09.地下室の邂逅(3)
「あいたたたた……
うわ~んっ! じゃが芋が攻撃うけてる~~っっ
はっ! 玲萌せんぱい、紫蘭、倒しちゃったんですか~? すごいっ! さすがあたしの王子様!」
唱えかけた呪文もそのままに、あたしはぼーぜんと立ち尽くしていた。両手のひらの間で熱く輝く魔力の核を、ゆっくりと注意深く散らしていく。魔術とは「気」=自然界のエネルギーを魔力で集めて放つもの。発動させなかった魔術の気は、暴発させないため周囲の空間へ戻す必要がある。
「いや―― あたしは……何も……」
ようやく答えて、仰向けに倒れたままの紫蘭に視線をめぐらせた。夕露の言葉に「芋と一緒にあんたもこーげきうけてるだろーが」などとつっこむことも出来ずに――。
紫蘭、見た感じでは外傷も見当らないのだが、一体何が……
それを確かめるべく踏みだした足をあたしは中途で止めた。夕露もあたしの陰からそれを指差し小さな悲鳴をもらす。
「うひゃぁ……あれ……」
仰向けに倒れた紫蘭の腹に、大きな黒点をちりばめた、真っ赤なハ虫類のようなものがカサカサと這いあがってきたのだ。龍を小型化して、てんとう虫の柄と蛙の目玉を借りてきたよーな奴である。
「なんか玲萌せんぱいの好きそーなのがいますよ~」
「好きじゃないから」
コミカルで愛らしいが、こんなんがこの国に生息していた覚えはない。それほど虫に詳しくなくても、上の実験室で人為的に作られたものと想像できる。
あたしはふと、戦火を避けて崩れた扉に背を預ける樹葵に気が付いた。いつからそこにいたのか、手にはあの真っ赤なハ虫類をもう一匹乗せている。
「あれ。樹葵、いたの?」
「……おい……」
「ごめん。見えなかった」
「ふっ……。俺の姿は心美しき者の瞳にしか映らないからな」
「いや、問題は身長だろ」
小声のツッコミには気付かずに、
「まあとにかく助けてやったんだ。礼を言えよ」
あたしを助けたということは、紫蘭を気絶させたのは彼なのか。
「ここは俺の部屋なんだからな。でっけぇ術使われたら大めーわくなんだ。だから寸出のところで止めたんだよ」
「ここ『部屋』だったんだ!」
夕露が真顔で叫ぶ。
部屋かどーかはおいとくけど、彼の言い分はもっともだろう。
そのとき紫蘭がゆっくりと瞼をあげた。
「ん……」
「あっ」
ちいさなうめき声に思わず身構えるあたし。だが……
「ん~ん」
「……のびしてるよ……」
「気楽なもんだぜ」
あたしの言葉に溜め息つく樹葵。
紫蘭はふと自分の腹を見て、そこにこの世の終わりを見た人のようにのけぞった。
「うをぎょえがべ~~~~っ!!」
「だあぁぁっ! おちつけっ! おちつけ紫蘭。こわくないよーだいじょーぶだよー煮て食えばきっとおいしーよー」
「はぁ……はぁ……はぁ……」
肩で息する彼女。極度の虫嫌いなのかもしれない。
「何でこんなもんがここにあるんだよっ」
震える指で赤いハ虫類を差す。だが目を向けようとはしない。見上げた涙目で樹葵をにらみつける。
「俺が上の実験室から持ってきた」
「それをあたしの頭に乗っけたのか。樹葵っ! なぁぁんであたしの邪魔すんだっ! 下がってろっつったろ! 久しぶりにスリル満点だったんだぞ!」
「バトルはてめーの部屋でやってくんな! 俺の部屋はリングじゃねぇぞ」
「あの……紫蘭さん……」
おそるおそる声かけるあたし。
「なんだ? 久しぶりに楽しかったぞ。あんたと戦って」
あたしの方に向き直り笑顔で言う彼女。あたしを好敵手と認め、好意を持ってくれたらしい。
「こんな田舎に来ちまってからは、体がなまってしょうがなかったからな。学院に通ってた頃は週に一度は師匠たちと手合せできたんだけどさ」
成程、紫蘭もあたしたちのように、どこかの魔道学院で魔道を習ったようだ。しかし学院を卒業してしまうと、こんな平和な時代に対人用攻撃魔術はほとんど用が無くなってしまう。すると魔術の研究より戦うことが好きだった連中は、同士を求めいわゆる「戦いごっこ」なるものをしたがるようになる。困ったもんだ。
「ねえ紫蘭、凪流って子に、ここにいる夕露を連れてこいって依頼したでしょ?」
「ああ。ってことはあんた、凪流と一緒にいたって子か。あの人が桃色の髪の女って言ってたほうだな」
――「あの人」?
あたしがそれを尋ねる前に紫蘭は夕露の方に目を向けた。
「で、そっちが夕露? 女の子だったか」
「ええええええええっ!?」
またもや激昂する夕露。「玲萌せんぱいが女の子に見えて、あたしが見えないなんてことある!?」
げいんっ
「あだ」
あたしはげんこつで夕露を黙らせる。
樹葵は呆れ顔で、
「拳で扉ぶっこわしたりするから、間違えられるんじゃないか?」
「だいじょーぶ! 木の扉は放っておけばそのうち育って元通りになるから!」
紫蘭は夕露の勘違い発言を無視して話を先に進めた。
「あんたも覚えてるだろうけど今朝、夕露が通りがかりに、いきなり倒れてきた鳥居を怪力で支えて人助けしただろ?」
そう、今朝旅の無事をお祈りするため立ち寄った神社で、なんの予告もなく唐突に、赤い鳥居が倒れてきたのだ。側にいた夕露がすぐさま走ってきて、あたしと凪流、そして白い垂衣で顔を隠したえんじ色の髪の女性を救った。
「それでその人がな、夕露に会いたいって言うんで、金に困ってた凪流に頼んだんだ」
「じゃあ、お礼言うためだったんだ」
あっさり納得する夕露。
「え、ああ」
どこか曖昧な紫蘭の返事。あたしは待ったをかけた。
「じゃあなんで誘拐なんて手段をとる必要があったの?」
「いや~、それはなんつーか……気圧と湿度の関係? とか?」
ますます曖昧に言葉をにごす紫蘭。
「でも大丈夫だよ。もう連れ去ったりしないから」
やけに自信のありそーな口調で紫蘭は保証する。あたしはすぐさま問い返した。
「夕露が女の子だったから?」
紫蘭は目を見開いて言葉を飲み込んだ。彼女がはじめに言った「女の子だったか」という台詞が引っかかっていたのだが、どうやら当たったらしい。
紫蘭は何を納得したのかひとつうなずくと、
「あんたもあの人と同好の士か」
なにか誤解されている気がする。だが否定も肯定もせず、あたしは一番気になっていることを口にした。
「さっきからあなたが言ってる『あの人』って――まさか紅摩弥?」
「食えないマンヤン? 曼楊って水中鼻孔拳法の創始者の名前?」
しぬほど怪しいボケをかます紫蘭。
あたしは溜め息ついて、煮物をほおばってる夕露に耳打ちする。
「どう思う? 紫蘭の態度」
「えっ、誰が何を食ったって?」
全然こっちの話、聞いてないでやんの。
「ちょっと待てよ紫蘭」
さえぎったのは、樹葵だった。「ここまでの話を聞いていると――」
柄にもなく神妙な顔つきで、
「あの人があんたに夕露を連れ去るよう頼んだってのか?」
一語一語、かみしめるように問う。
紫蘭は樹葵の様子をうかがいながら、ゆっくりとうなづいた。
「なんでだよ…… なんのために? 今までこんなこと無かったじゃんかよ……。今まで――ここに来てからずっと――俺が最初で最後で……」
「おい樹葵!」
紫蘭が慌てて止める。何かいわくがあるようだが、無論あたしと夕露にはさっぱり分からない。
「ちょっと、落ち付けよ、な」
椅子に座ったまま昂ぶる感情にふるえている樹葵の肩に、紫蘭は手を置いて静かな優しさを含んだ調子でなだめた。だが樹葵は紫蘭を振り返ることなく、
「目的が何か、あの人は言ってなかったんだな?」
思いつめたように虚空の一点をみつめる横顔に、らしくない影がさす。
「言ってないっつーか…… 自分を助けてくれた怪力の持ち主がまさか女の子だなんて思わずに、ちらっと見た横顔が可愛かったから、ぜひ会いたいのって――」
紫蘭はそう言って、気の毒そうなまなざしを樹葵に向けた。短気で単純で馬鹿だけど、根はいい奴なのだろう。
「そうか…… 俺が前向きに考えるようになったのが気に入らないのかな……」
「そーいえばおまえ、一月前何があったんだ?」
「三十三日前ね。紫蘭には関係ないよ」
あっさり言われてむっとする紫蘭。
「あのことを知ってるわけはないと思うんだけど…… でもそれからだもんな、俺を避けてるってゆーか……」
なおもひとりぶつぶつ続ける樹葵の様子に、紫蘭はにやにやしながらあたしたちを振り返った。
「難しい年頃でね」
「なんだよ。おまえなんか恋をしないから、いつまで経っても年頃がやってこないじゃんか。知ってるか? 恋しない人間はな、ガキからババアになっちゃうんだぜ。青春も大人も通り越して」
妙なことを言ってその場を沈黙に追い込む。
「……男嫌いで悪かったな」
紫蘭がぼそっと呟いた。そのまま不機嫌な声であたしたちに、
「夕露誘拐の理由を聞きに来たんだろ? 用件が終わったんなら悪いがさっさと帰ってくんな。うちにゃあ摩弥なんて大層な人はいないから」
またもや怪しすぎるぞ。紫蘭。
「でもあたしたち帰り方なんて知らないんだよぉ? 紫蘭ちゃん、お屋敷の出口まで案内してよぉ」
夕露が紫蘭にしがみつく。あたしたちは迷ってこの地下室に辿り着いたため、情けない話だが帰り道が分からないのだ。
「おうよ、お易い御用さ」
紫蘭は夕露をつれて地下室の階段をのぼってゆく。
「桃色の髪の女っ!、おまえも早く来い!」
「玲萌って呼んで!」
上に向かって怒鳴り返してから、ふと樹葵の方を振り返る。
「じゃあ結局、この屋敷に摩弥はいないの?」
正しい答えが帰ってくるとは、はじめから期待していなかった。ただ紫蘭のでなく、樹葵の反応を知りたかったのだ。さっきの様子を見ていながら、意地の悪い質問だったかもしれない。
樹葵は、まだ持っていた先程の赤いハ虫類を指先であやしながら、意外と冷静な声で答えた。
「勝手に想像してくんねえ。俺はなんも答えらんねぇから。こいつや俺を見て考えられることが事実――としか言えねーな。俺は」
すっごい気になる。摩弥が渓山ふもとの田舎町なんかに隠れていたら、世間もびっくりではないか。
だがこんなところで油を売っていては、凪流が怒ること必至だろう。なんせ奴は巾着を落として路銀がなくなってしまったのだから、早々に魔術剣をみつけて帰路につかねばならない。
「玲萌~~~~」
壊れた扉の陰から紫蘭が顔をのぞかせた。
「はいはい、今行きますっ!」
それじゃね、と樹葵に手を振ると、彼もまたね、と顔の横で手を開いた。趣味の悪いジョークでよこした投げキッスを、手で払って辞退してから、後ろ髪を引かれる思いであたしは階段を駆け上がった。樹葵には尋ねたいことがまだまだたくさんあったのに。無念じゃぁぁっ!
「葦寸の洞窟に行った帰りとか……」
暗い廊下を歩きながらあたしはぽつんと呟いた。凪流だけ先に白草へ帰ってもらえばよいのではないか。
前を夕露と並んで歩いている紫蘭が、あたしの言葉を耳に留めて夕露に尋ねる。
「おまえら、葦寸の洞窟に行くんだったのか?」
「行きませんよね? 玲萌せんぱい」
「行くんでしょっ! なんで行き先すら覚えらんないのっ! 筋肉の栄養、少しはアタマにまわしなさいっ!」
「ほえ~。あたしはあじさいの洞窟だとばっかり……」
アジサイとアシスンはかなり違うぞ。夕露。
「おい、二人とも」
紫蘭は声を低くして、
「――あの洞窟はやめとけ」
「なんで?」
「危険だから」
と、ただ一言。
「危険ったってどう危険なのよ? クマのアジトだとか、反政府組織が冬眠してるとか、そーいうことを教えてよ」
「玲萌せんぱい、それって逆!」
いきなり夕露が爆笑する。おおかた冬眠中のテロリスト集団でも想像したのだろう。
だが紫蘭は、夕露を無視して静かに言った。
「――鬼が住んでるんだ。あたしにも……どうにもできねぇ鬼なんだ。……狂った不憫な鬼なんだよ」




