17.時を越える方法(1)
あふれんばかりの陽光に満たされた世界は、暗い屋敷を徘徊していたあたしたちの目に眩しく煌めいた。微風にまたたく木漏れ日が、屋敷の古い外壁に光の網をかける。
樹葵はあたしの手を引き、若草を踏んで進む。その銀色の髪も、真っ白い鱗も初夏の日差しを反射して、彼自身が光になったみたいだった。
「結構歩いたけどだいじょーぶ? ちゃんと帰れるの?」
樹葵に案内されたのは、屋敷の裏手にある小さなひだまりだった。すぐ横の斜面は林になっている。
「俺、ここに住んでんだぜ。迷うなんてわけないない」
振り返って、鼻の先でぱたぱた手を振る。
「でもきみって……一日のほとんどをあの陰気な地下室で過ごしてるんじゃないの……?」
「おおっ! それって盲点!」
「『おおっ!』じゃにゃいわよっ! ちゃあああんと戻れるんでしょーね? さっきの地下室に」
「さっきの地下室って俺の部屋か?」
「そーよ」
憮然として答えるあたし。
「やだなぁもぉ玲萌ったら。俺の部屋で二人きりになりたいなんて」
「すっとぼけてんじゃないわよっ!」
顔がほてるのを感じたあたしは思わず、肩からさげていた小さな布の鞄を振りあげる。
「をぶっ!?」
「や。ごめん」
鞄の中には先程洞窟から持ってきてしまった書き本が入っている。これの角が運良く遠心力で横っ面に当たってしまったらしい。
「で、なんでこんな遠くまで歩いてきたのよ。紫蘭から逃げるにしても」
「まあちょっと聞きたいことがあって」
「聞きたいこと……?」
急に真面目な表情で振り向いた樹葵に、あたしも思わず眉をひそめて問い返す。
「うん。あんた……俺に会うの初めてか?」
「初めて――だと思うんだけど」
あたしは壁から少し離れた木の根元に腰をおろした。
「『思う』って……?」
あたしのとなりに座った樹葵の目を見た瞬間、ずいぶん前にも彼の、南の海を思わせるエメラルドの瞳を美しいと思ったような気がした。でもその記憶は、たぐり寄せる前に指のすき間からこぼれ落ちるように消えてしまった。
「きみと喋ってると何となく初対面じゃないような心持ちがするのよ。でも会った覚え、なんてはっきりしたもんじゃないな」
「そっか……」
と、小さく呟いてうつむく。
あたしは木洩れ日に透ける樹葵の銀髪をぼんやり眺めていた。それはほとんど白に近い。
「あたし、葦寸に来たの昨日がはじめてだから。三十三日前も二年前も白草――ってあたしの生まれた街なんだけど……」
樹葵がいきなり顔をはねあげた。
「玲萌、白草から来たのか?」
「そーよ。行ったことあんの?」
「いや、住んでたんだよ。もう二年くらい帰ってねえけど。じゃあ大商堂って店知ってるか?」
「知ってる知ってる。半分腐りかけた野菜に『新鮮』って札つけて売って客のひんしゅくかった……」
「そこそこ。俺の家の近くだったんだけど。まだつぶれてないか?」
思わず地元ネタで盛り上がるあたしたち。
「あそこ持ちなおしたのよ。近くの商店街に客とられてちょっと真面目になったみたい。津荒産のあじの干物ってのをどこからか仕入れてきてね、あれ大商堂にしかないんだけど、むちゃくちゃうまいんだわ」
「いーなー、食いて~。俺のねえちゃん、あそこの勘定やってたんだよな。
あ、じゃあ玲萌、橘医院は知ってっか?」
「もちろん。白草で唯一、王立魔道医協会からお免状を受けているお医者様だもん」
実際は免状を持たないただの薬師が医療行為をおこなっていることがままある。特に田舎では。白草は都から一番近い宿場町なので、都で学問を修めて免状をいただいた魔道医が住んでいるのだ。
「あたしはあんまりお世話になったことないけど、時々みかけるよ。きれいな朱色の髪の美人先生だよね」
「ふっふっふっ」
いきなりふんぞりかえる樹葵。
「なによ」
「あの人、俺の母ちゃんなんだぜ!」
まじか。お母さんが赤い髪の魔道医で、似たような髪色の魔道医に恋するって――
「俺が物心ついたときにはうちの両親、別々に住んでたからさ。ねえちゃんと二人でしょっちゅう母ちゃんちに遊びに行ったんだ。楽しかったなぁ」
きらきらと屈託のない笑顔を浮かべる樹葵を見て、きみはマザコンなのかい? とつっこむのはやめておいた。
ひとしきり地元ネタで湧いたあとで、樹葵は心を決めたように大きく頷いた。
「やっぱり間違えないよ。俺があの森で会ったのはあんただった―― 名前まで確かめたんだ」
じっとあおい雑草を見つめる緑の瞳に、いつになく真剣な光が宿っていた。「玲萌、俺全部話すよ」
「全部――?」
わけが分からずあたしは、遠く啼き交わす山鳥たちの声を聞いていた。
「玲萌は、時を越える呪文と装置があるって言ったら信じる?」
あたしはどきっとした。言うまでもなく、葦寸の洞窟から持ち出してしまった書き本の内容がそれだ。おそらくこの本を書いたのは摩弥その人ではないか。時空間魔道や天文学にも精通した彼女なら、『本当の事』とやらを探求するため時を越える方法を研究していても不思議はない。今より魔道が進歩した未来に、一縷の望みをかけたのかもしれない。
「樹葵があるって言うんなら信じるよ」
「そっか。どーも。次。もっと信じにくい話。三十三――いや、三十四日前、俺は過去に行ってきた」
「マジ!?」
あたしは思わず大声を出した。
「すっごい大発見じゃないの…… 時を越えられるなんて……」
本題を忘れてあたしは興奮した。
「でもいーわけ? 過去が変わっちゃったりしたら大変じゃない。そんな魔術と装置が出来ちゃったなら、それ相応の決め事も作らなきゃならないし、それこそちゃんとした施設で――国の魔道研究所とか……」
「この屋敷は無法地帯だからね。人体実験もやり放題だし。俺が生きてる証拠だけどさ」
「でも―― まさか時を越える装置が完成してるなんてね……!」
理論だけで、まさか使えるとは思っていなかったのだ。しかも実際過去へ行ってきた人間が、目の前にいるなんて!
「完成してたかなんて知らないよ。でも使ってみたら行けただけ」
「ちょっと! それって無茶苦茶危険じゃないの! もしかしたら永遠に時空の狭間をさまよう羽目になってたかもしんないのよ!」
樹葵は小さな溜め息をついた。
「あの時はそれでいいと思ってた。むしろそうなればいいとさえ――」
「なん……で――? 樹葵が?」
らしくない、と思う。
「俺って、悩みそうにゃあ見えねえだろうけどさ」
自嘲気味にうつむく横顔が悲しい。あたしは慌てて言った。
「あたしだってよくそう見られるよ、でもほんとは全然そんなこと無いんだよね」
「俺だって今はもう消えたいなんて、思っちゃないけどさ。ちょっとおかしかったんだよ、あの頃の俺は。今は馬鹿だと思うし、哀れだとも思う……。死って結論しか出せなかったんだから。たとえ、自分の命より大切な人のためにしたってね。なんだか―― 一月前の俺はもう、別人なんだよな。少なくともそう思いたい。そして思い出したくない自分になったんだよ。過去の闇に永遠に葬り去りたい、ね……」
「葬り去ったりしちゃあだめなのよ。たとえ認めたくなくたって、そーゆー過去の積み重ねが、かけがえない、たったひとりのあんたを作ってゆくんだから。過去が何かを生み出すことはなくともね、今のあたしたちが過去から何かを見出だそうってことは出来るはずよ。いろんな経験をすれば、いろんな人の気持ちが分かるようになるんだし」
「そーゆーもんかな……」
「そーゆーもんだよ。だってあたしはそうだもん。ツライツライ言ってた頃もね、時間が経てば笑って話せるもんなんだから」
「そうかな……
でもあんたに会って良かった。あのとき玲萌が現れなかったら――」
「あのときって――?」
「俺が三十四日前、過去に行ったとき、そこにいた玲萌が俺を変えてくれたんだ。俺ってほら、影響受けやすい性格だから」
「ちょっと待ってよ」
はにかむように微笑んだ樹葵をあたしは遮った。「過去のあたしに会ったってこと?」
背筋が寒くなってゆく。自分が自分でないような、奇妙な恐怖に襲われる。
「あたしは何も覚えてないのよ、樹葵に会ったのはいつのあたしなの?」
真剣に問い詰めると彼はたじろいだ。「だから―― 二年前じゃないの……?」
「本当に過去に行ったの? 未来じゃなくて? 間違いない?」
あたしは重ねて問う。
「俺は旅に出る前の、白草にいる自分を必死で頭に描いたんだから」
「頭に描くだけで日時と場所が決められるわけ?」
思わず疑いの眼差しを向ける。
「呪文を唱えながらね。念じるんだ。はじめて使うときは、輪虫洞っていう過去への道を作るために、魔力を著しく消耗するんだ。帰り道は同じ道を通るんだけど、同じ道は出来やすくなってるからなんとか帰れたんだよ。でもその後数日、魔術が使えなかったけどね」
あたしは考え込んだ。だがいくら考えても何も出てはこなかった。
「二年前でしょ?」
「厳密にゃあ二年半くらい前かな」
たった二年半で、これほど個性的な人との邂逅を忘れてしまうものだろうか? しかも二年前と言ったら、まだあたしは王立魔道学院の一回生――十三才である。樹葵の役立つようなアドバイスができるとは思えないのだが……
「そのとき玲萌が俺としたふたつの約束ってのが――」
「三十三日後、樹葵に会うこと。もひとつは?」
何かが頭の隅に引っ掛かった。
三十三日後に再開する約束、二年前の約束――
「三十三日間」、「二年間」―― それは樹葵の時間? あたしの時間? それとも……?
「もうひとつは―― もういいよ。それは俺にも出来ることなんだ。昨日考えてて、決心ついたよ。玲萌は――言葉悪いけど『部外者』なのに――第三者だからいいアドバイスをくれたけど、俺がいつまでもその第三者に頼ってるわけにはいかないだろ。自分たちの問題は自分たちで解決するから」
照れくさそうに、人なつっこい笑みを浮かべる。そのまま何も言わないあたしに、樹葵は思い出したように尋ねた。
「そういえば今日もうひとりの女の子一緒じゃないの? あの地下室の扉破りの」
「夕露? それがあの馬鹿また誘拐されちゃって――」
あたしは昨日の夕方入浴中、夕露が己稲という女に連れ去られたことを話した。
はじめ要領を得ないよーな顔をして話を聞いていた樹葵は、やがて腹を抱えて笑いだした。
「なによ」
「風呂場を犯行現場に選んだって? あんたも夕露も気付いてねーの? 己稲は男だよ」
「ぬわあぁにいい!?」
「いや、だから己稲は男……」
「聞いたわよっ!」
「だいじょーぶだよ。入浴中なら追いかけらんないだろーって風呂を犯行場所に選んだだけで、あいつ魔道医学に夢中で変な下心なんてないから」
「そもそも女湯浸入自体が犯行だっつーの!!」
「まあ着物脱いで生まれたままの姿になりゃあ、男も女もヒトっつー生き物でしかねぇし。性別なんたぁひとつの個性。これからは多様化の時代……」
「そぉぉぉゆぅぅ問題じゃなあああいっ!」
「あっそーなの? べつに見られて困るほどのものでもないよーに思うが」
「どこに視線やっとんじゃぁぁっ!!」
立ち上がりざまに放ったあたしの蹴りが、まともに樹葵の顔面をとらえた。
「……だからぼーりょくは反対って……」
「もぉいーわよっ! 夕露だってどーせこの屋敷のどこかにいるんでしょ。自分で探すから!」




