20.とある剣士の物語り(2)
「私は裕福な、由緒正しい家柄に生まれた――」
「なんか腹立つ始め方ね。下級役人の娘としては」
思わず文句つけるあたし。
「まあそう卑屈になるな。金や家柄では何も決まらん」
くっ…… 白々しい奴め……
己稲(自称、嵐虎)の家では、代々男児が剣豪となっていた。己稲には兄と妹がいたが、家督を継ぐ兄だけでなく、次男である己稲も幼い頃から厳しい剣術稽古に明け暮れた。
「私は子供の頃から剣の道を好んではいなかった。兄貴より―― 実をいうと妹よりも下手だったからな」
うまくいかないもので、兄弟の中で妹が最も剣を好んだという。強制されなかったからかも知れぬ。
太刀筋が祖父の若い頃に似ているとかで一族の期待の星であった長男は、しかし成長するにつれて和歌や水墨画を好むようになり、その心は次第に剣から離れていった。だがもちろん、そのようなことを父親が許すはずはなく、修業はいよいよ厳しくなる。
だが―― 稽古の最中、激しく打ち込まれ重心を失った彼は、誤って後ろに倒れ骨髄を強打し、両足の機能を失ってしまう。
魔道医の懸命な治療の甲斐もなく、彼が回復を見ることはなかった。だが毎日のように邸に通い真剣に診察する魔道医の姿に、己稲は強い憧れをいだいた。とはいえ兄が再び二本の脚で地に立てぬという事実は、必然的に一族の期待が己稲ひとりの肩にかかることを意味していた。
己稲はひそかに、魔道医学を学びたいという夢を兄だけに打ちあけた。
己稲の話を聞きおえた兄は静かに、
――つらい修業が嫌で逃げるんじゃないんだな? ちゃんとおまえ自身がみつけた本当の望みなんだな?
――うん。
――じゃあ、どんなにつらくても今度は頑張れるな。
――うん。
――そうか。それで安心したよ。今までのおまえは剣術の修業が嫌だ嫌だと言いながら、だからといってそれにかわる目的があるでもなかった。
――…………
――でも兄ちゃんがこんなんなっちまったせいで、おまえに負担かかっちまってごめんな……
弟は慌てて首を振った。兄の苦しみに比べたら本当に些細なことだ。だが己稲は、兄が弱音を吐く姿を一度も見たことはなかった。それどころか、
――これで誰にも妨げられず、好きなことに没頭できるよ。
と笑ってみせさえしたという。
幾日も幾年も重ねられた厳しい稽古の日々は、その腕だけでなく精神までも鍛えあげたのだろう。
己稲は、厳しい修業と自由を奪われた生活に疲れ、一度家出を試みるがすぐに連れ戻される。
そして二度目――
妹と兄の協力のもとでの再挑戦だった。一度目の失敗で、家族も使用人も監視の目を鋭くしている。今度失敗したら、この先家から抜け出すことは不可能となるだろう。
――もう後がない。
己稲は必死だった。
別れ際、真夜中の裏門で、己稲は妹の手を握り礼を述べた。歩けない兄には部屋で別れを告げたのだろう。妹ははりつめた冷たい夜気をほぐすような笑みを浮かべ、
――頑張んなよ、兄さま。お家のことは心配しないで。家督は男が継ぐなんて、時代遅れなしきたりさ。父さまを説き伏せて跡はうちが継ぐから。うちもここで精一杯やってるんだから、兄さまも負けちゃだめだからね。
そう言って、兄の手を強く握り返した。
「こうして私の一人旅が始まったんだ」
己稲は、太い木の幹に背中をあずけ、両手を膝の上で組んだままそう言った。
後ろに広がる雑木林から鳥の歌声が届く。
「己稲ちゃん家出なんかしてどうするつもりだったの? なんかあてがあったの?」
夕露が尋ねる。
「お金は?」
これはあたし。
凪流が路銀を失ったせいで、頭が金の話にばかり反応してしまってよくない。
「こづかいをありったけ持って出たのだ。兄妹からも投資してもらった。魔道医になったら返す約束でな」
「どーだか」
「返すぞっ! ちゃんと魔道医になって……」
あたしのさりげないツッコミにむきになる己稲。
「でも今は現に摩弥って人の犬じゃん」
「なぬぅぅぅっ?」
夕露のもっともな意見に激怒する。
「で? 結局はどうやって摩弥に出会うわけ? 魔道医めざしてたら、失踪中の天才魔道医に会っちゃったなんて、やたら運いいよーだけど」
あたしが先をうながすと、
「摩弥との出会いは幸運だったのかどうか――
はじめは住み込みで働きながら、どこかの街の王立魔道学院に通って基礎から学ぼうと考えていた――」
しかし雇われて働いたことのない己稲にとって仕事は厳しく、とても魔道医科の勉強と両立できるものではなかった。
「それで魔道医の家に住み込みで働きながら実地で学ぼうと思ったのだが、これも甘かった」
魔道学院の第一過程さえ出ていないそのころの己稲は基礎的な魔術も使えず、そんな若造を住まわせて使おうなんて魔道医はいなかった。路銀も底をつきかけて途方に暮れていた頃、この葦寸にたどり着いた。葦寸の洞窟で雨風をしのぐうち、そこが魔道医の研究室であることを知ったのだ。
「それで弟子入りさせてもらったんだね?」
夕露が口をはさむ。
「いや。正面から弟子入り志願をしても、また門前払いを食らうことは分かっていたから、何か自分を売り込める機会がないかしばらく観察していたんだ」
己稲はすぐに、魔道医の手伝いをしているらしい二人の若者の存在に気が付く。
ひとりは紫蘭―― 自慢の体力と攻撃魔術をいかして、近隣の村から依頼された熊退治のアルバイトをしたり、研究に必要な物品の買出しに出かけたりする。しかし魔道の研究と称して葦寸近くの湖――斜原湖に魔法弾・連続攻撃・進化版♥を加えたりする紫蘭に恐れをなした己稲は、稀に姿を現す少年・樹葵に接触をはかることにした。
そのころの摩弥は樹葵を信じられず、逃げられることを恐れて屋敷の半地下に彼を閉じ込めていた。当時の樹葵はまだ緋色のロングヘアをツインテールにして、とがった耳と小さな牙こそ生えていたものの、今よりずっとヒトに近い姿をしていたそうだ。
「樹葵と話せる機会は少なかったのだが、私はあの笑顔にすっかり懐柔されてな、彼を信用したのだ」
さすが樹葵。天性の人たらしである。
摩弥について己稲から尋ねられた樹葵は、恋敵出現を恐れてか、親切めかしてこんなことを言った。
「摩弥は俺みたいな美少年を改造する趣味があるんだよ。あんたは俺と比べりゃあ、月とすっぽん、大トロと奈良漬けくらいの差があるが、まあ用心に越したこたぁねーや。男ってこたぁバレねーよーにしとけ」
さすが樹葵。自己肯定感が突き抜けていやがる。樹葵と己稲はあたしから見れば、さんまとほたてであって、比べられるものではない。
己稲は素直に馬鹿の言うことを聞いて女装することにした。その際、本名「嵐虎」の代わりに使った名が、「己稲」だったのだ。
「樹葵と知恵を出し合った結果、私は用心棒兼樹葵を見張る剣術士として摩弥に売り込んだ。摩弥は樹葵以外の人間に興味を示さず、結局来るもの拒まずだったのだがな。最近は助手としてこき使われたり、薬草を取りに行かされたり、魔法薬を渓山のふもとの村人たちに売りにいかされるうち、少しづつ知識が身についてきた」
「情けな~い」
「便利な居候ってとこね」
夕露とあたしのつぶやきが聞こえたらしい。
「何を言う! 近頃では魔法薬も自分で作れるまでになったんだぞ! コ●ナもどんと来いだっ!」
「ねえ、お金持ちになる魔法薬なんてのはないの?」
と、あたし。魔道を極めるにはもっと資金が必要なのだ。
「顔がだんだん恵比寿様に似てくる薬ならあるが……?」
「いらない……」
「ねえ、毎日の気温が二十五度以上になる薬は……?」
こんなことを聞いたのはもちろん夕露である。
「あったとして、誰が飲むと気温が変わんのよ」
「おてんとさま?」(←真顔)
つっ込みきれねぇ~
「恒温動物から変温動物に体質を変える薬ならあるぞ」
気温のかわりに体温変えてどーするんだ。
「そーいえば摩弥って――」あたしは前々から気になっていたことを己稲に尋ねた。「なんでわざわざ失踪して葦寸くんだりまで来たの?」
「摩弥はあまり立ち入った話はしないからなぁ。特に私とは」
己稲が摩弥から断片的に聞いた話によると、失踪の原因なった理由は些細なものだった。
いつか遠くへ消えてしまいたいと望みながら、日々魔術研究所で研究を重ねていた摩弥は、ある日実験に使った薬品が飛び、目の下に軽い火傷を負った。
目に入ったら惨事になるところだった、助かったと考えた摩弥とは対照的に、若い女性の顔に刻まれた小さな傷を目にした年上の弟子たちは、天才的な魔道医である彼女の腕をかって、その傷は先生にも治せないのかと、口をそろえて聞いたという。治せないなどと言われて自尊心を傷つけられた彼女は、急に人に傷を見られることが嫌になってしまう。そして全てが面倒になった彼女は、数日研究室にこもったあとで失踪してしまうのだ。その数日間は身の回りのものをまとめていたのかもしれない。
摩弥は誰にも邪魔されずに自由に研究を進めるため、逃げる理由が欲しかったのだろう。
「じゃあ失踪するときに残した『本当の事を探したい』ってのは――」
己稲に聞いても分かるまいとは思いつつも、尋ねてしまうあたし。
「魔道医学を極められるところまで、極めたかったのではないか? 変な怪生物の製造とかね」
「樹葵くんみたいなぁ?」
夕露のあげたナイスな例に、
「そうそう」
「なるほど」
己稲とあたしは同時に深く頷いた。




