第十二話 幸せを単に、悪辣だと形容すれば良いのです。
その日も何ら変わらない日常が始まります。
私が小旅行から帰り、大体一週間ほどが経った頃合です。
お父様が仕事に行き、お母様とお家の中で過ごします。
昨日、私は外で遊びました。
その内に、とある噂話を耳にしたのでした。
「森の方で、知らない人影を見た」と。
その噂というのは、直ぐさまに村中に広がります。
ですから、昨夜の内にお父様に言われたのです。
「これから少しの間は、外出を控えてくれ」と。
何やら危ないことがあるかも知れない、というのは尤もで私もそれに納得しました。
ですからこそ、大人しくお母様と一日中お勉強をしながら過ごしたのでした。
さて、その翌日です。
お父様が私に言いました。
「どうやら本当に、誰かが出たみたいだ」
曰く、森の方に誰の物かも分からぬ巻き煙草のゴミが落ちていたそうです。
それだけでは不審者が出たとは限らない、とも思いましたが、疑うのが一般的なのでしょう。
ちなみに、お父様がそれを見つけたらしいです。彼の仕事は樵と狩人の兼業です。
「怖いね」と、お母様に言います。
「ええそうね。でも、大丈夫でしょう」と、彼女は多少怖がっているようではありましたが、それを杞憂と切り捨てている印象がありました。
このような不審者が出た、という場合には大抵いくつかのパターンがあると私は思います。
それが単なる浮浪者であるパターン、それから根無し草のパターン。そして、最後に人を殺すことを厭わぬ不埒者のパターン。
このような田舎にはどれも出ない印象ではありますが、時折はあるものです。
ですから、大人達も多少は落着いた様子で、深くは触れずに警察を呼べば良い、と考えたのでしょう。
それがきっと最良の選択です。不埒者が現れたのならば、真面なことにはなりませんから。
しかし、その最良の選択というのは、その不埒者にある程度の余裕がある場合に限られた話でしょう。
狂犬というのは、酷く恐ろしいものです。その行動が、酷く論理に欠けた、短絡的かつ病的な慟哭によって決定されるのですから。
何が言いたいかと言えば、その時村に現れた不埒者が、狂犬だったということです。
それも群れを作り、更に一切の余裕を持たない最悪なものだったのです。
社会の爪弾き者、何も失い物がない無敵の人、言おうと思えば彼らを何であろうと形容できます。しかし、最も相応しい形容は、ギャングとも言えぬ不良であったでしょう。
さて、その日の夜のことです。
ちょっとした物音に私は、目を覚しました。お父様達は、未だに目を覚していませんでした。
私は、その物音に耳を澄ませます。
「おい、ここの家なんだよな」だのと言う知らぬ男の声です。
問いかけということですから、それが複数人だということも分かりました。
はて、一体誰であろうかと疑問に思います。
現状の村において、私が知らぬ人は居ません。村というのが、狭い社会なのですから当然のことでしょう。
頭を悩ませていれば、先程とは違う声が発せられます。
「ああ、此処の筈だ。聞けば役人がよく来ていたらしい。だから、たんまり金があるはずだ」
その役人の考えは、果たして正しいものと言えたでしょうか? 答えとしては、否だと言えます。何故ならば、両親は私を帝都に送り出していない、売っていないのですからお金など貰えるはずがありません。ちょっとした物は貰っていた可能性はございますが。
しかし、しかしです。彼らの憶測の短絡さは軽蔑に値します。
思考停止気味に、どうしたものだろうと考えていると、コンコンコンと丁寧に三度扉が叩かれます。
それを聞けば、一先ずお父様達を起こすべきだろうと、彼らを揺すり起こします。
そうしていれば、お父様が眠たげに言います。
「何だ、シア」
「玄関に誰か居る」と私が言えば、都合が良く再度扉が叩かれます。
その音にはっとしたように、お父様は目を擦り、お母様を起こして言います。
「対応をしてくる。俺に何かあったら、シアを頼む」
「ええ」と、お母様は返して、私に言います。
「ベッドの下に隠れて。何があるか分からないから」
「うん」と、大人しく彼女の指示に従います。
若干ばかり緊張した様子の彼女に、何ら疑問を抱くべきではない、と思ったためでした。
そうしてベッド下に入れば、埃臭さに息が詰まります。
「苦しかったら言ってね」と、お母様はこちらに声を掛け、ベッドの下に何やら箱らしき物を入れます。きっとそれは私の所在を隠すためであったのでしょう。
さて、そうこうしている間にもお父様は玄関に行ったようで、声が聞こえてきます。
「おい、お前は誰だ」
きっと扉は開けていないのでしょう。ですから、相手を単数と見ている。
この時です。私は自分の一つめの失敗を知ります。相手は確実に二人以上であることを、愚かしいことに伝えていなかったのです。
少しの時間のあと、嗄れた声が返されます。
「ああと、私はだね。政府のものだ。ちょっと君達と話をしたい」
その声の主は、未だ聞いたことのない男の物でした。
「何だって? お前は誰の指示できた」と、お父様。
「私はだね。上から言われたもんで、わからんのです」と、知らぬ男。
それからは交互に問答が成されます。
「はあ、君達のお上とは既に話が着いている。お門違いにも程があるだろう」
「いやいや、ちっとばかし話が変わりましてね。いやあ、申し訳がない。取り敢えず、扉を開けては貰えないだろうか」
「それは出来ない。もし開けて欲しいのなら、君の上司を連れて明日来い」
「いやあ、それはだね。私らもね、ちっとばかし事情があるんだよ。君の馬鹿らしい妄想に付合ってる暇はないんだよ。さっさと開けてはくれないかね」
「先程も言ったが、それは出来ない」
その返答を皮切りに、相手から溜息と舌打ちが聞こえてきます。
そして、一等強く扉を叩かれます。
「おい開けろ」だのと、男は叫び脅し文句を並べます。
「お前ら全員を逮捕して、後悔をさせてやる。今だったら、まだ殺すだけで許してやる」
殺される以上の屈辱があるでしょうか、と甚だ疑問ではありましたが、相手が真面ではないのだろう、ということは察せられました。
そのことをお父様も察したのか、それからは返答をすることはありませんでした。
苛立ったのでしょう。男は何度も扉を叩きます。
次第にその音が大きくなっていったのを覚えています。
きっと扉に対して体当たりをしていたのでしょう。
そうして長い時間が過ぎると、パリンとかいうまさに硝子が割られる音がなりました。
その音に気付いたのでしょう、お父様がこちらに駆寄る足音が聞こえてきます。
「大丈夫か!」と、叫んだのはお母様への問いかけでしょう。
「ええ」と、お母様が返す中で、足音が聞こえてきたのを覚えています。
その足音が聞こえてきたのは何処であったか、それは問うまでもないでしょう。窓が割られる音がした方向からでした。
しかし、その足音が遠ざかっていたことが意外だったのを覚えています。
ですが、よくよく考えれば当然であったでしょう。
一人で人を殺すよりも二人で殺した方が楽です。そして、二人で殺すよりも三人で、三人で殺すよりも四人でと言うように、数が居た方が大変に殺しやすいのです。
要は遠ざかっていく足音というのは、玄関で足止めを食らっている仲間を呼びに行っているだけなのです。
「不味い」と、お父様が呟いたのを覚えています。
嗚呼、これではいけない。何かしらを手伝わないといけない、と思いました。どうやら私には、何らかの才能があるらしい、であるのにこのままではいけない、と。
しかし、結局はベッドの下で蹲っているだけです。
それからというもの、お父様達は扉を閉め、寝室にあるものでバリケードを作っていたのが、目前にあるちょっとした隙間から見えました。
そして、そのバリケードが何やら鋭い刃物の類いで、無残に破壊される姿も。
「いやあ、恨まないでおくれよ」だのと嗄れた声で言う男の姿を目にします。
その男はまさに乱暴者という雰囲気の男で、その手に鉈を持っていました。
それに対してお父様は、ちょっとした刃物を手にしていたのを覚えています。
……それからはあまり覚えていません。
ただお父様が男に刺され、お母様が何処かに連れて行かれたこと、そして私が尚もベッド下で蹲っていたことしか朧気ながら記憶にはありません。
この罪深さを私は、一生涯忘れることがないでしょう。
私はお父様達に助けられてばかりで、何の助けも出来なった、加えて彼らの最後さえ正しく記憶が出来ていない。
しかし、それから幾時間か後は覚えています。確かに覚えています。忘れることなど出来ません。
「おい、金は見つかったか」だのと、鉈を持った男が言います。
「いえ、全然ないっす。端金しか」と、それに返す脳味噌がなさそうな声が返されます。
それに対し、鉈を持った男は舌打ちをして言いました。
「アイツめ、嘘だったか。ぶっ殺してやる」
アイツとは誰のことでしょうか。
誰かが、彼らに流言を与えた。その結果として、私の両親は死んだ。その恨めしさ。憎らしさ。
嗚呼何と憎らしいことでしょう。
さて、それから幾時間、殺してやりたいだのと思いながらも、未だにベッドの下にいるのが私という人間です。
早朝の喧しい鳥のさえずりが、その全てが死んでしまったように静まりかえった頃合に、扉を叩く音がしました。
しかし、何ら反応がなかったことに不信感を抱いたのでしょう。
「アトウッドさん?」と、声が発されます。
その声を私は知っていました。何時も家に来た役人です。
「居ますか? アトウッドさん!」と、大きな声が掛けられます。
未だに家の中に居る悪漢達は、その動きを止めて息を殺していました。
それが幸いしたのか、私にとっては不幸なことではありますが、尚も気付かれていない様子でした。
けれど、それが長く続くはずもなく、今までとは違う役人の声が発されます。
「おい、窓が割られてる。不味い事になったかも知れない」
その声が発されるや否や悪漢達が、その手で刃物の柄を強く握ったのを覚えています。
「アトウッドさん、開けますよ!」と、叫び声が玄関から響き、幾度も鈍い音が響きます。
その挙げ句、ガラガラと音を立て、扉が開きます。
そして、それから何個も足音が近づいてきます。
「アトウッドさん!」と、怒鳴るような男の人の声が近づいてきます。遂には寝室の扉が開かれます。
それからはすぐに物事が進んだのを覚えています。
人が何人か死にました。
「ああ!」だのと、叫び斬りかかる男に対し、発砲された拳銃の発砲音、そしてその硝煙のかおりを私は、一生が忘れることは出来ないでしょう。
さて、それから更に幾時間、悪漢達の殆どが死にました。
どうやら六人ほどの集団だったようで、四人が死んで、二人が投降をしたらしいです。
「怖い、助けて」だのと、呟きながらも尚も私は隠れ続けます。
役人が発砲した銃が恐ろしかったのです。
そして、私は思いました。
もしやこの役人達が、この悪漢どもにこれを示唆したのではないか、と。
嗚呼何と恐ろしいのでしょう。自分らに従わぬ者、気に入らぬ者、思い通りにいかぬ者を自分たちの手を汚さずに、消し去る用意周到さ。嗚呼、何と気色の悪いことでしょう!
憶測で、役人どもを恨めしく思っていると、声が聞こえてきます。
「娘さんの死体は見つかったか?」
「いや、見つかってない。アイツらが言うには、見てすら居ないらしい」
「そんな訳がないだろ。一人を殺しても言い。吐かせろ」
その言い合いを聞いていれば、私の憶測は確信に至ったように思います。
嗚呼奴らが、これを手引きしたに違いない、と。
体が震えたのを覚えています。嗚呼、なんとおぞましいのだろう。
怒りに体が支配され、けれど何も出来ず、全てがどうでも良くなりました。
そうして諦観に包まれていれば、目前にあった木箱が退けられ、私の存在が彼らに認知されました。
「娘さんが見つかった!」と、私を見つけた役人は後ろに叫び、直ぐさまに私に言います。
「シアちゃん、安心して。もう危険はないから、こっちにおいで」
その役人が恐ろしくありました。
けれど、ここで意地を張って殺されてしまっては、お父様達が死んだ意味がなくなってしまう、と大人しく出て行ったのを覚えています。
さて、それから暫くして見知った声が聞こえます。
「シア君、大丈夫か!」
そう言い、私に抱きついた老齢の男に私は言います。
「はい、チャールズさん」
これで本筋は一旦終わりです。
次回から、ちょっとした閑話を挟んで次章を始めようと思います。
閑話の終わりには「第1章おわり」と書くつもりなので、そこからは少し期間が空きます。




