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あやかし漫画家黒川さんは今日も涙目  作者: 真木ハヌイ
5 黒川さんの里帰り
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5 黒川さんの里帰り その7

 それから、雪子は黒川に案内されるまま、屋敷を出て、近くにあるという清めの泉というところに向かった。そこで厄除けをするということだった。泉までは夜の森を歩いて進むことになったが、黒川がまた周りに青白い光を出してくれたので、特に不自由はなかった。


 道中、雪子はふと黒川に尋ねた。


「そういえば、ここって山の奥なのに、なんでテレビでアニメ見れるんですか?」


 そう、普通に考えれば電波が入らないところのはずだ。


「ああ、実は父の屋敷だけは、特別に東京と同じ電波が入るようにしてあるんですよ」

「? そういう工事をしてあるってことですか?」

「ええ。現代の情報インフラに精通した神気妖怪による、特別な、ね。おかげで、あそこはネットもスマホも使い放題です。ワイファイも飛んでますよ」

「す、すごい……」


 こんな山奥なのにあそこだけ東京と同じ通信環境とか。さすが妖怪、便利すぎる。スマホのギガがやばいときに頼りたい。


 やがて、二人は清めの泉に着いた。そこは岩に囲まれた場所で、周りにはいくつか灯篭があり、泉の水面はその青白い光と月光を反射させきらめいていた。名前の通り、とても綺麗な水がたまっているところのようだ。


「それで、ここで何をするんですか、黒川さん?」

「はい。赤城さんにはこのまま中に入ってもらいます」

「え、中に? 水の中に?」

「もちろん」


 にっこり笑いながらまたとんでもないことを言う男である。


「い、いや! 今、十月ですよ! こんな時期に、山奥のこんな泉に入ったら絶対冷たい――」

「大丈夫ですよ。この泉は、人が凍えるようなものじゃないですから」


 黒川はふとしゃがみ、泉に手を浸した。


 もしかして、温水でも入っているのだろうか? 雪子もその真似をして、泉に手を浸してみた。水は温水ではなさそうだった。ただ、不思議と冷たいという感覚もなかった。あたたかくもつめたくもなく、まるで自分の体の一部に触れてるような奇妙な感覚だった。


「服は着ててもいいですが、濡れるのが嫌なら脱いだほうがいいですね」

「え、脱ぐんですか、ここで?」

「はは、大丈夫ですよ。僕はあっちで背を向けてますから」


 黒川はそう言うと、近くの茂みの中に入っていった。


「こっそりのぞいたりしませんから、安心して脱いでください」

「は、はあ……」


 雪子はとりあえず、茂みの中からの声を信用することにした。服が濡れるのはいやだったし。すぐに着ているものを全て脱ぎ、泉に入った。泉の水はやはり冷たくはなく、不思議な感じだった。


「入りましたよ、黒川さん」


 肩までとっぷり浸かったところで、雪子は茂みのほうに声を張った。すると、そっちから「では、しばらくそうしていてください」と答えが返ってきた。


 しばらくってどれくらいだろう? よくわからないが、言われたとおりそこでじっとしていることにした。これもきっと厄除けに必要なことなのだろう。


 十月の夜の外気はやはり冷え冷えとしていたが、泉に肩まで浸かっている雪子は寒さはまるで感じなかった。むしろじんわり体の心からあたたまっていくような気配すらあった。


 これが清めの泉とやらの神秘の力なのだろうか? なんだかだんだん、温泉にでも入っているような心地よい気持ちになってきた。


 そして、そんななか、彼女の頭に思い浮かぶのは近くにいるであろう男のことだった。のぞかないとは言われたものの、それって自分の裸にはまったく興味ないってことなのかな、と、ちょっと残念なような胸中になっていたのである。


 でも、かわいいとは言われたし……。


 と、そこで、あの晩の黒川のことを思い出すと、とたんに顔が熱くなり、胸がドキドキした。


 なんであんな男にときめいているんだろう。そりゃあ、顔はいいけど、あの人、いくらなんでも社会人としてダメっ子すぎるでしょ。そうよ、あんなのダメっ子モンスターよ。なんだかよくわからない罵倒で、必死に胸にわいた感情を打ち消す雪子であった。


 ただ、本当に社会人としてダメなのか考えると、ちょっとよくわからない気もするのだ。


 というのも、彼は一応はプロの漫画家として、十年もの長きに渡り活動していた実績があるからである。それも大手出版社。そこは評価してもいいのではないか。


 そりゃあ、仕事量は異常に少なく、収入も雀の涙だが、そんな状態で目の前に転がり込んできたおいしい仕事、クリパンのコミカライズを彼は蹴ったのだ。彼なりに漫画家として譲れない矜持があるのだ。そこは、一人の漫画家として大いに尊敬するべきところではないだろうか? 死ぬほど売れてないにしても……。


「いや、でも、それで描いてるのがアレって……」


 ないない。あの漫画家を尊敬するとか、絶対ない。雪子はまたしても自分の中にわいた考えを否定した。そう、黒川を漫画家として尊敬するには、あまりにも彼の漫画は彼女にとってつまらなすぎた。恵まれた画力から、残念すぎる内容としか思えない漫画なのだ。


 せめて、私が読んでも面白い漫画を描いてくれたらな……。そう、もしそうなら彼への評価もだいぶ変わる気がする。別に売れてなくてもいいから。というか、今さら売れっ子になれるとは思えないし……。泉に浸りながら、いつのまにか、黒川のことで頭がいっぱいになっている雪子であった。


 と、そのとき、近くでぱちゃりと水の音がした。見ると、一匹の白い蛇が泉の中に入ってきたところようだった。

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