27.時のらせん階段(2)
白草の中心地区はにぎやかな下町だが、その周りには水田が広がっている。稲刈りを終えた田圃の中にこんもり茂る小さな「鎮守の森」を抜けたあたしは、その脇を流れる細い川へ向かっていた。
すすきの穂を踏み分け川岸に立つと、秋の夜風に身震いした。濃い雲に覆われた夜空を映した黒い水は、静かに町のほうへと流れてゆく。
一瞬だけあたしの手元にやってきた龍の剣へ、別れを告げる。迷いは微塵もなかった。学院の卒業が一年遅れるかもしれないことぐらい、友人の命と比べたら屁でもない。
ぽちゃん……
軽やかな音をたてて水面に降り立った龍の剣は、ゆっくりと町のほうへ流れていった。
「いた!」
川から鎮守の森へ戻ってきたあたしをみつけ、樹葵はもろ肌脱ぎのまま早足に近付いてきた。
だがその足は中途で止まる。
「剣―― 剣は?」
彼の胸に張り付いていた赤い眼は閉じ、今はわずかに線が残るだけだった。あたしは少しだけ安堵する。
「てめぇ、剣をどこにやった!?」
襟首をつかもうと伸ばしてきたその手を払い、思わず叫んでいた。
「きみを殺せるわけないじゃない! 死にたいなんて、一体何があったの?」
だがあたしの言葉が彼に届いた様子はない。
「俺をだましたんだな!? 人生の最期に信じてやったのに!」
泣き出しそうな勢いで逆上する樹葵に、誰にも話したことの無かった信条のようなものが口をついて出た。
「生きるってぇのは、始終何か考えたり悩んだりして、疲れること面倒なことだらけで、案外楽しいことなんて嫌なことに比べたらずっと少ないのかもしれない。特にツイてない時期はそう思うもんよ。でもだからって、そーゆー時期に人生やめちゃうわけ?」
矢継ぎ早に話しながら、ふところから懐紙を取り出し、樹葵の胸を伝う一筋の鮮血をそっと押さえた。
「今までの人生嫌なことだけだった? 楽しいことだっていっぱいあったはずでしょ? これからだって、そーゆーいいことが、いっぱいきみを待ってるんだから。そしてそのころには、今日や昨日のことなんてずっと昔の思い出になって、『あんときはつらい中、ほんとよく頑張った』って自分の誇りになってるのよ」
いまだ興奮冷めやらぬ樹葵は、かすかに震える指先をあたしの手に乗せると、
「違うんだ」
と呟いた。「俺は世界で一番大切なもののために、この命を差し出すんだよ」
「人ひとりの命より大切なものがこの世にある?」
懐紙からそっと手を離し、まっすぐ彼の瞳をみつめると、樹葵は伏し目がちに言った。「それも―― 人の命だよ……」
おそらく樹葵は惚れた摩弥のために死を選ぼうとしているのだろう。二人の間にどんな事情があったのかは分からない。ただ、あたしが瓦版で読んだり講談で聞いたりして羨望をいだいた天才魔道医は、恋人の心を闇に染めるような人間だったのだ。それを思うと、幼い憧憬は少しずつ崩れていった。
樹葵はどこか遠くを見ながら、自分の信念を確かめるように言った。
「あの人には叶えなければならない願いがあるんだ。真実に到達するまで、生き続ける使命なんだよ」
あたしは樹葵にばれないよう、こっそり嘆息した。「摩弥がいくら稀代の天才魔道医だって、命の重さは樹葵と変わらないのよ。きみが摩弥を思うように、きみの家族にとっては、きみの命がなによりも大切なんじゃないの?」
樹葵はあたしに、大好きなお母さんやお姉さんの話をしていたはずだ。
あたしがうっかり樹葵や摩弥の名を出したので、彼は目を見開いた。
「あんた……一体何者なんだ? なぜ知ってるんだ、俺のこと、摩弥のこと」
「時を越えるなんて不思議が実際に起こったんだから、その行った先の時間の中で全てを知る人間に会うってな非現実も許されるんじゃない?」
「時を越えるって…… そんなことまで知っているのか――」
樹葵はあたしの顔をまじまじと見た。
梢を渡る夜風が、足元の落ち葉をさらっていく音がする。あたしは思わず身震いして、冷たくなった両手を袖口に隠した。樹葵も身頃を引き上げ、袖無し羽織のようなよく分からないものを着直した。
――腕の外側が鱗に覆われててもやっぱ寒いんだね、などと軽口を叩きたかったが、彼があまりに思いつめた目をしているのでやめておいた。
「俺は誰も知らないところで消えたいんだ」
一本の太い幹に背をあずけて、樹葵が呟いた。その重い声は、あたしが自分の時間で会っていた彼からは想像もできない。そういえば本人も影響を受けやすい性格だと言っていたっけ……。これもまた、感受性の強い樹葵の一面なのだろう。
「それで過去へ来たの?」
あたしの問いに、樹葵はこっくりと頷いた。「あの人は俺の死体なんてみつけたら必ず後を追うから。『本当の事』をみつけられていない彼女を死なせるわけにはいかない」
「『本当の事』って結局なんなの?」
葦寸への旅に出るずっと前から疑問だったことを、あたしは口にした。
「きっと本当には存在しないものだよ」
と、なぞかけのような答え。それからどこか悲しげに続けた。「学問を極めたあかつきには心の満たされる何かがみつかると、彼女は信じているんだ」
冷たい秋の風を避けるように、あたしも樹葵に並んで太い幹に寄りかかった。
「二年前――」
と樹葵は語り始めた。まだ、なんの面識もない赤の他人のあたしに。いや、だからこそ――




