13.洞窟に潜む鬼?(2)
大小様々の石が湿った土から顔を出す地下道を、凪流は足早に進みはじめた。
石の箱はからっぽだったのではなく、地下道への入り口だったのだ。
狭い地下道はあたしが来た方向――つまり渓山の真下へとのびていた。
辺りの空気は次第に湿度を増してゆく。果たしてこの地下道に出口はあるのか。先程から道はずっと平坦である。
普段は冷静沈着な凪流が先程はただごとではない焦りようだったため止めるいとまが無かったが、こんな地下道を歩いていても不安が増すばかりで何も得るものが無いのではないか。
そもそも彼は何にこれ程怯えているのか。
「つかまったら……どうなるわけ?」
あたしはそれを聞いてみた。
「つかまったら――」
凪流はそこで言葉を切る。
あたしたちの足音と荒い息遣いだけが頼りない炎に照らされた地下道に響く。
「分からない…… 分からないから怖いんです……。あの女が一体何を考えているのか、何が目的なのか……。僕の理性では全く割り切れない」
彼にしては珍しく、ゆっくりと紡ぎ出されるその言葉は途切れ途切れだった。
「いや、僕だけじゃない、世間の常識から逸脱しているね……。あの女の行動は。だから…… あの女が僕に何をしようとしていたかも分からない…… そのことが――分からないことが僕には恐ろしいんですよ……」
自分に理解できないものがこの世に存在することにだろうか、それとも理解できないということ自体になのか、彼は愕然としているかのようにみえた。
凪流には分からないということなど、今まで無かったのかもしれない、と考えてあたしはすぐに首を振った。そんな人間いるわけない。ただ彼は分からないと思えたことでも分かろうとするのだろう。世間の常識に当てはまるよう、自分を変えていくのかもしれない。あたしだったら世間の常識を論破する方法を模索するところで――。
「なんで洞窟にいたの? 昨日あれから何があったの?」
「ああ、最初から話そう。――昨日君の術にぶっとばされて気を失っていた僕が目を覚ましたところは、暗い部屋の中だった。重い木のドアには鍵がかけられていて――」
そこは十畳程の洋間で、床には古びた絨毯が敷かれ、壁紙は時を経て変色し、すべての窓に板が打ちつけられていたという。寝台と卓、そして二脚の椅子が置かれていたと聞いて、あたしが思い出したのは樹葵のいた地下室だった。
「その部屋は洞窟の中じゃないんでしょ?」
「うん。僕は何となく昨日、夕露くんを連れてこいっていう話を聞かされた紫蘭の館じゃないかと思う」
絨毯が敷かれた洋間なら、その可能性が濃厚だ。
「まあ洞窟の中ではない。暗くて陰気な部屋だけど、あとから連れていかれた洞窟内部の研究室と比べれば壁などずっとましでしたからね」
「洞窟の奥って研究室なの?」
「順を追って説明しますよ」
「じゃあ、ひとつだけ先に聞かせて。その女ってゆーのは誰?」
凪流は呆れた素振りで溜め息をついた。
「彼女は名乗ってないんでね。あいにく分からない。まあとにかく目を覚ました僕の前にいたのが、あのえんじの髪の女だった」
凪流の歩く速さは先程に比べずっとゆるくなっている。落ち着いてきたらしい。
彼は先を続けた。
「彼女ははじめ白い布を頭から深くかぶっていたんですよ、昨日の夕食のときまでね。夕食を僕と一緒にとるんで、彼女はそれを外したんだから」
「いーなー。夕食までご馳走になったの?」
「今日の朝食までですよ。特製睡眠薬入りのお茶を頂きましたからね」
「えっ…………」
凪流の話によるとその女性は、歳の頃なら二十歳すぎ、目鼻立ちが際立って整っているわけでもないが、見る者を引き付け離さぬ神秘的な魅力をまとった人だったという。赤みがかった瞳に力があり、有無を言わさぬ強い光に恐れながらも、知らず知らずに吸い込まれてゆくよう――だそうだ。
彼女は目の下に小さな火傷痕のようなものがあり、夕食時、凪流の正面に座り白い布を上げると、
「あなたはこれ、気にする?」
と傷跡を指さし、本人もさして気にかけていない様子で尋ねたという。
「いいえ」
と答えた凪流に彼女はそっと瞼を閉じ頷いたらしい。
「あのとき『はい』とでも答えておけばあとであんな目に遭わなくて済んだような気がするんですよね。僕は何か彼女の検定基準に受かってしまったような気がする」
その晩凪流は連れてこられた部屋の寝台で眠りについた。その女性とは夕食までの数時間と食後から就寝まで、とりとめのない話をしたそうだ。ただ、
「どこから来たの」
という彼女の問いに凪流が、
「白草からです」
と答えると、彼女はツと凪流から視線をそらし遠くを見つめ、
「そう―― あの子と同じね……」
と哀しい笑みを浮かべて呟いたという。
その言い方が気になって凪流は「あの子」について問い詰めた。だが彼女はそれに答えることはなく、凪流にとっては核心に触れぬ言葉しか聞き出せなかったそうだ。
「――妥当な方法で自分を表現できないわたしが、結局いとしいあの子を死に追いやるのなら、その前にわたしはあの子を手放さなければならない」
凪流からその答えを聞かされて、あたしは思った。これ程核心に触れる言葉は他に無いんじゃないかと。
そして翌朝――つまりは今朝だが――凪流は朝食の途中、急激な睡魔に襲われ倒れ込む。再び目を開けると昨夜とは異なる堅い寝台に、上半身裸で寝かされていた。傍らに立った彼女の右手には注射器が握られていたという。
「血液検査をさせてほしいの。まだそれだけよ」
注射が大の苦手だった凪流は悲鳴を上げ、そのまま寝台の側に掛けてあった自分の服をひっつかんで逃げてきたのだ。
「じゃああんた、注射にビビッて逃げてきたってわけ? 血、抜かれそーになっただけ?」
「れれれ玲萌くんっ、君はそんな簡単に言いますけどね、『まだそれだけよ』なんて妖しい笑顔で言われた僕の身にもなって下さいよっ!」
う~ん…… 確かにそれは、ちょっとコワイかもしんない……
自分が連れ去られたわけも、彼女が何をしたいのかも全く分からなかった凪流は、彼女から未知の不気味さを感じたらしい。
「最初に食事を出されたときは思いっきり警戒したんですよ。でも二度ともなんともなかったじゃないですか。それで三度目の食事に睡眠薬を入れるってのが気に入らない。でも僕はすぐにおかしいって気付いたんで、彼女が飲まそうとしていた量より少なかったと思うんです、僕が実際に飲んだ量は。だから僕が目を覚ましたとき、彼女は慌てたんじゃないかな」
そして慌てた彼女は、こんなことを口走ったという。
「あなたにはあの子の替わりになってほしかったのに―― わたしはあの子から離れなければならないから。ああ、あの子に替わる程の人などいないと知りながら、なぜわたしはこんな愚かなことを――」
四方を土の壁に囲まれて息の詰まりそうな道は、いよいよ湿度を増してきた。
「玲萌くん、地面についているこの溝みたいのはなんの跡だろう」
先程から視線を下に向けて歩いていた凪流が足元を指さす。そこには確かにごく浅い二本の溝が、互いに肩幅程の距離を保って、地下道の入り口からずっと続いていた。
「さっき入り口にあった大八車? あれでなんか運んだのかな」
あたしも首をかしげるしかなかった。
二本の線はあたしたちの後ろにも前にも平行を保ったまま延々と続き、闇の霞に吸い込まれてゆく。
夕露が見つけた凪流の眼鏡を彼に返してから、
「ねえ凪流、あの天才魔道医の紅摩弥って髪何色だったっけ?」
「え? さあ。瓦版で見た似顔絵は黒摺りだったから分かんないなあ……。なんで急にそんなこと聞くんですか?」
「いや、その凪流を洞窟に連れてっちゃった人……」
「それが摩弥? 注射器取り出しただけで魔道医ってのは単純すぎませんか? 摩弥の名は僕に夕露を連れてくるように頼んだあの紫蘭とか言う女がちょっと口走ったかもというだけですよ。それがどうして洞窟に出没するんです。
それより次は君が話す番です。まず夕露くんはどこへ行ったんですか?」
あたしは延々(えんえん)と続く地下道の先の先の闇を見つめながら溜め息をついた。
「……またさらわれちゃったの」
「また? いつ、どこで?」
こいつにこーゆーふうに問い詰められると責められてるよーな気がする……
「昨日。風呂場で。己稲って奴に」
ぼそっと答えたあたしに凪流は意外にも考え込んだ。君は夕露くんがさらわれるのを黙って見ていたのかなどとイヤミ言われそーでうんざりしていたあたしはちょっと安堵した。
「とうとう己稲が出ましたか。そう言えば紫蘭も己稲のことを言ってましたね。確か昨日の朝、僕に夕露を連れてこいって言ったとき――」
「それってきみが摩弥の名を耳にしたときでしょ?」
「ええ。確か紫蘭はかなり気が焦っていたようで――」
「あいつ短気そうだもんね」
物干し竿片手に姿を現し、いきなり呪文を唱えだした紫蘭の姿が脳裏に浮かんだ。
「短気そう――って、会ったんですか?」
「きみをぶっとばしたあとね。まああとで順を追って説明するから。それで紫蘭は己稲のこと何て言ってたの」
「己稲より早く、摩弥さまのため――ってとこですかね。そのために夕露と顔見知りの僕に頼んだと」
「じゃあ、紫蘭と己稲って敵同士なのかな」
「さあね。同じ人間の配下でライバルとも考えられますしね。ところで君は夕露くんを連れて紫蘭に会いに行ったんですよね? 昨日あのあと。紫蘭は夕露を欲しがらなかったんですか?」
「なんか手違いだったみたいよ」
あたしは昨日樹葵の地下室で繰り広げられた会話を凪流に話した。もちろん樹葵ってゆー性格も姿も変な奴がいることも伝えた。その上であたしは凪流の意見を聞いてみる。
「紫蘭に夕露誘拐を指示したのって摩弥じゃない?」
「まあ、君がそれを聞いたときの紫蘭の態度が怪しいですよね。でも摩弥が絶対紫蘭の後ろにいると確信している君の口から聞いた話から判断するのもねえ」
むかっ。
「まあ摩弥がいるかいないかは別にしても、なぜそんなに隠そうとするのか」
もちろん摩弥について世間が騒ぐのを避けるためとあたしは思ったが言わずに置いた。また、摩弥がいるとは決まってないなどと言われるのは面倒だからである。
あたしたちはしばらく黙ったまま歩みだけを進めた。
「結局誰も追ってこなかったじゃん。良かったね。凪流」
「ええ――まあ」
すっきりしない返事をする凪流。
「どうしたの?」
「絶対追ってきそうな雰囲気だったんですがね。だって僕を入れた部屋に鍵まで掛ったんですよ。あ~もうそーゆーところが気味悪いんですよね。一体何を考えているのか」
地下道は次第にゆるい上り坂になってきた。凪流は、疲れた足取りでついてゆくあたしを振り返り、
「そういえば玲萌くん、その本はどうしたんですか」
言われて思いだして、書物を肩から下げた布袋にしまう。凪流が急にあたしを洞窟の外に連れ出したものだから偶然持ってきてしまった旨を告げると、二三小言を言ったあとで、
「さっきの洞窟って『葦寸の洞窟』なんですか?」
「えっ、知らなかったの?」
あたしはかなり驚いて聞き返した。
「だって洞窟なんて中はみんな同じじゃないですか。今、君が葦寸って名前を出したから驚いて聞いたんです。それで――剣は無かったみたいですけど?」
「それがね……この本の置いてあった場所に剣があったと思うんだけど……。凪流、あんた洞窟内部の図持ってたよね? ちょっと見せてくんない?」
「それが持ってないんですよね。布袋ごとあの女のところにあるわけで」
うっわ~。埒あかないし。
「ま、どうせ金子は巾着ごと失くしたし、たいしたもの入ってないんですが。第一あの洞窟内部図って学院が作ったものですからね」
「あんま当てになんないかもね」
「あの学院は一々(いちいち)ずさんな管理体制ですから。剣だって、去年おととしと葦寸に行った学生が帰ってきてないんだから、二年前からそのままかもしれないですよ」
「とっくにさびてたりしてね」
「剣がないということは、僕たちはこのまま帰っていいのかな。学院側の封印術が不完全だったわけだから、白草に帰って師匠たちに事情を説明すれば、急遽ほかの修行課題を与えられるかもしれない」
色々な謎をそのままにして、このまま帰るってこと!? それはつまらない。あたしは慌てて言った。
「そーいえばね、夕露をさらっていった己稲って奴が、鳳凰の剣らしきもん持ってたのよ」
自分でも信じてないことを口にする。理屈っぽい凪流に白草直帰案を主張されるのはうんざりだ。
「それ、本当ですか? ――あれ、玲萌くん、空気の匂いが……」
「なに、毒ガス!?」
「じゃなくて外が――出口が近いのかもしれませんよ!」
「よっしゃぁ!」
あたしは思わず歓喜の叫び声を上げた。この隧道の出口がどこにつながっているかなど、知らなかったから――




