活をしている――そんな空想をしていたら、わたしを抱くエルの腕に力がこもった。


「いまの私にとって確実なことは、セシィ、きみがここにいるということだけだ。愛しているよ、セシィ」


 暮らしているのが皇宮であっても街中のアパルトメントであっても、人生の伴侶への愛に変わりはない。それはもちろん、わたしも同様だ。


「わたしもです。エル、愛してる」


     〜〜〜〜〜


 翌日の午前中には、オストリヒテ太后ゾラの訃報に対する各国からの弔意が伝えられ、国葬の日取りも定まった。


 古き良き君主制(あくまでも王侯がわからの目線だが)の最後の象徴であった太后さまの薨去以降、アドラスブルク帝国の絶対主義はじょじょに退潮してゆく。


 それでも国家体制というものの生命力は人間よりもずっと強いもので、わたしがエルディナント陛下に退位をお勧めして、彼がうなずくまでには、さらに20年ほどの歳月が必要であった。


 エルディナントさまの退位をもってアドラスブルク帝国が終焉を迎えたわけではなく、オストリヒテ=アジュール同君連合こそ解消されたものの、わたしたちの長女であるゾラ(ヨーゼフは身分違いの女性と結婚し、アドラスブルク家法に則り継承権を放棄していた)が女帝として登極し、アジュール王位にはラースローネが就き、ベミエン・ハーツィア大公としてヴェンツェルが居城をプリグに定めて、半連邦化された各州がアドラスブルク家によって治められる体制は、なおもつづいていくのだけれど……。


 世紀が変わるころには、経済成長にともなう教育の普及で各民族の自意識が高まり、アドラスブルク家はデウチェ人による間接支配(各地に経済成長をもたらし、教育を普及させたのもデウチェ人なのだが)を幇助する存在であると、恣意的な事実歪曲によって敵視されるようになってしまう。


 わたしは義母へ誓ったとおり、夫と子供たちは守れたけれど、孫夫婦がテロの犠牲者として人身御供にされるのを防ぐことはかなわなかった。


 セラデア人革命家カルロ=プッチによる、皇太子フェリクスとその妻ゾラ(偉大なる太后の名は、曾孫の世代まで帝国の大貴族の娘によく与えられていた)の暗殺が導火線となり、それまで各地で積み上がっていた対立の芽が一挙に爆発して、大戦へといたる。


 リュース・メロヴィグ協約とプロジャ・オストリヒテ同盟を対立軸とする戦争は、西方圏(オチデント)のほとんどすべての国、さらには新大陸のステイツをも巻き込み、三年間に渡って人類史上最大の惨禍を引き起こしてしまう……それは、()()()も知ってのとおりのこと。


 ……急に話が早まわしになって、おどろかれたかもしれませんね。近いうちに直接お会いできるわけですから、残りはその席でお話ししましょう。



唐突な打ち切り超展開と思われたかもしれませんが、実は予定どおりだったり(ストーリー展開としてはともかく、文字数は当初想定からかなり超過しましたが)します。

これまでずっと固定一人称で記述してきた理由でもあります。

いままでのお話が、セシーリアからだれに向けて語られていたのか……それは次回。

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