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あやかし漫画家黒川さんは今日も涙目  作者: 真木ハヌイ
1 お隣の黒川さん
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1 お隣の黒川さん その2


「じゃあ、その額のケガは?」

「ここで太陽の襲撃を受けた僕は、とっさに、ここにあるゴミ袋の一つを手に取りました。それを持ち上げ、日よけにして身を守ろうと」

「え」

「しかしそれは思いのほかヘビーで、僕は一瞬にしてその重量で激しく消耗してしまいました。今日は燃えるゴミの日のはずなのに、なぜこんな重量級のゴミ袋がここに置かれているのか。中身はおそらく紙類の山でしょう。本か何かか。それらを古紙回収にまわさずに焼却処分しようという、地球に優しくない根性が気に食わない」

「それがあなたの額のケガとなんの関係が……」

「体力を消耗すると僕は足にくる体質なのです。それでバランスを崩し倒れました。そしてヘビーなゴミ袋に頭をぶつけ、中に入っている何か固いものが僕の額に命中しました。きっと本の角か何かですね」

「そんなことで、血まみれになるんですか」


 よわい。この男、太陽の光にも弱ければ、紙の本にも弱い! 虚弱すぎる……。


「ま、まあ、話はわかりました。たいしたことなさそうでよかったです」


 雪子はそう言うと、たずさえていたゴミ袋をそっと近くに置き、すぐにアパートのほうに戻ろうとした――が、


「お待ちください。僕をこのままここに放置するのはよくない」


 虚弱すぎる男が呼び止めてきた。


「え、まだ何かあるんですか?」

「僕はただ、日よけになるものがあればいいのです」

「あー、はいはい。そういう話でしたね」


 もはや相手をするのもめんどくさかったが、弱すぎる生き物をこんなところに置き去りにしておくのも、気分が悪い。雪子はいったんアパートに戻り、廊下に並べておいたダンボール(折りたたみ済み)の一つを取って、男のところに戻った。


「はい、これ使ってください」

「おお、ありがとう、やさしいひと」


 男はダンボールの板切れを受け取ると、すぐに日傘のように頭上にかかげ、立ち上がった。その顔はやはり影に包まれているが、濃さは少し弱くなり、男の顔立ちが雪子の目にも明らかになった。


 三十歳前後くらいだろうか。切れ長の瞳に、すっと通った鼻筋、薄い唇。目鼻立ちだけならよく整っているようだったが、顔色は相変わらず死体のようだし、両目の下には濃いクマがあるし、人相がいいとは到底言えない容貌だった。


 雪子はそのまま男から目を背け、自分のアパートのほうに戻った。だが、男は雪子の後をついてきた。どうやら同じアパートの住人らしかった。しかも、二階にまでついてくる。まさかとは思うが……。


「おや、僕たち、お隣さん同士なんですね」


 なんと、男は雪子の隣の部屋の住人だった。


「へえ、奇遇ですね……」


 アパートの廊下で男と目を合わせないようにしながら、雪子は適当に答えた。あまりかかわりたくないタイプだった。


「あ、赤城さんって言うんですね。はじめまして、どうもよろしくです」


 男は雪子の部屋のドアに貼られているピカピカのネームプレートを見ている。ついさっき、彼女が自分でそこに貼り付けたものだった。


「そちらは黒川さんっておっしゃるんですね」


 雪子もとっさに男の部屋のドアのネームプレートを見た。フルネームで「黒川一夜」と書かれていた。


「くろかわ……いちやさん?」

「かずやです」

「あ、そうですね。そう読むのが自然ですね」

「まあ、どう読まれようと、僕は全然気にしないんですけどね」


 男はニカっと笑った。やはり不健康さがにじみ出ている笑みであった。


「……じゃあ、私はこれで」


 雪子はそれだけ言うと、自分の部屋に戻った。隣の部屋に住む男は、実に絡みにくそうなタイプだなあとぼんやり思いながら。




 その日、引越しの荷解きを終えた雪子はすぐに、スマホでバイトの求人情報を調べてみた。やはり今は、何よりも先に仕事を見つけなければならなかった。引越しでだいぶ散財したし。


 しかし、求人情報を色々見て回っても、彼女はどれにも応募する気にはなれなかった。また働こうと考えるたびに、どうしても、前の職場でのとてつもなく嫌な体験がフラッシュバックするのだ。


 また同じ目にあったらどうしよう……。


 結局その日は、郵便局に住所変更の手続きをしにいっただけで終わった。同じ区内での引越しなので、区役所には特に行かずにすんだ。郵便局の帰りに適当にアパートの近所を見て回り、毎日の買い物に便利そうなスーパーを見つけ、そこで食料品をいくらか買い込んで家に戻った。必要な出費とはいえ、なけなしの金がまたいくらか減ってしまったなあと、危機感を覚えながら。


 季節は八月、お盆前。夕暮れの赤く焼けた空に、ヒグラシの鳴き声が遠くこだましていた。


 やがて家に戻り、一人で簡単な夕飯をすませたところでスマホに電話がかかってきた。電話番号は変えたばかりだったので、雪子にはそれが誰からなのかすぐわかった。新しい番号を教えたのはまだ一人しかいなかったからだ。


「もしもし、雪子? ちゃんと引越しできたー?」


 電話に出ると、案の定、聞きなれた声がした。声の主は、斉藤綾香。雪子の高校時代からの親友だ。

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