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28.時のらせん階段(3)

紫蘭(シラン)と共に葦寸(アシスン)の洞窟に鳳凰の剣と龍の剣を取りに行った。でもそこに剣はなくて、かわりにあの人がいた。たったひとり、世間に背を向け自分の世界の深くを探求していたあの人が――。

 まず紫蘭(シラン)が彼女の魅力に取りつかれ、葦寸(アシスン)にとどまると言いだした。そんな紫蘭(シラン)と過ごすうち、初めは人と接触することを極端に嫌っていた摩弥(マヤ)も、俺たちと話をするようになってきた。

 彼女の心は危なげで、いつ崩れるとも知れぬ繊細なガラス細工のように思えた……」

「月並みな表現ね……」

 思わず口出ししたあたしを黙殺する樹葵(ジュキ)

 今はこーゆーノリは禁じられているらしい。

「表面は誰よりも賢く強い、あの気高い仮面の下で、本当の彼女が次第にその心を哀しい痛みに蝕まれていってるのかと思うと、俺はいたたまれなくて、自分勝手な同情から手を差し伸べようとしていたんだ……。でも俺の心の中に、無償の愛なんて存在しなかった。結局俺の気持ちは子供っぽい恋愛に形を変えてゆき―― 彼女をより苦しめる結果を生んだだけだった」

 感傷的な調子で語る樹葵をあたしは、ちょっと待って、と止めた。

「一体彼女は、何に悲しんでたわけ?」

 ポエマーになられても分からないから、具体的に話してほしいもんだ。

摩弥(マヤ)は幼いころから神童と騒がれて、両親も娘の頭脳にしか興味がなくて――」

 それは教育熱心な両親を幼い摩弥が誤解した可能性もあるが、摩弥が心に傷を負ったことは事実だろう。

「飛び級して入った第三課程でも、周囲には摩弥の才能に嫉妬して蹴落とそうとする人間か、おべっかを使って取り入る人間しかいなくて、誰も信じられなかったんだ。だからこれまで心を許せる相手が一人もいなかったと言っていた」

 樹葵(ジュキ)は自分のことのように苦しげに言葉を紡いだ。

「前代未聞の頭脳とか、我が国随一の才能とかいう見出しで記事になるのも嫌で、放っといてほしい、逃げ出したかったって言ってたな……」

 あたしは密かに赤面した。自分がまさに、そういう見出しの瓦版に歓声をあげているガキだったから。天才と騒がれ人々の称賛をうける彼女がうらやましかったのだ。でも摩弥は、世間の評価などまるで頓着していないどころか、苦悩していたなんて――

 でも、とあたしは言った。「樹葵と紫蘭が、摩弥の理解者になったなら問題は解決しなかったの?」

 樹葵は悲しげに首を振った。

「摩弥は愛し方を知らなかったんだ。彼女は人に愛されたことも、愛したこともなかったから」

 まさか、と思う。

 近い将来に魔術士としての夢と希望を託すあたしは、若くして天下一の魔道医と騒がれる摩弥に勇気づけられていた。そんな若者がたくさんいて、彼女を愛していたはずだ。でもそれは孤独な摩弥が求める愛の形ではなかったのか。

「俺たちに会うまで摩弥の愛はただ、自らの魔道で創り上げた命――研究室の中だけで生きる、物言わぬ彼らに捧げられていた」

 樹葵の言葉に、さきほど襲われた五尾トカゲや四ツ目巨鼠の姿を思い出す。

「だから彼女にとって、愛すことは束縛と同義だったのかもしれない」

 研究生物を溺愛するのと同じやり方で、樹葵を愛したということか。摩弥は、他者も自分と同じように意思や感情のある人間だということが、根本的に理解できないんだろう。一人きりの世界に閉じこもって、自分の苦しみばかりが見えている。

「出会ってから数ヶ月、彼女は俺が白草(シラクサ)に帰ることを恐れて、俺を地下室に監禁した。そして研究に疲れた夜だけ、俺の部屋にやってきた。何を話すでもないんだけど……」

 樹葵は愛する人の面影を思い浮かべたのか、少しだけやわらかい表情になった。

「地下室にいるときの、摩弥(マヤ)の滅多に見られないちょっとだけ嬉しそうな顔を見て、俺も最初のうちはこんな扱いも仕方がないと思っていた。彼女は普通じゃなかったから。表情のほとんどなかった彼女から、嬉しそうというのが俺に伝わってくるだけでも満足だった。でも一歩も外に出ない生活が続くうち、体も不調になってきて、俺は摩弥(マヤ)にここから出してくれと頼んだ。

 その結果、俺はひとつ自由になった。

 そして摩弥(マヤ)の心は一歩、俺から遠ざかった。ふたりの間が尋常なものになってゆくたびに、彼女の不安はつのっていった……。

 結局俺の存在は彼女にとって、ただ不安をあおるだけのものになってしまった――」

 摩弥(マヤ)の精神状態が不安定になると、樹葵はその影響をもろに受けてしまうのだろう。感性の鋭さというのは諸刃の剣だ。

「俺は精一杯やってるつもりだった。必要なときはいつでも側にいてあげられるように外出は控えたし、彼女の抱いていた他者への恐れを取り除くために、決して怒ったりしなかった。でも全てのわがままを許すなんて、本当の優しさじゃあ無かったんだ。俺なら、彼女の心を救えると思ったのに!」

 樹葵は唇をかんだ。

 ふと、己稲が言った「樹葵は人と違う特別な存在になりたかったのかも」という言葉を思い出したのは、ちょっといじわるだったかも知れない。でも樹葵の美意識なら、悲しき狂気の天才魔道医を支えられるのは自分だけと酔いしれて、愛する女のためにボロボロになっていく自分に陶酔しそうだ。

 ちょっぴりイライラするあたしには気付かず、樹葵は話を進めた。

「時を越える方法を編み出したとき、それを記した紙を見ながら摩弥(マヤ)は言ったんだ。

 『わたしは、わたしなしでは生きられないあの子たちを捨ててゆくことは出来ないと思っていた……。でもこんなにも過ちを重ねてゆくのならいっそ――』

 と――。

 俺は摩弥(マヤ)の言った『過ち』の意味がすぐに分かった。

 ――その前の日まで、俺は液体に満たされた透明の筒の中に、幾本もの生命維持チューブのようなものでぐるぐる巻きにされて閉じこめられていた。

 彼女は一度怒ると、何をしでかすか分からないようなところがあった。だがその自分の怒りの跡を見たくないばかりに、決して助けに来てはくれない。紫蘭(シラン)が探してくれるまでそのままだ。怒りにまかせて床に叩きつけた実験器具と同じようにね…… 誰かがそれを片付けてくれるまで、彼女は決してその部屋には近付かない。彼女は自分の怒りを恐れている―― でも怒り狂ったあとで、静かに涙を流している彼女を見ると……

 守ってやりたい衝動に駆られる。力強く抱き締めてやりたくて――」

「いくら何でもなんで」

 無礼なほど冷静な声で、あたしは話をさえぎった。「摩弥(マヤ)はあんたを閉じこめたりしたのよ、ひどいじゃない」

「俺が彼女を怒らせた。悪いのは俺の方だ。

 摩弥から話を聞いて欲しいと言われていた時間帯に、打掛姿の美しい女性――に見える人物が俺の部屋を訪れてしまったんだ」

 己稲(キーナ)のことだろう。

「俺は摩弥の信頼を裏切ってしまった。彼女は強い不安に襲われたんだ」

「それだけでそこまでの罰を加えるの?」

「違うよ。罰じゃない。

 彼女は幼い子供のように淋しがりやでわがままで、いつも何かに怯えている―― そんな彼女を責めることは出来ないよ。

 とにかくそのとき、俺は決めた。俄造りでも何でも、時を越える装置が完成した日には、俺がその中に入ると。誰よりも先に――!」

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