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跡に残るは雪ばかり。  作者: 朝日 橋立
第一章 初めの不幸について
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第六話 幸福はあとに気付くものです。

 昨夜帝都に到着し、チャールズ男爵の屋敷で夜を明かしました。そして本日を迎えました。

 空は晴天とは言えないものの、雲がたくさん浮いています。

 そして、昨日は気付かなかったのですが、喉に大きな違和感を覚えます。思い至る理由としては、空気がミンチェスター以上に汚いからでしょう。


 この帝都、名前をランダインと言います。この街は世界でも有数の発展した町でしょう。そして、同時に世界でも有数の汚染された街とも言えます。

 工場から常に黒い、絶対に体内に入れてはいけないであろう煙が出て、川は何故か真っ黒に染まり、油膜が張っています。

 恐ろしいことに、私はこの街で快晴を見たことは一度としてありませんでした。


 ……さて、帝都ランダインでの一日目についてです。

 この日、朝食の場にてチャールズ男爵に言いました。

「街を観光してみたい」

 すると、彼は少々迷いながらも言いました。

「嗚呼、そうしようか。何処か行ってみたい所はあるかい?」


 私は少々悩み、行きたい場所もないので言います。

「ないから、街中を色々みたい」

「嗚呼、そうしようか」とチャールズ男爵は微笑みながら言いました。

 そして朝食を食べた後街に繰り出しことが決まり、適当に街を歩いくことになったのです。


 街中を見た感想としては、たった一つでしょう。大変な活気に溢れていました。

 大路には馬車鉄道が走り、辺りでは様々人が居ます。

 和気藹々と談笑をして居る人も居れば、きっと労働をして居るのでしょう、真剣な表情をして居る人など数えれば切りがありません。


 しかし、様々な人があり、物があるのですから、その分臭いが混ざってしまいます。端的に言うならば、私は街に繰り出してから一時間ほどで体調を崩しました。

 まず田舎者が大都会に繰り出すこと、それ自体が無謀だったのでしょう。それも世界有数の街なのですから人にも酔いますし、都会特有の物、例えば馬車鉄道などからは大変な臭気が立ち込めています。

 慣れていない人間が、体調を崩さないはずがなかったのでしょう。


「大丈夫かい?」と、チャールズ男爵はこちらを心配して声をかけてきます。

 多々朧ではありますが、その後は肯定をして、彼の提案により喫茶店に連れて行って貰いました。


 その喫茶店は大変雰囲気の良い店でした。

 珈琲と煙草の香りが染みついており、心地良いとは言えずとも落ち着けました。


「何か飲みたい物はあるかい」と、初めての喫茶店が興味深く、辺りを見渡す私にチャールズ男爵が問いかけてきます。

 しかし、何が美味しいのか分からず、彼に問いかけます。

「何がお勧め?」

「そうだな……珈琲なんてどうだろう。なかなか美味しいぞ」と、彼は悩みつつ答えました。


 はて珈琲か、と悩んだのを覚えています。

 当時私は珈琲を飲んだことがなく、異国情緒を感じる独特な飲み物だと人伝で聞いた程度でした。

 しかし実際に飲んだ経験のある人は、身近に殆ど居ませんでした。今は分かりませんが、当時はそこまで珈琲が流通していた記憶がありません。


 さて、一頻り悩んだあと、答えを決めました。

「うん、それじゃあ珈琲が飲みたい」

「そうか、じゃあ頼もうか」と彼が言い、給仕の方を呼び止めているのを片目に、私は店の中を見渡しました。


 店の中には、先程は気付きませんでしたが沢山の人が居ます。庶民から中流階級らしき、ちょっとした成金趣味の方々です。

 彼らの殆どが和気藹々と楽しそうに話をしています。話題と言えば、覚えているところで(まつりごと)や凡庸な身内話まで色々とありました。

 ちょっと耳を傾けてみよう、と考えて良い感じの人を探します。すると探し始めて直ぐに、こちらの直ぐそばに腰をかけた成金趣味の方達が居たので、彼らの話を聞くことにしました。


 彼らは適当に注文をした直ぐ後に、「おい、知ってるか」と乱暴に話を始めます。

 その話し声は小さく、聞き取るには難がありましたが、頑張って聞くことにしました。


「とある筋からの話なんだが、お上が北の方で何かを企ててるらしいぜ」と、最初に声を挙げた男が続けます。

「へえ、それは知らなかった。具体的に何を企ててるんだ」と、相手の男が返事をすると、更に会話が続いていきました。

「詳しい話は知らないが、きっと航路の開拓だろうさ」

「ほう、良い儲け話だな。何か一つ噛めないだろうか」

「出来たら嬉しいんだが、中々難しいそうだ。どうやら色々と難航してるらしい」

「その色々とはなんだ?」

「さあ? 誰も北には行きたがらない、とかじゃないか。あっちは寒いだろうしな」


 へえ、だのと思いながら、他人事として彼らの話し声を聞いていると、直ぐ側から芳ばしい匂いがし始めました。

 なんだろうか、と匂いの元に視線を向ければ、目の前にティーカップに入った黒い液体に気付きました。

 もう届いたのか、と少しばかり驚きつつも、勇気を出して少し飲んでみます。熱いそれを嚥下すると、良い香りが口内に広がり、そして大変な苦みが舌を刺激しました。


「苦くて、美味しくない」と、文句を零しながら、これを美味しいと形容したチャールズ男爵を一瞥します。すると、彼は微笑みながらこちらを見ています。そんな彼の前にあるのは、驚きなことに紅茶でした。


 騙された! と彼をしっかりと見れば、彼は声を出しながら笑い、言います。

「飲めそうかい?」

「無理、美味しくないもん」と、クツクツと笑う彼の様子に、少しばかり腹が立ちました。


 尚も彼は笑いながら言います。

「少し早かったかも知れないな。口も付けてないから、これでも飲むかい?」

 そうしてこちらに差し出したのは、彼の紅茶でした。

「うん、頂戴」と、即答をしながらそれを貰い、珈琲を彼に押しつけました。


 貰った紅茶は、決して美味しい物ではありませんでした。

 しかし、珈琲よりかはマシであり、大人しくそれを啜りながらチャールズ男爵を、恨めしげに見つめました。


「すまなかった、すまなかった」とお気楽な調子で彼は謝り、私の押しつけた珈琲に口を付けました。

 今に私と同じ辛さを味わう。自分のしたことが帰ってくるのだ、と彼を見つめていたのですが、その様子は全くもってありませんでした。それはもう平然としているのでした。


 何らかの奇術を使っているのではないか、と疑うことしか出来ず、質問をすることにしました。

「本当に飲んでるの?」

 彼はキョトンとしながら返します。

「嗚呼、飲んでいるよ。何かあるのかい?」

「……ううん、何でもない」


 彼の瞳や声音からは、微塵の嘘も見つけることは叶いませんでした。彼が珈琲を気にせず飲めることは、疑いようもない事実に違いなかったのです。

 その事実を認めると、私も彼のように大人っぽく、あんな苦い飲料を飲めるようになりたい、と思うようになります。


 この子供らしい憧れは、何ともくだらないものに思いますが、同時に仕方のないものだったと弁明をしたいです。

 閉塞的や封建的、封鎖的というのは間違いでしょうが、それに近しい小さな村という世界の内で私は生きておりました。その小さな世界において、チャールズ男爵が有するような静的な大人らしさ、所謂老成した人物を見出せる人というのは中々居なかったのです。

 まず学のある人というのが少なかったですし、居たとしても色々と忙しそうで、老成をする隙もなく老衰をしていく印象があります。

 知識や能力というのは、それ相応の責務というか、責任というのが付き纏うものなのですから、その知識層が少数に限定されたならば、その少数に本来分散されるはずの大きな責務が付き纏うのも当然のことでしょう。


 思えば、これは私の有する魔法の才能と言う物にも言えるでしょう。

 もし魔法という異能が、一般的な庶民ですら有する普遍性の能力であるならば、こんな物は全くもって価値を持つことはないでしょう。

 しかし、現実にはその才能を有する層が限定されているのですから、希少性を有してしまい、責任も付き纏うでしょう。

 何故なら、その少数を大多数が縛るためです。


 特異の才能を持つ人間は、大抵の人間から二つの感情を受けます。

 その二つの感情の名前は、尊敬と畏怖です。

 全くもって攻撃性に欠ける、私の浄化の魔法ですら、その二つの感情をこの身に受けることになりました。


 けれど、これも当然のことでしょう。

 運が悪かったのです。才能があってしまったのです。特異性を少しばかり有してしまったのです。

 ですから、それ相応の対価を支払うのです。畏怖と責任に雁字搦めにされるのです。


 しかし、私はまだマシなのだろうと思います。大変に文句を呈したあとで、言うのも可笑しな話ではありますが、私はたいした責任を負うことはありませんでした。計画では、少しばかり危険な地に赴くだけでしたから。


 ……さて、そうこうしている間にお茶が終わりました。

 この日はそのあと、少しランダインの街を観光しました。

 やはり大都会というもので、あっと驚くような素晴らしい建築が多く、その姿に魅了されたことも両の指では数えきることは出来ないでしょう。

 案内をしてくださったチャールズ男爵には、本当に感謝の心で一杯です。

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