6 相合傘と体温
いつの間にか年越していましたね。
長らくお待たせして申し訳ない。なかなか思いつかなかったのと、後忙しかったんです。
※作中の時間は夏です。
後輩が開いた傘は随分と大きく、色合いも派手だった。分厚い雨雲の灰色と、土砂降りで前すら見えなくなるほどの雨の中で、真っ赤な傘は正しく紅一点だった。
「君のものにしては、大きくないか?」
「だって雨で濡れるのって嫌じゃないですか。だから大きめのを使うようにしてるんです」
「……すまないね。私が入ったら、否が応でも濡れるだろう」
「ほんとですよ! お詫びとして今度フルーツオレ奢ってください」
「分かった。ブラックコーヒーだな」
「話聞いてました!?」
湿気の所為で重たい空気の中、後輩はやけにテンションが高い。開いた傘をくるくる回して、笑顔を浮かべている。
お行儀が悪いと窘めると、「えー」とぶー垂れながらも傘を回す手を止める。いつもそういう風に言うことを聞いてくれたら楽なのに、とは言葉には出さない。余計な一言は後輩にとって餌だ。無駄話の火種でもある。
「先輩、傘持ってくださいよ」
「……君に言われなきゃ持つつもりだったさ」
この後輩はおちゃらけた雰囲気と活発そうな見た目に反して、身長はそれほど高くない。私が持つことになるだろうし、その方が良いだろうとも思っていた。
運動神経がよく、色んな部活動に顔を出しては助っ人をしている後輩は、よく身長のことを私に愚痴っていた。
曰く、「天は二物どころか三物も四物も与えてくれたけど、身長だけは持っていかれた」そうで。
それに対して私は、「頭のねじも持っていかれているのだからそれくらいで騒ぐな」というもの以上の感想を抱かなかった。
傘を受け取り、右手でしっかりと握る。普段自分が使うものとは違う所為か、重さに耐えられず手首がぐらつく。何とか気合で持ちこたえて真っ直ぐ差そうとしていると、隣から手が伸びてきて私と一緒に傘を支えた。
「大丈夫です?」
「……余計なお世話だよ」
「いやでもそのまま任せられませんよ。下手したらこっちまで濡れちゃうじゃないですか」
「……それもそうだな。すまない」
「いいですよ。先輩が非力なこと、忘れちゃってましたから」
「その言い分は腹立つ」
「うえ、酷くないです? 仮にも傘を貸してあげてる身ですよ?」
「お返しされたいならもうちょっと可愛い後輩になってくれないかな」
「遠回しに可愛くないって言われた!?」
「可愛くない」
「ストレートにも言われた!!??」
後輩が隣にしっかりと収まったことを確認して、歩き出す。結局、どうしても一人ではぐらついてしまうので、二人で一緒に傘を持つことになった。
ざあざあと降る雨が傘にぶつかり、ばたばたばたとまるで大勢で地面を踏みしめて走っている最中のような音に変わる。赤い傘の影が視界にかかり、いつもと同じ帰り道なのに、景色が変わっているような気さえした。それは、雨で視界が見にくくなっているだけではなかった。
後輩の手は不思議な感触がした。ぎゅっと私の手越しに傘を握り締めるそれは、冷たいような、暖かいような。なんにせよ、小恥ずかしい感覚に襲われる。今日が土砂降りでよかったと感謝するとは思わなかった。こんな姿を他人に見られたら、私のことはともかく、後輩のことを勘違いする輩が出かねない。
「先輩、濡れてません? 肩」
「……まあ、傘に二人も入ればそうなるのも当然だろう。仕方ない」
「もっとこっちに寄って来てもいいんですよ?」
「君がはみ出るだろう」
「くっつけばいいじゃないですか」
「嫌だ。暑苦しい」
「でも、風邪引きますって」
「その時は君が看病しに来なさい」
「えー、面倒くさい……じゃなくて、そもそも風邪引かないでくださいよ!?」
「面倒くさいって言ったか君」
やたら上手い口笛が隣から聞こえた。
雨が少し弱まってきている。しかし、依然として土砂降りの範疇を出ていない。
周囲の音は雨音に掻き消されて聞こえない。聞こえるのは水浸しの地面を踏みしめる音と、隣にいる後輩の息遣いだけだった。
「……えいっ!」
「うわっ!?」
そんな掛け声とともに、後輩の肩が私にぶつかった。そこそこ衝撃があった所為で傘がぐらつくが、二人分の手の力があるので、すぐに持ち直した。
「危ないだろう!?」
「いや、だって、先輩が濡れるのも、なんかなあと思いまして」
「だとしてももう少しやり方があっただろう」
「先輩が頑固だからいけないんですー」
「ぐっ。まあ、それはそうかもしれないが……」
「風を引かれて看病するのも面倒なので」
「今度ははっきり言いやがったな」
「てへ。すみませーん」
舌を出しながら謝る後輩に、思わずため息が漏れる。しかし、こちらを気遣ってくれたことも事実だ。無下にできない。
「分かったよ。くっつけばいいんだろう」
「え、先輩もしかして……好き?」
「うるさい気持ち悪い口を閉じろ」
「そんなぁ、冗談じゃないですかあ……ってえっその冷めた視線超怖いんですけど」
「しばらく無視しようか?」
「後生ですそれだけはご勘弁をー!?」
やっぱり相合傘なんてするもんじゃなかった。そんな感想が心の底から込み上げる。
後輩の肩が二の腕にぴたりとひっつく。傘はしっかりと雨を防いでおり、少なくとも上半身は無事にびしょ濡れを避けることができた。
横風が少しあり、体が冷える。そんな中で、後輩の体温がやけにくっきりと感じられる。
そうこうしているうちに駅に辿り着いた。駅の中に完全に入ったのを確認して、傘を閉じる。軽く振ると、雨水が飛沫になって地面に落ちた。
「ありがとう。助かった」
「どういたしまして……って、どうします先輩。降りる駅、違いますよね?」
この後輩はいつも私よりも後に降りる。そうなると傘は借りることはできない。まさか家まで着いてきてもらう訳にもいかない。
「別に、あっちの駅にはコンビニもあるから、そこでビニール傘でも買うさ」
「最後まで相合傘でも大丈夫ですよ?」
「この雨の中で駅と私の家を往復させる訳にはいかないだろう」
「……帰り道、気を付けてくださいね?」
「こっちのセリフだよ、後輩」
電車がやってくる。普通の各駅停車だ。
ドアに向かって歩みを進める。けれど、後輩は動こうとしない。
「乗らないのかい」
「こんな雨ですし、特急の方が早いので、待ちます。また明日!」
「ん。また明日」
電車に乗り込み、ホームにいる後輩を視線をやると、にこりと笑みを浮かべた。軽く手を振ってやると、向こうはやや大げさに手を振り返してくる。
電車が動き出す。揺られながら、ふと思った。
「特急の方が早いなら、何でよく普通の電車で鉢合わせるんだ……?」
少し小首を傾げてから、些細なことだと、気にしないことにした。
また気が向いたら書きます。