14.昼下がりの地下室(1)
暗い穴から這いだすと、そこは雑木林の中だった。
地下道の出口は、入り口同様急な勾配になっている。先に地下道から抜け出した凪流があたしに手を差し伸べてくれる。
揺れる葉の間から零れ落ちる太陽の光が実に喜ばしい。
「よっ……と。ここは――どこかな」
「玲萌くん、あそこに建物が」
木々の間から凪流の指差す先を覗いてみれば、重厚な造りの黒ずんだ館――
「あれって紫蘭の館じゃない?」
あたしは思わず駆け出した。凪流も慌てて追ってくる。
雑木林を走り抜けるとそこには、あの古い館があたしたちを威圧するように堂々とそびえていた。
「なんでこんなとこに出るのよ……」
二人並んでぼーぜんと黒い館を見上げる。
地下道は渓山の真下を突っ切りこの館まで延びていたのだ。途中からのぼり坂になったのはこの館が丘の上にあるためだろう。
「玲萌くん伏せてっ!」
突如響いた凪流の声に身を低くしたあたしの頭上を、一条の矢ががかすめて過ぎる。空を斜めに斬り凪流の後ろの幹に突きささり――
どっかぁぁぁん!
大爆発を引き起こした。
やじりに火薬が仕込んであったようだ。
「威嚇射撃だ。安心しな」
低く呟いたその声に振り返れば片手に弓を下げ、足元にえびら(矢入れ)を転がした己稲の姿。
――威嚇射撃だとぉ? 今のよけてなかったら思いっきり脳天直撃だぞお!
己稲はひとつ、咳払いしてから、
「遅いですわ。ずいぶん待ちましたのよ」
ころりと声音を変えて言った。己稲が書状に記した場所は、どうやらここだったようだ。
「己稲……!」
凪流は小さく呟くと己稲の方に向き直り、
「夕露くんを連れ去るとはどーゆーわけです。何か然るべき理由あってのことなのか?」
と、咎める口調。昨日自分がやったことはとっくに忘れたらしい。
「もちろん。夕露さんを連れ去ったのは摩弥のため。玲萌さん、あなたをここまで呼んだのは紫蘭のため」
己稲はさらっと摩弥の名を出した。あの天才魔道医・紅摩弥なのか確かめる必要があるが、今はそれよりも――
「昨日の紫蘭は、夕露は手違いでさらわれたって言ってたけど?」
抗議の声をあげるあたしに、
「そんなこと聞かされてないですわ。紫蘭はただもう一度あなたと戦いたいから呼んでくれってだけですの」
――くっそ~紫蘭の奴……。なんて脳筋だ! 必要事項を先に告げろよ。
胸中毒づいていたあたしに、
「さあ、あの木のようになりたくなかったら紫蘭に会ってちょうだい」
先程の矢にあって、未だうっすらと煙を吐いている焦げた幹を指差す。
「それで、夕露は?」
「さあ。摩弥に聞かないと。彼女がどうするかは決めるでしょ」
「今どこにいるの?」
「この館のどこかに」
気の無い返事が返ってくる。
えびらと弓を握った己稲に追い立てられて館の扉をくぐると、凪流がはっと顔を上げた。
「やっぱりこの屋敷の一室ですね。昨日僕が連れてゆかれた部屋は」
「あんたは今朝もまだ、ここにいたのよねぇ?」
「ええ。睡眠薬入り朝食はここでとりましたからね」
「それで、あたしが到着する前に葦寸の洞窟に寝かされていた……」
あたしが洞窟に着いたのはまだ昼前だったはずだ。紫蘭の館から葦寸の洞窟までまともに歩けば二刻半(五時間)はかかる。あたしは昨日、今日と渓山を越え、そのくらいの時間をかけて歩いてきた。凪流を連れ去ったえんじ色の髪の女は、先程の地下道を使ったのかもしれない。それなら一刻(二時間)弱ですむはずだ。
そう考えれば、地下道の地面に残されていた二本の溝についてもうなずける。今朝方、大八車でつけられた新しい轍だったのか。
だが―― なんとなく協力者として、大人の男の影がちらつくんだけどなあ。
魔術は便利だが万能ではなく、一刻という長い時間発動させ続けコントロールするのは無理がある。
すると注射器より重いものを持ったことがなさそーな仮・摩弥が凪流を乗せた大八車を引いて、地下道を一刻も歩いたというのか?
前を歩く己稲は確かに長身で大柄だが、重ねた袿を引きずる姿に肉体労働のイメージはゼロ。
華奢な手足の樹葵はいかにも非力そう。
体力あり余ってる紫蘭なら可能か……
「あんたが言う摩弥ってあの天才魔道医の?」
薄暗い屋敷を明かりも持たず、ずんずん進む己稲に、あたしは後ろから声をかけた。
「もちろん」
「髪、何色だっけ?」
「えんじかしら」
凪流がどきっとしたように顔を上げた。
「今、どこにいるの?」
「さあ」
また気の無い返事。
「葦寸の洞窟にいたりはしない?」
「さあ。この屋敷の研究室だと思うけど」
「ここに、あの摩弥がいるの?」
「たぶんね」
鼓動が速くなってしまった。紫蘭や樹葵に比べ、あまりにすらすらと答えが返ってくるので逆に何を聞きたいのか分からなくなってくる。長い廊下を歩きながらもっと色々なことを聞こうと思ったが、己稲は突如現われた階段の前で立ち止まった。
「そこをおりれば紫蘭がいる」
そうしてさっさと背を向けるとまた足早に遠ざかり、廊下の闇に溶けてゆく。
いつまでも足音だけが残っている。
「ま~ったく変なお屋敷ね~」
あたしは見覚えのある階段を見下ろして溜め息をついた。
ここまでどんな道をたどって来たかと聞かれても答えられない。
玄関を入ってすぐの、吹き抜けの広間から細長いテーブルの置かれた右の部屋を通り、その奥の小さな部屋へ……までは分かったがその後はもうどこをどう通ったのか、ほとんど覚えていない。
目の前には、昨日夕露が扉を壊した樹葵の地下室へ続く階段がある。
「あたしと夕露は昨日、この下の部屋で樹葵に会ったのよ」
後ろをついてくる凪流に説明しながら、薄暗い階段を慎重に降りる。
「肩から角はやしてる人でしたっけ? 彼はなぜそんな姿をしているんです?」
あたしは凪流の方を振り返り階段の壁に寄りかかった。
「そんなの本人に聞かなきゃ分かんないけど、でもなんとなく昨日の感じだと……」
――この館に摩弥はいないの? そう尋ねたあたしに樹葵は赤いハ虫類をてのひらに乗せたまま、確かこんな答えを返したはずだ。 ――こいつや俺を見て考えられる限りのことが事実なんだよ……
そして事実摩弥はこの館にいるという。だとすれば――
「――摩弥の実験の被験者ってところかな。飽く迄あたしの予想だけど」
「玲萌くん!」
再び歩みを進めようとしたあたしの襟を凪流が後ろから引っ張った。
「ぅどわぁ! なによ」
「もし僕を連れ去ったえんじの髪の女が摩弥だとしたら、僕もその樹葵って人と同じような目に――?」
そう言ったなり階段の途中に立ち尽くしたまま動かなくなってしまう。
「大丈夫よ。ちゃんと逃げてこられたじゃない。第一、葦寸の洞窟にいたのが摩弥とはまだ決まってないんだし。なんの接点もないって、あんた自分で言ってたでしょ」
今のところ、この館と葦寸の洞窟を結ぶものはあの地下道だけである。「だけ」とは言ってみたものの、大きすぎるほど大きな証拠だが。
「ああ……もしそんなことになったら――僕は……一体……冬はどんな服を着ればいいんだろう!」
あたしは無言で階段をおりていった。




