18.時を越える方法(2)
――とかなんとか言っちゃって、ひとりで屋敷内に戻ってはみたものの、ぜ~んぜん埒は明かなかった。我ながら、ただの馬鹿である。ちょっと歩いてみて、またまた迷ったらそれこそ「ただの馬鹿」から「真の馬鹿」に格上げなので、てきとーなとこで、進むのもやめてしまった。
廊下の隅に座り込んで、葦寸の洞窟からパクってきた摩弥のものらしき書き本を広げる。ほどなくして、先程読んでいたページが見つかった。
時を渡るのに必要な呪文が書き込まれている。摩弥が独自に考えだしたものと思われる。――まあ奴は「天才」だかんな……
〈褐漠巨厳壌、其の大なる力を以て 空、歪ましめ、異界なる隧道、現じ給え〉
〈褐漠巨厳壌、其の大なる力、斥力に転じ、狭まらんとする隧道、現じし時が儘にとどめ給え〉
呪文の内容を、細かく分析しようと努めているうちに、なんだかやたらと眠くなってきてしまった。
書物を読んだり物事を考えよーとすると、決まって睡魔に襲われるのは困った持病である。
――やっぱあたしって真の馬鹿かもしんなぁ~い……
――何弱気になってんのよっ! 魔道学院では、凪流と並んで一二を争うしゅーさいだったじゃないっ!
などと、とりとめもないことを考えているうちに、あたしはほんとーに眠り込んでしまった。
「おお。我が家で勝手に寝ている浮浪者を発見したぞ。不法侵入で役場に突き出すか」
頭上で聞こえた声に目が覚める。
誰かがあたしの顔を覗き込む。ようやく瞼を上げかけたあたしの目に、濃紫の長い髪が映った。
――己稲っ!?
意識は瞬時にして覚醒する。飛び起きたあたしは、慌ててその場を飛びすさる。膝に開いていたままの書き本がばさりと大理石の廊下に落ちる。
「不法侵入ってあんたがあたしをここに呼んだんでしょっ!」
「ほう…… そーだったか……」
――おい。
「ならば窃盗容疑で役場に……」
「あああああっ! この本はっ! 違うのっ!」
あたしは慌てて開いたままの書き本を拾い上げる。
「故意じゃなく持ってきちゃったのよ。慌ててて。……だから、その……緊急事態だったのっ!」
自分で言ってて、すこぶる怪しい言い訳である。
「ほう……」
案の定、あたしの腕に抱える本をじと目で見る己稲。
「今度どーくつ行くとき返すつもりなの」
あたしは小声でぶつぶつと――
――はっ! 考えてみたらこいつは覗き見犯じゃないかっ! 犯罪者に臆することなどないぞ。あたし。
「それより己稲っ! あんた男なんだってね! 樹葵から聞いたわよ」
「何!? 全く口の軽いガキが……」
長い前髪をかきあげる。現われた切れ長の両眼。……確かに、まごうことなき男だ。すらりとした体躯の紫蘭をしのぐ高身長に、体型が分からない古風な装いも、男性ゆえだったか。
それにしてもこいつ、女声出すのほんとうまかったよな。
「ずいぶん女装が板についてるけど、将来は女性になる予定とか?」
そーゆー事情なら、百歩ゆずって許さないこともない。
「違う違う違う違ぁぁぁうぅっ! 私は摩弥から身を守るため仕方なく、雪辱の涙をのんで――」
切なげな声で言い訳始めた己稲をあっさり遮り、
「てことはやっぱりあんた心底、男なんじゃない! よくも婦女の神聖なる露天風呂を……!」
「神聖な露天風呂ってのもヤだけどなぁ」
「露天風呂が神聖なんじゃないっ! 婦女のカラダが神聖なんだっ!」
「婦女……? ほかの客がいないことはちゃんと確認したぞ」
「なっっっ! あたしたちはいーんかいっ!!」
ぜぇぜぇぜぇ……
「まあ落ち着け。あれは任務ゆえ止むを得ずとった作戦。摩弥のせいで私は恥辱の涙をのんで作戦を決行したのだ。幼児体型のガキどもに興味はない」
「ぬわにいいっ?」
「安心しろ。見苦しーもんはなるべく見ないよーにしたから」
「紅灼溶玉閃、我が前にあるもの 其の炎が中にうち囲み給え!」
ぼおおおおお……
瞬時にして火だるまと化す己稲。
ざまーみー。
「あちちちちっ、何すんだおまえは。魔術ってのはそんな見境無く使うものじゃないんだぞっ! 魔術を使うものの心得とか教えられてないのか」
「体中ぷすぷす言わせながら説教すんな。おっさん」
「おっさんんんん? 私はまだ一の位切り捨てれば二十代だぞっ!」
「四捨五入すると三十なんでしょ」
「う…………」
図星だったか。
「でも十の位、四捨五入すれば〇才。ふっ。同い年だな。少女よ」
「嬉しかねーよ」
「そ、そんな大人に向かって悪態ついてっと――」
「同い年だったんじゃないんですか……?」
「……と、とにかく夕露を返してやらないぞ」
「べつにいーけど。そんくらいなら」
「…………」
「……じゃなかった。夕露どこにいるの? 早く開放してあげて!」
「おまえ今一瞬本音が出ただろ」
「………… 夕露どこにいるの? 早く開放――」
「すぐ近くにいるぞ」
思わず辺りを見回すあたし。
すぐ近くの部屋の扉に目を向ける。
「そこにはいない。もっと近くだ。左右にはいない。前にも後ろにもいない。――とすればどこだ……?」
「下っ?」
大理石の上にかがみこむあたし。
「なぜそーなる」
あ。上か。
あっさり見上げてあたしは一瞬絶句した。
「てんじょーから、何かぶるさがってるううううっ!!」
「おまえのともだちだろーが」
「だって――髪の毛より、頬の肉とか唇とかが垂れ下がってんだもん<」
「重力の為せる業だ」
溜め息ついて言った己稲の言葉に、あたしは摩弥のノートの呪文を思い出した。
――褐漠巨厳壌、其の大なる力を以て……――
その言葉は重力を示している。
時を越えるには、大地に働きかけ重力を導きだし、その力によって空間を歪めて輪虫洞をつくりだし――
やめよう。また眠くなる。なぜ最初に洞窟の中で摩弥のノートを読んだときは眠くならなかったのだろう。
…………
そーだっ! あのときは、おなかいっぱいじゃなかったから……!
「玲萌せんぱ~い……」
「あ、夕露じゃない……! そんなとこにいたの……? 探したのよ、心配したのよ!」
「白々しいぞ。おまえ」
「黙っててよ。かんどーの再会なんだから。夕露……天井に縛り付けられてるの?」
「違くて……自分で浮いてるんですけど降り方が分からなくって……」
「えっ夕露、魔術使えるよーになったの!? ――てゆーか、呪文覚えられるよーになったの!?」
「私が無理矢理覚え込ませたのだ。私は本来剣術士だから魔術は使えないのだが、あの宙に浮く術だけは使えるようにしたのだ。便利だからな。人をおどかすときとかに」
どーゆー理由だ。それは。
己稲は夕露を見上げ、
「降り方が分からないだと? 地に降り立つところをイメージするのだ。ほらやってみろ」
夕露を見上げるあたしたち。
夕露はそっと瞼を閉じて――
べちっ
いきなり地面に激突した。
「痛ぁぁぁぁぁ……」
「大丈夫……?」
鼻つぶれてるよ。ねえ。
夕露はまっさらになった顔の表面をさすりつつ、
「なんか顔のおうとつぐあいが変わったみたいですけど、なんとか」
「い、今のはほんとにイタかったよね。いくら夕露でも」
「一体なにをイメージしたのだ……おまえは……」
「頭ん中で『じめんんん!!』って叫んだだけですよぉ」




