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時代の終幕(上)


 フゼッペとの交渉を終え、フィレンへ帰る途中だったわたしたちの乗る列車がフリエンツフルトの駅に到着したところで、思いもよらないニュースが飛び込んできた。電信によって臨時ニュースは三時間で西方(オチデント)全土に広まるけれど、走行中の汽車に速報を伝える技術はまだないのだ。


 帝都フィレンからもたらされた急報の内容は――


『太后殿下ご不予』


 フリエンツフルトで一泊の予定は急遽キャンセルされ、石炭と水を補給したプリンツ・ヨーゼフ号は夜を徹してプロジャ帝国領内を東へ東へと走った。

 いくら高級な御用客車とはいっても、大砲王から贈ってもらったばかりの最新型でなければ、揺れと騒音でとてもじゃないけれど休みなしで乗ってはいられなかっただろう。


 日が昇ればさすがに一般の旅客列車も走りはじめる。事情を知った地元の鉄道運行業者がダイヤを融通してくれたけれど、単線区間ではどうしても反対方面へ向かう列車の通過待ちをしなければならない。それでも、一台の機関車によるデウチェ東西横断の最短記録を作ったのではなかろうか。


 アドラスブルク領内に入ってからは通常列車の運行はすべて停止されており、退避待ちなしでひた走る。


 フィレンの駅には当然ながら迎えの馬車がきており、ホームから駅舎前の車止めまでの構内コンコースから一般客は締め出されていた。わたしたち帝室一行と入れ替わりに、運行再開される汽車に乗るべく、多くの人々が駅構内へと向かうのが見えた。


 待たされていたにもかかわらず、


「神のご加護を」

「太后さまのご無事をお祈りしています」


 など、気遣いの声をかけてくれた人たちもすくなくなかった。

 この忙しいときに迷惑なんだよ!と舌打ちされてもしかたないところで、帝都の人々の優しさをありがたいと思うとともに、ゾラさまの存在の大きさをいまさらながらあらためて感じる。


 宮殿の前庭にも、国母であるゾラさまのご病気を聞いて、祈りを捧げるために訪れている市民の姿があった。


 すぐにお見舞いへ向かおうとしたわたしたちを、太后さまの寝室前で侍医長ヘイレがさえぎった。


「太后殿下には、感染力の高い疾病を患っておられる可能性がございます。お気がかりとは存じますが、なにとぞ、直接のご面会はおひかえいただきますよう」

「病に苦しむ母に会うなというのか」


 息子としての顔で医者の無思慮を難じるエルディナントさまに対し、ヘイレは鉄面皮でうなずく。


「あなたさまは皇帝陛下であらせられるゆえ、なおさらお止めせねばなりません」

「そこまで危険な病気だというの?」


 横からわたしが問うと、オストリヒテ医学界の重鎮はやや気鬱げな表情でうつむいた。


「間違いであればよいと、私自身思っておりますが」

「まさか……肺病……」


 ヘイレは苦渋の面相のまま、否定しない。


「そんな……いや、母はこの数日、どれだけの人間と会っている?」


 お母上の心配と同時に、肺病の危険性に思い至った陛下はヘイレへ質し、近代疫学の泰斗でもある侍医長はすぐに応じた。


「カール大公、ブレナー大臣ら、太后殿下と直近で同室されたかたがたには、当面のあいだ公務および会合への出席をひかえ、定期検診を受けていただくよう連絡ずみです。皇女ゾラさまもふくまれます」


 肺病の原因となる結核菌がプロジャの微生物学者コルホによって特定されるのは、このあと数年たってからだ。ただし、メロヴィグのパルストーレの発見により、病気を引き起こすのは瘴気や邪眼ではなく、目に見えないほどちいさな生物だというところまでは突き止められている。


「……そうか。しばらく経過を見よう。侍医長、母を頼む」

「御意に」


 長旅の疲れもあるだろう、エルディナントさまはそれ以上問答されることはなく、お部屋へお戻りになった。

 わたしも汽車の中で寝れなかったのでさすがに眠い。テレーゼたち三人はあの騒音と振動の中でもひと眠りしていたので、比較的元気だ。


 直接会えないならお見舞いのお手紙を書くから持っていって、とラースローネがヘイレを呼び止め、お祖母ちゃん宛ての便りをしたためはじめた。

 テレーゼもいっしょに、ヨーゼフはお義理といった感じでペンを走らせる。


 わたしもなにか書いたほうがいいかな……と思いつつ、もう限界なので侍女に子供たちをまかせて引っ込むことにした。


 肺病は感染力の高い恐ろしい病気だが、潜伏期間が長く、罹ったからといってすぐに症状が出るとは限らない、と聞いたことがある。


 ゾラさまが肺病の原因菌(この時点の人類はその姿を知らない)に曝露される機会があったとしたら、それは40年ほども以前、病に伏せるシャール・バルトポルテの介抱をしていたときのことなのだろうか……


    +++++


 二週間もすれば、単なる風邪と悪性の病気の区別はつくようになる。

 ところがゾラさまの症状はよくならず、本当に肺病なのかどうかはともかく、すくなくともありふれた風邪ではないということがはっきりしてきた。


 ヘイレ指揮下の医者や看護婦が増え、これまで太后殿下の身のまわりのお世話をしていた侍女には暇が出される。

 国母の侍女となれば卑しい身の上ではない、みな貴族の家柄だ。そうした女性たちが遠ざけられるということは……。


 わたしはヘイレにいくつか質問をし、その答えを聞いた上で自分の判断で義母の寝室へと入った。


「……セシィ、話は聞いているでしょう。なぜきたの」

「お義母さまをこれ以上放ってはいられません。ご心配なさらずとも、しばらく陛下や子供たちとは顔を合わせないようにします」


 肺病は、軍隊、あるいは工場労働者のような、職場でも寮宿舎でも密集している人たちの中で流行しやすい。

 原因菌が特定されていないのでまだ仮説の段階だが、無症状者からは伝染しないという点で、ほかの多くの流行感染症とは異なるのではないか、というのがヘイレの見解だった。


 もちろん、むやみにリスクを増やすつもりはないので、エルディナントさまや子供たちとしばらく会わないようにするというのは本当だけれど。


「……ゾラはだいじょうぶだった?」

「元気にしています。もう二、三日様子をみて、咳や発熱がなければ隔離を解除して問題なかろうというのが侍医長の所見だそうです」

「それなら、いいけれど。たまたまだけれど、咳が出はじめてからヴェンツェルのそばに行く機会がなくて、ほんとうによかったわ」


 そういうゾラさまのお顔は、孫を溺愛するお祖母ちゃん以外のなにものでもなかった。たしかに万全の状態のときに比べて声が細いものの、重病には見えない。


「侍医長は念には念を入れていますけれど、大したことはありませんよ。早くお元気になってくださいね、お義母さま」


 悪い予感というのは、口にしなければ忍び寄ってこないもの。わたしは極力楽観的に義母へ話しかけたのだったけれど、ゾラさまは神の声を聞いたかのごとく、透徹とした眼になってこうおっしゃった。


「わたくしの罪が清算される日は近いわ。それはわかっています。エクセルハーディ伯爵夫人たちを遠ざけるように侍医長へ指示したのは、わたくしですから」

「お義母さま……」


    +++++


 ゾラさまの予言は当たった。


 軽かった咳はじょじょに激しくなり、血痰が出るにいたって、最悪の予想が現実となった。


 冬のフィレンの寒さがさらに病状を悪化させてしまうと、エルディナント陛下は南部への転地療法を提案し、侍医長ヘイレも賛同したけれど、ゾラさまはうなずかれなかった。


 ひとつゾラさまがご希望されたのは、部屋を移ること。


 かつてシャール・バルトポルテが療養していた、皇宮の中でもうら寂しいすみっこの寝室。

 たしかに安静にするには向いているし、人の出入りが管理しやすくて、感染拡大防止にも適した部屋だけれど。


 死と向き合うと心に決めてからのゾラさまは、穏やかに、しかし毎日着実に衰えていった。


 あまり苦痛はないようで、それがせめてもの慰めだった。


 万一にも感染するようなことがあってはならないと、ヘイレも、そしてゾラさま自身も固く面会を禁じ、エルディナントさまと子供たちは太后さまとお手紙のやり取りをするにとどまっていた。


 そんな中で、わたしは短時間ながら、一日に一回義母のもとへお見舞いに通っていた。ゾラさまも強く拒絶はなさらず、わたしの介助を受け入れてくださった。


 嫁だったらべつに肺病が感染(うつ)ってもいいか、とゾラさまが軽んじていたからではない……と思う。

 わたしは義母の最期の日々にできるだけ寄り添っていたいと思ったし、ゾラさまも、家族のだれかひとりはそばにいてほしいと感じたのだろう。


 ……真冬の寒気がわずかにゆるみ、春の気配がかすかに漂ううららかな陽差しの午後に、わたしは意を決して義母へ問いかけた。


「ゾラさま……あなたは、シャール・バルトポルテを愛していたのですか?」


 ひだまりで羽毛を膨らませている小鳥を眺めていたゾラさまは、中庭に面した窓から、わたしのほうへ首をめぐらせる。


 その眼は、語るべきときがくるのを待っていた、と告げているようにわたしには思えた。


「わたくしはアドラスブルク家そのものと結婚したのです。あのときシャールを愛したことをいまさら否定しようとは思いませんが、ボルヴァナトの系譜に帝国を譲るつもりなどありませんでしたよ。ボルヴァナティズムに与したことなど、一度たりとて」


 身の潔白の主張ではなかった。むしろ、不貞の告白というべきだろうか。もしかしたら、エルディナントさまの弟ぎみであるメルヒオール殿下は、ほんとうにシャール・バルトポルテの子なのかもしれない。


 といっても、わたしは義母を責めようとは思えなかった。


 わたしはわたしで、太后さまに自分の罪を告げるつもりで切り出したのだから。


「あなたは、ひとではなく王朝に尽くすことでこの皇宮の冷たさに耐えてきたのですね。わたしは……エルディナントさまのためなら、このアドラスブルク帝国を壊してでも彼を守ります」

「おまえがそういう女だということは、最初からわかっていました。……羨ましかった、妬ましかった、ひとりの人間を躊躇なく愛することのできるおまえが」

「ゾラさま……」


 自分は享受しえなかったものを持っている女……義母にとってわたしは、疎ましい嫁だったわけだ。


 時代のめぐり合わせに恵まれただけの嫁をずるいと思う姑の(かお)から、母親としての眼になって、ゾラさまは言葉をつづける。


「でも、エルディナントが愛で伴侶を選ぶことができたのは、喜ばしかった。おまえたち夫婦は、わたくしたちとは違った」

「ごめんなさいお義母さま……わたしは、あなたの守ってきたものを、おしまいにするでしょう」

「たとえ王朝の終焉が断頭台の刃によって降りることになろうとも、ひざを屈してなるものか……わたくしはそう思っていた」

「自ら招いた失政、悪政の結果であるならともかく、王朝の血筋の子である、というだけで断罪されるいわれはない、わたしはそう思います」


 王侯貴族による政治は遠からず崩壊する。階級制度廃止と政治参加を求める民衆の熱が革命にいたる前に、わたしはこの帝国をたたむつもりでいるけれど、仮に間に合わなかったとしても、これまでのアドラスブルクの業の清算を、エルや子供たちに問うことは許さない。


 ……100年200年前の話ではなく、ここ最近のベミエン自治権獲得の妨害や、国内インフラの外国資本への売り渡しについてであったら、わたしがやりましたすみません、としか答えようがないけれども。


 ゾラさまの胸中にあるのは、時代の変わり目がやってきたことに対する諦観だろうか。わたしへの全幅の信頼ではない。それでも、わたしのやりかたを許容する、と言ってくれた。


「もう、わたくしに指図できることはない。あなたは生きなさい、エルディナントとともに。……あの子を、頼むわよ」

「はい、お義母さま。エルディナントさまと子供たちは、わたしがかならず守ります」


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