恒常 或いは衝動
推理小説のトリックの一つに「変装」と言う物がある。
読んで字のごとく、犯人がその容姿や衣服を大きく変化させることで、探偵を欺く類のトリックだ。
分かりやすい例で言えば、以前窃盗事件の項で触れた、怪盗物の作品だろうか。
主人公の怪盗ナンチャラが目的の物を盗むために、メイクやマスクを駆使して特定の人物に完璧に変装、ものの見事に潜入を果たす────という流れは、怪盗物における黄金パターンである。
まあ、誰にも見抜けないような、あまりにも完璧な変装となると、ちょっと非現実的になる──というより、双子のトリックと同様、ズルに近くなる──ため、トリックの中核としては用いられないことも多い。
あくまで、その怪盗のキャラを立たせるためのフレーバー、というべきだろうか。
しかし、特定の人物に完璧に変装、とまでは行かずとも、もう少し完成度を落とした変装をトリックに組み込む作品は、怪盗物以外の小説にも多い。
例えば、アリバイものではこれはうってつけだろう。
犯人の協力者に、犯人に似た格好をさせて別人に目撃させ、アリバイを作る。
或いは、被害者に似た格好をした犯人が外を歩き回り、死亡推定時刻をずらす。
この類のトリックは、推理小説を何冊か読めば、自然と出てくることになる。
考えてみれば、人間の印象というのは、服装一つでも大きく変わる。
ぶっちゃけた話、遠目から見た時に特定の個人を判別する方法として、一番確実なのは服の形や模様だろう。
服装に限った話ではないが、装飾品と言う物は、ほんの少し変わるだけで──例えば、いつも眼鏡を付けている人がそれを外すだけで──人のイメージに対して大きな変革をもたらすのだ。
数多の推理小説家がこの点に目を付けたのは、必然だったのかもしれない。
────逆に言うのであれば。
人間の印象やキャラクター性と言う物は、服装一つでいともたやすく変化する。
その奥に、どんなものが隠れているか、分からないのというのに。
多くの人間はきっちりとしたスーツ姿を見て「真面目そうな人だ」と、明るい服装を見て「遊んでいそうな人だ」などと判断するのだ。
しかし、往々にして、その認識が裏切られることはある。
あたかも、顔のマスクをべりべりと剥がした奥に、主人公の怪盗の顔があるように。
人間、一枚剥けば、思ってもいない面が現れるものだ。
今回は、そんな話になる。
『ウチの猫ちゃん~~~~葉さんに挨拶してます~~~~』
俺のスマートフォンに酷く「~」の多いメッセージが届いたのは、霧生が俺の家で夕食を取った日の四日後。
再来週から夏休み、という時期の、土曜日の朝のことだった。
「何だ……?」
一度は勘で夜明けを悟りつつも、休日特有の二度寝に浸っていた俺は、そのメッセージアプリの着信音で目を開く。
もぞもぞとベッドに寝転んだまま手を伸ばすと、充電器のコードに触れた。
起き上がるのも面倒くさく、横着してそのコードをずるずると引きずり、スマートフォンを手に取る。
「早見妹か……」
画面に映った名前を見て、そう呟いた。
同時に、ああまたか、とも思う。
驚きが無かったことは、間違いない。
というのも、「ボボさん」の一件で、俺と早見妹は某無料通話アプリの連絡先を交換していたからだ。
以来、こういうことはしばしばあったのである。
「俺にこういうのを送ったところで、楽しいんだろうか……いや、楽しいから送ってくるんだろうなあ……」
そうぼやきながら、俺はいよいよ体を起こした。
発端は、「ボボさん」の件が解決して、少し経った頃。
要するに、俺と霧生が早見にくだらない悪戯を仕掛けた日から、さらに一週間くらい経過した日の夜である。
その日の俺は、普段のように、学校から帰ってからも黙々と過ごしていたのだが────夕食後くらいに、手に持っていたスマートフォンが、その日に限ってブルリと震えた。
そして、画面には早見妹の名前が映し出されたのだ。
反射的に、それを既読にした記憶がある。
というのも、友人知人の類が極端に少ない俺の場合、こういったメッセージアプリの着信がある、ということ自体珍しい。
一応連絡の時などに困るので、学校のクラスにおけるアプリのグループには加入しているのだが(因みに霧生は同じクラスだが、そのグループにも加入していない)。
まあ要するに、一対一の方のメッセージ画面が出ること自体滅多に無いことだったので、動揺してすぐに開いたのだ。
そして、早見妹が長々と書いてある文章を読んだ。
端的に言えば、そこにあったのは、今まで二件の「日常の謎」において、協力してくれたことの感謝と、いずれ何らかの形でお礼をする、という約束だった。
かなり失礼な表現になるが、早見妹が書いたとは思えない程丁重な文体だった記憶がある。
後から聞いたのだが、どうも、その日の夜になって、早見妹は姉の方の早見に「お礼ぐらいはしなさい」と叱られたらしく、それを受けての連絡だったらしい。
まあ、叱られなくてもまたお礼はしようとは思っていましたけどね、というのは、早見妹の弁だ。
何にせよ、一度読んだ以上、既読無視とはいかない。
俺はその辺りの現代的なマナーにかなり疎いが、さすがにその程度のことは分かった。
故に、俺はポチポチと文字を打ち込んだ。
礼の必要はないこと。
こちらこそ霧生と連絡を取ってもらい、協力してもらったことに感謝していること。
この二つにいくつか形式的な挨拶を記して、送信した。
────俺としては、それで会話は終わったつもりだった。
多分もう、早見妹も何かよほどの用事が無い限り、メッセージは送ってこないだろう、とも思っていたのだ。
しかし、その次の日あたりから、散発的に、早見妹は俺にメッセージを送るようになった。
「……確か、最初に送ってきた奴も、飼っている猫の写真だったな……」
布団を適当にベッドの端に寄せつつ、ふと振り返ってみる。
画面を長々と上にスクロールしていくと、まさにその写真が出てきた。
日付は記憶通り、例の感謝のメッセージが来た翌日だった。
画像は一枚、姉の方の早見の膝に乗っている猫──初めて知ったが、あの家で飼っているのは三毛猫らしい──が寝ている様を映したもの。
その下には、『おねむです!』と一言だけ記してあった。
……個人的な感想を言えば、だからどうした、という話でもあるのだが。
いくら何でも、無視というのも角が立つ。
結局、過去の俺は「可愛い猫だな」と一言だけ返していた。
そこからは、同じことの繰り返しだった。
二、三日に一度、早見妹は、本人が可愛いと思っている写真をトーク画面に挙げ、何か一言呟く。
それに対して俺が適当に返して、会話終了、という流れが確立された。
……この訳の分からない会話の流れが維持された理由は、一つに尽きる。
何というか、タイミングが絶妙なのだ。
どう上手くタイミングを合わせているのか知らないが、早見妹は、いつもこちらが暇な時、少なくともメッセージを返せる程度の余裕がある時のみ、画像を送ってきた。
要するに、俺が本当に忙しい時には、送ってこないのである。
この辺り、早見の妹だなあ、と思うのだが、どうも早見妹は、相手が不愉快に思わない程度に間隔をあけて、メッセージを送る術を心得ているようだった。
だからこそ、人間関係が希薄で、特にそれを維持させるような努力もしない俺とも、会話が続いているのだろうか。
────そして、俺としてはこの会話の何が楽しいのか、よく分からないのだが、早見妹は、何やら楽しんでいるようだった。
実際、長期間止めるようなこともなく、この会話は続けられている。
「もしかしたら、大勢いるだろう友達の全てにこういうのを送り続けているのか……?」
まさかな、と思いつつも、そんなことも呟いてみる。
そしていよいよ、今日送られてきたメッセージの方を見てみた。
早見妹の言葉の下にあったのは、珍しく画像ではなく、音声の投稿である。
再生のマークを触れてみると、途端にニャーニャーと、猫の声が聞こえた。
──これが挨拶……?モーニングコール、ということか?
おはよう、とでも言っているように、早見妹の耳には聞こえているのだろうか。
スマートフォン越しであるために、得意の勘も今一つ起動せず、俺は首を捻る。
それでも、既読にしてしまったので、さっさと対応しようとして、俺は文字を打ち込もうとする。
そうすると、次の瞬間。
画面の一番下に、新しい文字列が現れた。
『ウチの猫ちゃんの声に癒されたところで提案です!唐突ですが、本日、葉さんはお暇ですか?お暇なら、私と出かけませんか?』
トーク画面を開いていたために。
即座に、その文にも既読が付いた。




