理解ってくれない貴女への反抗期
反抗期と言うのは、思うように行かない現実への拒絶反応なのかも知れない。
卵アレルギーの肉体が卵を受け付けないように、あんまりな現実を精神が受け付けないのかも知れない。
世界がいつの間にか優しくなくなったことに対する、拒絶反応。
肉体が俺を裏切って、勝手に大人になり始めたことへの拒絶反応。
家族の言動に、何故だか妙に苛つくことへの拒絶反応。
そもそも“家族に対する目”自体、この頃は変わってしまった。
幼いうちは心のどこかで、親は自分より優れたものだと思っていた。
俺より大人で、正しくて――だから、叱られるのは仕方のないことなのだと、全てを諦めて受け入れていた。
だけど、もう気づいてしまった。
あの人たちは、分かっていない。
あの人たちの言動は、時々矛盾している。
あの人たちはきっと正しくなんかなくて、いろいろと間違っている。
――それに気づいてしまった時から、家族の見え方が変わってしまった。
普段ほとんど接点の無い父親は、相変わらずよく分からないままだが……特に、母親の方が。
これまでは無性に大きく感じていたその存在感が、日増しに小さく、弱々しくなっていく。
俺と同じくらいに。……俺よりも弱いくらいに。
幼い頃、どうしてあんなに畏れ、慕い、妄信していたのか、自分でも不思議に思うほどだ。
母親という存在は、学校の中に漂う空気感を知らない。
悪目立ちしないよう、ダサいとも思われないよう、他人の目を気にしてピリピリする、神経質な思春期の感覚が分からない。
だから時々、恐ろしいほど空気の読めない選択をする。
学校指定の靴下は無地の白か紺だと言うのに、「これくらいなら目立たないから大丈夫」と、ワンポイント付きのものを買って来たりする。
もう子どもみたいな恰好は卒業したいのに、小学生の時と同じような服や下着を勝手に買って来たりもする。
三者面談で要らないことを言って、隣にいる俺をヒヤッとさせる。
俺が必死に学校での体面を保とうとしても、母親がそれを平気で壊しにかかる。
母親という存在は、時代の変化に気づいていない。
自分が学生だった頃と、俺が学生をしている現在が、物の考え方も常識も何もかも違ってしまっていることが分からない。
だから、自分の頃の感覚で、的外れなことを言って来る。
学校で良い成績を取り続けてさえいれば、大学、就職とトントン拍子に行って将来安泰――そんな型通りの幸福人生ルートなんて、もうほとんど廃絶しかけているのに。
未来の見えない世の中で、それでも自分の知っている人生計画に闇雲に縋って、子どもを時代遅れの道に進ませようとする。
それで子の人生が失敗しても、きっと責任なんて取ってくれないし、取る能力も無いだろうに。
母親という存在は、傷つきやすい子ども心を、今ひとつ分かっていない。
身近な人間のちょっとした言葉ひとつ、態度ひとつを、大袈裟なほど重く受け止めて、そのたびに心の殻に閉じ籠もる、多感で繊細な思春期の気持ちに気づかない。
こちらに丸聞こえな俺の部屋のすぐそばで、俺の駄目な所を他の家族と笑い合ったりする。
出来の違う兄と比べては「お兄ちゃんはこうだったのに」と溜め息をついたりもする。
いつの頃からか、褒められることよりも貶されることの方が増えた。
ただでさえ自分の立ち位置に悩むこの頃、母親からも馬鹿にされると、ますます自分に自信がなくなる。
べつに、悪意を持たれているわけでも、憎まれているわけでもない。それは分かっている。
ただただ、気遣いが足りないだけ、デリカシーが無いだけだ。
最近、そんな母親の“嫌な所”が、いやに目につくようになってしまった。
幼いうちは、妄信的な母への愛情に隠れて見えなかったそれが、だんだん見えてくるようになってしまった。
それが、俺を苦しめる。
母親を嫌いになりたいわけではない。
だが、心の奥底にいつの間にか、“嫌い”の種が芽吹いている。
隠しきれない不満と不信が、心の内にどろどろと渦巻いている。
母親から失望の言葉を聞くたびに、思う。
俺は、そんなに駄目な人間なのだろうか。
駄目な俺は、愛してもらえないのだろうか。
ただでさえこの頃は、自分と他人との差異が気になって、心がチクチクする。
小学生の頃はそれほど気にしていなかった体格の差、学力の差、コミュニケーション能力の差……それが近頃はやけに胸に引っかかって、俺の気分を沈ませる。
せめて一番近くにいる家族くらいは、他人と比べずにいて欲しい――そう思うのは、贅沢だろうか。
せめて母親くらいは、俺の駄目な所も、至らない部分も、全部引っ括めて愛して欲しい――そう願うのは、我侭なのだろうか。
幼い頃の俺は、母親をどこか、神か仏のように見ていた節がある。
無償の愛を無条件に子に注いでくれる高次の存在――それこそ“聖母”や“慈母”のように……。
世の母親とは、皆そういうものなのだと思っていた。
愛を注がれないのは、子の方が悪いからなのだと思っていた。
だが、今の俺には現実が見えている。
母親もまた一人の“人間”で、何の期待も望みも無く、無条件に子を愛してくれるわけではないのだと、気づいてしまった。
どんなに頑張っても、努力しても、母親に愛されない可能性があることを悟ってしまった。
だって俺は現に、母親が望む“結果”を出せていない。
もう、幼い頃のように純粋に、母の愛を信じられない。
単純に母親を慕っていれば良かったあの頃には、戻れない。
優しい世界はいつの間にか、終わってしまっていた。
この寒々しく乾いた世界で、俺はただただ途方に暮れている。
世の中の何もかもが、俺に厳しく襲いかかって来るようで、心が過剰防衛で刺々している。
周りのほんのささいな一言が、俺を非難しているように思えて、胸が波立つ。
優しいもの、楽しいものは掌から零れ落ちるように消えていくのに、苦しいこと、辛いことは溺れそうなほどに増えていく。
何もかも受け止めきれないまま、それでも俺を取り巻く環境は目まぐるしく変わり続ける。
持て余したストレスが、溜まって、溢れて、決壊しそうだ。
いっそこの世界の何もかも否定してしまいたい、拒絶してしまいたい――この拒絶反応が、反抗期というモノなのかも知れない。
このモヤつきを、苛立ちを、俺は上手に消化できない。
言葉にもできない。
ただ気の立った猫のように、無闇に触れて来る相手に牙を剥いてしまう。
一番身近にいる母親には、特に。
自分でも、理不尽だと気づいている。
頭では分かっているのに、心がついて行かない。
そうして母親の反応や態度に、また勝手に傷つき凹む。
どうしてこんなに苛立つのか、本当はどうして欲しいのか――分からないようで、本当は分かっている気もする。
俺はきっと、ただ理解って欲しいのだ。
この、どうしようもなく持て余した感情の苦しさを。
世界に対して感じ始めた息苦しさを。
わけもなく湧いて来る焦燥や不安を。
ひとりでは抱えきれないこの重い荷物を、分かち合って欲しいのだ。
だが、心の底では、既にそれを諦めている。
母親なら何も言わなくても理解ってくれるなんて、そんな幻想は疾うの昔に消え失せた。
母親は、万能の存在でもなければ高次の存在でもない。
俺とは考え方も時代感覚も全く違う、別の種類の“人間”だ。
言葉にしなくても理解ってもらえるどころか、必死に絞り出した言葉すら、伝わるかどうか分からない。
それに俺自身、簡単に理解されて堪るかと思っている節がある。
俺自身でさえ理解しきれないこの心の嵐を、他の人間に理解ったように語られたくはない。
まして、上辺だけ理解った振りで、容易く同調されたくない。
理解られたいのに、理解られたくない。
この心は、どうしようもなく矛盾している。
思春期とは、己の中の矛盾を突きつけられる時期なのかも知れない。
衝動的に母親や周りに当たり散らしながら、頭の中ではそんな自分をひどく冷徹に見下ろしている。
こんな自分が愛されるはずなどない――そう冷静に分析しながら、それでも愛が欲しいと嘆いている。
結局俺は、まだ母親に甘え足りないと泣いている子どもなのだろうか。
最大の矛盾は、大人になり始めたこの肉体と、まだ子どものままでいたい精神とのギャップなのかも知れない。
心の内を吹き狂う暴風雨に、自分自身も傷つきながら、ただ嵐の過ぎ去るのを待っている。
いつ来るのかも分からないその時を、今はただ、縋るように待ち続けている。
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