19.とある剣士の物語り(1)
昼下がりの裏庭は、相変わらずうららかな陽差しに満ちていた。ただ木の影が、少しだけ長くなったような気がする。
凪流が紫蘭と手合わせしている地下室へ戻るべく、樹葵を頼って再度裏庭に出てきたのだが、彼はすでに姿を消していた。
「なんで夕露を返してくれる気になったの」
さっきと同じ木の根元に腰をおろしながら、成り行きでついてきた己稲に尋ねる。
「紫蘭から開放しろと言われてな」
「言われて……?」
確か紫蘭は、この広い屋敷内ではぐーぜん会う以外、接触を図る方法はないと言っていたが……?
「通信機でな」
ん……?
「通信範囲は使用者の魔力量によるが、屋敷の中なら誰が使っても充分届く。お前たちのように魔術の扱いに長けた者ならば一里ほどに及ぶのではないか?」
と言って袂から四角い箱を取り出した。
「ンな便利なものがあったんかいっ!」
思わず突っ込むあたし。
「摩弥もこれを使って、私に夕露を連れて来いと命令したんだぞ。お前ら三人の人相や立ち聞きした夕露の名前、行き先が葦寸だってことまでな。それであの宿へ行ったんだ。葦寸へ行くには渓山を越えなけりゃならないが、渓山へ行く道筋にはあの宿以外ないからな」
考えてみれば、朝神社であたしたちに会った摩弥が紫蘭の館までとって返し、紫蘭と己稲にあたしたちのことを告げ、それから二人が動いたのなら、凪流の先回りはほとんど不可能だったはずだ。きっと摩弥は、この通信機で指令を出したのち、ゆっくり歩いて紫蘭の館に帰り着き、屋敷の横で倒れていた凪流を見つけたのだろう。
「――ったく紫蘭のやつ、この広い屋敷では伝えようがないとか言いやがって」
ぶちぶち独り言ちるあたしに、
「ああ、紫蘭は少量の魔力を流すのが苦手でな、通信機を爆破する。それで自分から連絡はできんのだ」
想像つくわ……
あたしは頭を抱えて溜め息ついた。
「さっきは私から腸ねんてんについて無線を入れたら、肛門病の話のついでに夕露のことも言ってきたんだ」
「……こーもんびょーのついで……」
何やらぶつぶつ不満げな夕露。
「そうだ、私のことは嵐虎と呼んでくれ。摩弥や紫蘭のいない場所ではな。こっちが本名だからな」
「それじゃあ己稲、あたしたちはもう戦う必要はないわけね。それなら聞きたいことがたくさんあるのよ。答えてもらっていい?」
「……あの、ここでは嵐虎と呼んでほしい……」
「だぁぁっ! 女風呂に侵入してくるよーな奴、己稲でじゅーぶんよっ!」
「あのなあ、私は摩弥に言われて仕方なく……」
「威張るなあ! 言われれば何でもやるの?」
「そーゆーわけではない」
「でしょ? やっていーことと悪い……」
「報酬によるな」
「う~ん、それは確かに……」
思わず腕組み頷くあたし。
「玲萌せんぱいっ! そこなっとくするとこじゃないっ!」
しまった。つい。
「でも報酬ったって、今の摩弥は国から研究費をもらってるわけでもなく、どこに潤沢な資金があるってのよ?」
素朴な疑問を投げかけるあたしに、己稲は片手であごのあたりをなでつつ、
「ふむ……老化を止める薬だったかな、なにかアンチエイジングの魔法薬を作って上流階級のご婦人方に超高値で流しているのだよ。私は薬問屋に卸す役目を担っているだけだから詳しくはないが、家が一軒建つような値段を吹っかけていてな」
なるほど、摩弥はビジネスの才もあるのか。メンヘラじゃなきゃ完璧なのにな。
夕露が、
「それより――」
と口をはさんだ。「どーして摩弥ってひと、あたしを連れ去ろーとしたのぉ?」
「やはり実験に――」
言いかけた己稲にあたしがたたみかける。「実験って――、摩弥はここで一体何をしようとしてるのよ」
彼はお手上げ、といわんばかりに両てのひらをこちらへ向けた。
「いっぺんにたくさんのことを聞くな。私だっておまえたちに聞きたいことはたくさんある。こんな田舎に一体何をしにきたのか―― なぜ凪流の居場所が、葦寸の洞窟と知れたのか、なぜこの屋敷への秘密の通路を知ったのか」
「凪流のこともあんた一枚かんでたの? ――あのね、あたしたちは……」
「まあいい」
言いかけたあたしを制して、己稲は先を続ける。
「どこの誰とも知れぬ私に正直に全てを語る気はおきぬだろう。私はいきなり攻撃をしかけたり、女の恰好で夕露を襲ったり充分怪しいし、多少の危害も与えたことだしな。まずは私自身の話をしよう」
そう言うと己稲は、長い話をする気合いを入れるためか、ふところから紐を一本取り出し、陽光を浴び紫に輝く長い髪を高い位置でひとつに結いあげた。前髪は目にかからぬよう左右に分けたまま。こうしていると、なかなか凛々しいいい男である。
一里=1時間程度で歩ける距離。約4キロ程度。




