05.古城?いやいや廃墟だろ(1)
ぎいぃぃぃ………、ばたんっ。
あたしたちの後ろで、たった今通ってきた重い扉が勝手に閉まる。
ひんやりとした空気の中に、カビくさいような湿ったにおいが混ざっている。
薄闇に目が慣れてくると、吹き抜けの天井から下がる豪華なシャンデリアに気が付いた。左手には上へと続く大理石の階段が見える。
「紫蘭さ~ん、って人いらっしゃいますかぁ~」
とりあえず虚空に向かって叫んでみる。
………………。
返事はない。自分の声が広い空間に気味悪く反響しただけだ。
そこはあたしたちにはあまり馴染みのない洋館だった。異邦人の建てた建築物で、これほど古そうなものがあるとは不思議だった。
「誰もいないのかなあ」
あたしの隣で夕露が不安そうに呟く。
階段の一段目に足をかけ階上へ、
「凪流ですけどーぉ、夕露連れてまいりましたぁ~」
もう一度大声で今度は口からでまかせ、てきとーなことを言ってみる。
「お手洗いでも行ってるのかなあ」
再び小声で呟く夕露。
どの窓も閉ざされ、中にはガラスが割れているものもある。そのためかすべての窓の雨戸――というのだろうか、ガラス戸の外側についた厚い木の扉が閉められているので、外の光がほとんど入らない。
「しゃーないな」
「やっぱり帰るんですか?」
「ンなわきゃないでしょ。その紫蘭って人を探すのよ」
段鼻の欠けた大理石の階段を注意深く上るあたしの後ろで、
「ええ~」
と、ノリの悪い返事をする夕露。
踊り場の左右には古い木の扉があるが、どちらも人の気配はない。さらに上ると大きな観音開きの扉が立ちふさがっている。金属製の取っ手に力をこめると、鍵はかかっておらずギギーっと音を立てて開いた。
「あんただって自分が狙われた理由くらい知りたいでしょ?」
左右に色あせた絵画の飾られた廊下をずんずん進むあたしを、夕露は小走りに追いかける。
「そりゃそーですけど…… でもここ他人のおうちだし、勝手に入って迷ったりしたら……」
「どうせ勝手に住みついてるやつらでしょ。とにかく行くわよっ! 迷うなんてこと絶対ないから!]
とは言ったものの…………。
石畳の敷かれた中庭を見下ろす回廊を歩きながら、あたしはぼそっと呟いた。
「迷ったな。こりゃ」
あたしの後ろで続いていた夕露の足音が、ぴたっと止まる。
「うえええぇぇぇええぇ~~~~っっ?」
「ンなおーげさな叫び声、あげなくったっていーでしょーがぁっ!」
しかたなくあたしも足を止めて振り返る。
「だ、だって…………。あたし、狙われてるんだよぉ」
夕露にしては珍しく、正論で攻めてくる。
だがあたしはにべもなく言った。
「だいじょぶ。あんた強いから」
「そんなことないよ~」
なぜか照れる夕露。
背中にかついでいた金棒を両手で握り、
「だってほら。てぃやっ」
どごぉっ!
「あああああああ! 夕露が家壊した!」
夕露が金棒を降りおろしたところの石がもろに破壊され、一階まで筒抜けになってしまった。
「なんてへぼい家なんだ……」
夕露は感嘆している。
「吹き抜け部分が増えちゃいましたね、玲萌せんぱい!」
「とにかくっ! 紫蘭をみつけないことには来た意味ないんだからっ!」
「あの、玲萌せんぱい。あたしが思うには―― きっとその人、お手洗い行ってるんだと……」
「あーだぁーもぉしつこいわねっ……って……あ。分かった。あんたが行きたかったのね」
「はい……」
ちょっと顔を赤らめて、夕露は頷いた。
回廊を渡ってまた屋内に入ると、木製のいかにも古そうな扉がずらっと並んでいる。その、いちばん端を開けると……
あ、やっぱし。
「夕露、お手洗い。いってらっしゃい」
「えっ、こんなところでっ?」
「膀胱、破裂しちゃうわよ」
夕露は素直に駆け込んでいった。
それにしても、とあたしは考える。
こんなところに果たして人が住んでいるものだろーか。凪流の奴、案内するふりしてだましたのか?
いや、それはないだろう。なぜならあいつは、あたしと夕露をここに案内したとき、夕露だけを連れて屋敷の中に逃げこもうとしていたのだから。
そーいえばあいつ、まだ外でのびてるのかなー。……まいっか。
あたしは便所の隣の扉に、背中をあずけて寄りかかっていた。肘を真鍮製のレバーハンドルに乗せたとき、体重をかけていた扉が室内に向かって開いてしまった。
慌てて振り返るが部屋には誰もいない。観音開きの雨戸が少しだけ開けられて、一条の光が差し込んでいた。
何かの研究室か、実験室といったところだろう。部屋の左右にずらりと、金属製の棚が並び、透明の容器やらガラス管やらペトリ皿やら、実験器具と思われるものがたくさん置かれている。
ふと、凪流の言っていった摩弥の話が脳裏をよぎる。
奴の話していたことが事実だったら、この屋敷には紫蘭だけでなく摩弥も滞在もしくは居住していておかしくない。だがあれほど世に騒がれた天才と、こんな辺鄙な場所で会えるなど全く実感がわかなかった。
好奇心を抑えられないあたしは、古びた絨毯を踏んで忍び足で進んだ。
蓋つきの透明の容器をそっと持ちあげ、中をのぞいてみて、あたしはぎょっとした。肌色のにごった液体の中に、異常に大きな眼をした、虫のようなものが入っている。
気をつけて見てみると、どの容器にも小さな生物が入っていた。
目にやっと見えるか見えないかというほどの、ごく小さな細胞の固まり程度のものから、はじめあたしが見たぐらいの、虫と呼べる生物まで様々である。
誰かが何かの目的で生命を創りだしたように見えるが、人間が生命を創りだすなどということは、果たして可能なのだろうか。また可能だとしても、そんなことをして良いものだろうか。
かちゃっ。
ふいに後ろで物音がし、あたしは慌てて振り向いた。
「なんだ、夕露じゃない。びっくりさせないでよ」
「…………」
「どしたの?」
「玲萌せんぱい、もう帰ろぉ?」
「しょーがないじゃない。迷っちゃったんだから」
「じゃあせめてこの部屋出ましょぉ。ここ気持ち悪いよぉ。第一あそこに触れるなって書いてあるじゃないですか」
え。
夕露の指差す正面の壁を見れば、黄いばんだ大きな紙に『触れるな』の文字。そのやたら古そうな紙があたしを不安にさせる。
――本当に人住んでんのかよ。ここ。
「ンなこと、今さら言われたってねぇ。もっと目につくところに、紙貼っといてくんなきゃあ」
「あ、でも玲萌せんぱい。この部屋のドアにも『立入禁止』の紙が貼ってありましたよ」
「………………………
見なかったもん……そんなの……」
しばし流れる沈黙の時。
「そっそーだっ夕露、お手洗いどうだった?」
「どうって…… さすが玲萌せんぱいでも言えませんよぉ」
さり気なく話を変えたことに気付かず、もじもじする夕露を片手で制して、
「いやそーじゃなく。こんな廃墟で用足すなんて、あたしは野に放った方が幾分かマシと思ってだな」
「なっ、玲萌せんぱいが行けって言ったのにぃ。
結構きれいだったし紙も置いてありましたよ!」
と、口をとがらせる。便所の管理がされているということは――
「このお屋敷、人住んでるのね」
その時――
ぐううぅぅぅ……
あたしの体の中から、奇妙な音が響いた。
「な、なんの音?」
夕露の耳にも届いたようだ。不安気な目を向ける。
「いやぁごめん。あたし、おなかすいちゃったみたい」
「はっ! そーいえばあたしも!」
慌てておなかまわりをさする夕露。
「良かったぁ。また気付かずに餓死するとこだった……」
また……?
「玲萌せんぱい、どっかからお食事の匂いしませんか?」
あたしに比べて野性に近い夕露が鼻を鳴らす。あたしも全神経を鼻に結集させ、
「確かに。――ってことは、やっと紫蘭に会えるのね!」
「え……」
「だって、お食事の匂いがするってことは、イコール、人がいるってことでしょ?」
「あそっか! さすがは玲萌せんぱいっ! きっとその人が、紫蘭なのね!」
「ぴんぽ~~んっ! そゆこと~~!」




