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跡に残るは雪ばかり。  作者: 朝日 橋立
第一章 初めの不幸について
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第七話 汚れた幸福論です。

 部屋の中が徐々に明るくなっていき、帝都ランダインでの二日目が始まりました。

 今回の帝都での滞在は、実を言うと三日間です。ですから、明日が故郷の村に帰る日です。明日の夜に出る寝台車に乗って、行きと同じく三日ほど鉄道に乗り、そこから一日ほど馬車に揺られます。

 これでこの旅は行きに四日、滞在で三日、帰りに四日の計十一日の長い旅になりました。


 さて、二日目の昼間は昨日と同じく、街中を見て回りました。

 やはりこの街は凄い物でした。

 昨日と同じく人は多く、様々な現代的な建物が並びます。

 その配列を見ていると、何だか故郷のあの黄金色の波を作った麦畑や、家の直ぐ裏にあった山の深緑を思い出します。


 このランダインの街にもその懐かしい情景が見られるのでは、と思いはしましたが中々ありませんでした。

 時折街路樹がありましたが、その姿は酷く弱々しく、凄く惨めに思えました。何だかそこらに生えてる忌まわしい雑草ですら、可哀想に思えたのを覚えています。


「自然が見れるところはないの?」と、その憐れさが恐ろしく思え、チャールズ男爵に声をかけます。

「自然かい? ……すまない、たぶんないだろう。でも、植物園はあるけど行くかい?」と、彼はちょっと驚いた様子でした。

 少し残念には思いましたが、ないのでしたら仕方がないでしょう。

「ううん、行かない」と、彼に返答をして更に街を見て回りました。



 ところで、この旅の初めに私は「美味しいご飯が食べたい」とチャールズ男爵に話しました。

 この旅の主目的の一つは、この日の夕飯によって達成されることになります。

 この日の夕飯は、隣国、といってもこのグラテン帝国は島国でありまして、海峡を挟んだ大陸にある便宜上の隣国のご飯を食べました。

 その料理は美味しいものでした。しかし、それ以上の感想もありません。


 その時の瞬間的な感想として、確かに美味しい物でした。

 けれど、料理を食べながら私は、全くもって別のことを考えていました。ですから、その時の記憶も曖昧模糊とでありますし、それ以上の感想も抱けなかったに違いありません。


 では、私が何を考えていたのか、と考えてみればこちらは簡単に思い出すことが出来ました。

 あの時の私は、強く故郷の村のことを考えていました。

 昼頃、自然の淘汰されたランダインの街並みを見ている内に、私にある懐郷の心が蓄積されていったのでしょう。

 温柔な日の光に、豊かな、青臭いとすら言える緑の香り。それらを求める感情を抱くのは、順当な結果だったと思います。


 この街は確かに、素晴らしい物です。

 軒を連ねる建物達の高さは壮観です。町人の活気も故郷とは別種であり、それはそれで良い物です。それに、チャールズ男爵も優しくて良い方です。

 なのに望郷を抱いてしまったのは、きっと私が我儘だったからでしょう。



 さて、夕食のあとはお風呂に入り、チャールズ男爵と勉強をしました。

 具体的な内容としては、文字の読み方を教えて貰い、息抜きにチェスをしました。

 後者のチェスは未だに理解が出来そうにありませんでしたが、前者の文字の読み方は少しずつ理解が出来ているように思えました。

 元々教会で少し教えて貰っていたのが、功を奏したのでしょう。

 少し読みや書きに不安がありますが、とても楽しかったのを覚えています。


 この時にはきっと懐郷を忘れ、ただ夢中でした。

 自身の芯のなさと言いましょうか、そういった物を感じてしまいます。

 しかし、その不甲斐ない私ですから、幸福を噛みしめることが出来たのでしょう。


 楽観や短絡的思考によって、自身の幸福を一時的享楽に結びつけられたのです。

 その幸福の不確定さ、曖昧さを見ずに済んだ。いや、見ることさえ思考の範疇になかったのです。思えば、これが私の幸福の証明だったのでしょう。

 逆に自分の幸福を猜疑し、そのあり方を考え「幸福」と定義した時点で、()()ではないことの証左となるのでしょう。……何とも馬鹿らしい理論です。たぶんこれもふざけた、そして酷く歪んだ幸福論に違いがありません。


 ……私はその時、頑張って文字を読んでいました。

 しかし、どうも単語の意味が分からず、徐々に飽きが来ていました。

 その様子に気付いたのか、チャールズ男爵は私に声をかけます。

「息抜きにチェスでもやるかい?」

「いや。分からないもん」

「そうか……」


 その切なげな呟きに、少々申し訳なくなりました。

 けれども、私がチェスをやりたくないのは、駒の移動を完全に覚えることが出来なかったこともそうですが、主にお情けで勝たせて貰っているのが嫌だったからです。


 というのも今の戦績は、八回ほど行っているのですが、その内私が勝ったのは六回です。この戦績ならば、どれほど鈍感な人でも気付くことでしょう。チャールズ男爵がわざと負けているのだと。

 最初の頃は、その接待に気付くこともなく勝った勝ったと、純粋に喜びました。ですが、その勝ちが何度も続けばそれが、ビギナーズラックやラッキーパンチに属さない物だと気付きます。


 私よりも長いことチェスをしている彼が、真面目にやれば絶対に勝てないことは分かっています。

 しかし、こちらを気遣って手を抜いているのが、少々不満だったのです。

 思えば、きっとこの感情は焦りだったのでしょう。まるで端からお前には期待していない、と言われているようなどうしようもないものです。


「それじゃあ、ナニカ他の息抜きをしようか」と、チャールズ男爵は考え始めました。

 その姿を見て、一つ妙案が思いつき、彼に言います。

「やっぱりチェスで良い。でも、その代わり真面目にやって」


「本当に良いのかい?」と、彼はチェスをやることか、それとも真面目にやることかどちらかは分かりませんが、こちらに確認をしてきます。

「うん、良いよ」と、一度言ったことを撤回するのもどうかと思いますし、そもそも撤回のつもりもないので応えました。


 結果としては、三戦三敗と散々な物でした。

 凄く悔しくて、もっと出来たはずだとも思いました。

 しかし、大変に楽しい物でした。もっと練習して、彼をあっと言わせたいと思いました。

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