第三十三話 たぶん私はこれが好きでした。
その日は、ヘンリーさんに手を引かれて外出をしていました。
なので、授業のコマは殆どが休みでした。……二つ目まではありました。
折角なので、全てが休みだったら嬉しかったのですが、授業が進んでいるという状況ではないため、仕方のないことでした。
では、一体どうして外出をしているのか、ということです。
これはヘンリーさんが、このように言い出したためです。
「私達が乗る船を見に行こうか。医務室の中でしか分からないこともあるだろうから」
その言葉に、違和感を覚えました。
少し考えると、その正体に気付きました。
「私達、ですか?」
「うん、そうだよ。あれっ、言ってなかったけ? 僕も船に乗るんだ。クロージャー中尉の船にね」
少しだけ嬉しさを覚えたことを覚えています。
もし全く知らない、怖い人が上司だったら嫌だな、と思っていたため、嬉しかったのです。
それに、同じ船だったらフランツさんとも話す機会がきっとあるでしょう。
さて、そうしたことがあって、私は港に訪れて居ました。
ここではたくさんの人が行き交っていて、騒々しさがあります。
「どの船に乗るんですか?」と、ふざけて遊んでいる子供から目を離して問いかけます。
港には、小さな船からすごく大きな船まで沢山が並んでいます。
ヘンリーさんは、何度もあっちを見たりこっちを見たりしています。
そして、焦った様子でした。
忘れたのだろう、と何となく察しました。
「えっと、船の場所を忘れたのですか?」
ヘンリーさんは、私を少し見つめると、悩ましそうに言いました。
「いや、記憶が正しければあそこにあったんだよ。たぶんどっかに移動しちゃったのかな」
指示された場所を見れば、確かにぽっかりとスペースが開いています。
三隻分でしょうか?
「本当におかしいな、今日見学に来るって伝えたはずなのに……」
ヘンリーさんは、あごひげを撫でながら呟きます。
そして、近くを通った方に聞いていました。
従業員さんに身振り手振りで教えてもらったらしいヘンリーさんは、溜息がちに言いました。
「今朝、もうちょっと河口の方に移動したらしい。全くふざけてる。連絡もなしに……」
今思えば、この航海は色々と杜撰だった記憶があります。
そもそも私を船に乗せること自体も、愚かなことですしね。
お金を山ほど使えないというのは理解できます。有限ですら。
しかし、だからこそ万全を期すべきなのではないか、と思えて仕方がありません。
さて、ヘンリーさんは、上の人の文句を色々と言った後、私の手を引きました。
それから、少し歩きました。
風に磯の香りが混じり始めたところで、彼は息を吐きました。
目前には、二隻の船があります。
どちらも似たような形をした船で、天高く聳えた帆があります。
「あれですか?」
指をさすと、ヘンリーさんは頷きます。
そして、言いました。
「ノクス号と、タナトス号だ」
「へえ、なかなか独特な名前ですね」
大きな船に興奮に近しい感情を抱きながらも、船名に違和感を覚えてこぼします。
それに、ヘンリーさんは、答えました。
「聞けば、神様の名前らしいよ」
「神様ですか」
相槌を打ちながらも、私の知らない神様だなと思います。
もしかしたら効いたことのある神様かもしれませんが、忘れてしまいました。
「それで、どちらに乗るのですか?」
「タナトスの方だ。あっちはクロージャー中尉が艦長だからね」
「それじゃあノクスの方は誰が艦長なのです?」
「たしか、ジェイムズ大尉だったはずだよ」
予想外に知らない名前で、驚いたのを覚えています。
確かフランツさんの上司に、ジョッシュ・フランク、あの恐ろしい人が居たはずです。
もしや彼は船に乗らないのでしょうか?
「認識が間違っていないのなら、ジョッシュさんも乗ると思うのですが」
「ジョッシュさん? ……ああ、フランク大佐か。うん、彼も乗るよ」
同じ船は嫌だな、と思っていると、ヘンリーさんは続けました。
「えっと、たしかノクス号の方に乗るよ」
「それなのに、艦長ではないのですか?」
「うん、彼も年だからね。多分今回が最後の航海だよ」
なるほど、と思いました。
この航海の無理のある計画は、最後に華を咲かそうと考えているために生まれたのでしょう。
今後何十年も語られるような伝説になりたい、そんな願望でしょうか?
「早速だけど、船の中にお邪魔しようか」と、ヘンリーさんは言い、船へと歩き出しました。
「あっ、はい。分かりました」と、後を追います。
そうして私は、初めて船の中へと入りました。
最初の感想は、狭くて苦しい場所だ、というものでした。
結局のところ、この感想が変わることはありません。
狭いですし、過ごしていて苦しくないと言えば噓になります。
喧嘩なんて起きたら大変なもので、それはもう大変な怪我をする人が出てしまいます。
「此処が医務室だよ」と、ヘンリーさんは最後に一つの船室を紹介しました。
二つのベッドが並んでいるために、より狭く感じる部屋です。
また、医療箱を含めてごちゃごちゃしていました。
「たぶん君はずっとここに泊まることになるかな」と、ヘンリーさんは畳まれたハンモックを手に取りながら言います。
「此処ですか?」
少し嫌だな、と思いながらも、気になったことがあったので問いかけます。
「ヘンリーさんはどこで寝るのです?」
「僕は一応は、士官だから隣に部屋があるんだよ」
「なるほど」と、相槌を打ちながら辺りの物を適当に見回します。
やっぱり雑然としています。
それに、少し湿度の高さも感じます。
うーん、何だかな、と心中でつぶやいたのを覚えています。
……さて、こう貶しておかしな話ではありますが、たぶん私はこの船は好きでした。
不満はあれど、直ぐに慣れてしまうものですから。何年も過ごしていれば。




