3 黒川さんたちはお金がない その7
その日、二人はいったんアパートに戻った後、夜行性の黒川はそのまま就寝、睡眠不足の雪子はそのまま出勤し、やがて夕方になった。雪子がふらつく足取りでアパートに戻ると、またいつかのように黒川が階段の踊り場で彼女を待っていた。手にはゆうべ片付けた討伐依頼書の束を握っている。あと、何か入った紙袋も。
「じゃあ、赤城さん。さっそくこの紙を現金に換えに行きましょう!」
「はあ」
今からじゃないとだめかなあ。眠いんだけどなあ。雪子はとりあえずそのまま黒川と一緒にアパートを出た。
黒川が向かった先は、とある高級住宅街の一角にあるマンションだった。その最上階に法務省の担当とやらが住んでいるらしい。場所が場所だけに、そこもいかにも高そうなマンションだった。
貧乏くさいジャージの男が中に入れるのかどうか、実にあやしいものだったが、マンションの入り口のオートロックのところで彼の呼び出しに対応した人物は、すんなりドアを開けてくれた。眠くて朦朧としていてよく聞こえなかったが、子供の高い声に聞こえた。
「その人って、妻帯者なんですか?」
「いえ、独身ですよ」
「でも、今、インターフォンに出たの子供ですよね?」
「ああ、彼には歳の離れた弟がいるんですよ。小学生の」
「へえ」
つまり、今の声は、小学生の弟の子かあ。あれ? どこかの誰かにもそういうのがいたような。まあいいか……。雪子は本当に眠いのであった。
やがてエレベーターで最上階につき、黒川は担当者の部屋のチャイムを押した。すると、インターフォンに誰か出るより前に、中から玄関が開いて、一人の少年が飛び出してきた。
「一夜兄ちゃん! 久しぶり!」
年のころは十一歳ぐらいだろうか。Tシャツに半ズボンという服装で、金髪碧眼で白い肌をして、人形のようなとても愛らしい顔立ちをした少年だった。雪子ははっと目が覚める気がした。なんで、こんないかにも外国人風の美少年が、黒川のことを兄と呼んでいるのか。
「あの、黒川さん、この子は――」
「ああ、僕の弟で、黒川聖夜って言うんですよ」
「え、弟?」
さらにその言葉で眠気が完全に吹っ飛んだ。確かに、表札を見ると「黒川」とある。
「じゃあ、法務省の担当っていうのは――」
「ええ、彼も僕の弟ですよ」
「白夜兄ちゃんっていうんだよねー」
と、美少年こと、聖夜が言った。また驚きの事実だった。
こんな売れない漫画家の、貧乏くさい陰気臭い、そのくせ性格だけは人一倍めんどくさい男の弟が、法務省なんてお堅いところで働いていたなんて。国家公務員、というか官僚だったなんて! いやまあ、それらしい話は黒川自身の口からなんとなく聞いてはいたのだが。
「で、聖夜。白夜はいるんですか?」
「いや、まだ帰ってないよ。今日も残業なんじゃない?」
「そうですか。じゃあ、勝手に中に入って待ってますか」
「あ、一夜兄ちゃん、その前にあれ」
「ああ、あれね。はいはい。ちゃんと終わりましたよ」
黒川は聖夜に携えていた紙袋を手渡した。ああ、そういえば、小学生の弟から夏休みの宿題代行を頼まれていたって話だっけ。それが、あれか。
その後、黒川と雪子は白夜の家に入って、居間のソファに座った。中は広々としていて、天井も高く、家具や内装も高級感にあふれていて、やはりとてもお高そうな住まいだった。なんでも、白夜と聖夜、二人で生活しているそうで、何日かに一度、メイドさんが家事をしにやってくるそうだ。セレブか何かか。
「すごいですね。弟さん、こんな豪邸に住んでいるなんて。めちゃくちゃ家賃高そうじゃないですか」
「ああ、ここはもとは悪霊つきの事故物件らしくて、見た目よりは家賃は安いんですよ。悪霊は当然、白夜が食べてしまいましたが」
「……な、なるほど」
やはりこの男の弟には違いないようだ。
「ただ、それでも家賃二十万なんですよね。さすが親方日の丸、いいご身分ですよね」
「へえ、割引価格でもけっこうするんですね。まだ若いのに、そんなところに住めるほど法務省の職員ってお給料いいんですか?」
「まあ、部署と役職にもよるんでしょうけどね。白夜はキャリア組のはずですし、そこそこもらってるはず――」
「え、キャリア組? それで法務省で働いてるって、もしかして超エリート官僚じゃないですか!」
雪子はますます眠気を感じてる場合ではなくなった。こんな社会の底辺にこびりついているような男の弟が、そんなエリートだったとは!
「本当に黒川さんって、その白夜さんと兄弟なんですか?」
「ええ、ちゃんと血を分けた兄弟ですよ。まあ、父親は違いますけどね」
「へ、へえ……」
同じ母親からこうも違う兄弟が生まれるんだ。おかしすぎる。
というか、血を分けたと兄弟ということは、やはり……。
「ということは、白夜さんも鬼の妖怪なんですか?」
「もちろん、彼も羅刹です。それが、人間のふりして官僚やってるんですよ。笑っちゃいますよねー」
「いえ、すごく立派なことだと思います!」
人間じゃないのに、人間社会のために働いている超エリート官僚とか、むしろ、尊敬の念しか感じないのだが?