慣れ 或いは報連相の話
──ああ、そう言えば霧生と早見に、何も言ってないままだったな……。
間抜けと言えば間抜けだが、俺はそのことに今更気が付いた。
そもそも俺は最初、日向からの頼みごとを断るために、部室を出たのである。
そして、そのまま彼の話を聞いてしまったため、結局部室に戻ることもないまま話を進めてしまった。
残された二人としては、何故か出て行った俺が、全然帰ってこないように見えるわけだ。
「あー、そうか、なるほど……」
大体の状況を察して、俺はうんうんと頷く。
すると、もう一度霧生が腕を上げ、ペチン、と俺の額を叩いた。
大して痛くもないので、俺はそのまま、霧生の珍しい攻撃を受け入れる。
「……一人で納得しないでくれるかな。こちらとしては、君が今まで、どこで何をしていたのかもわからないんだけど」
「あー、そのあたりは、話せば長くなるな……というか、二人とも、どうやってここまで来たんだ?」
ふとそう思って、俺は逆に問いかける。
当たり前だが、二人は俺が日向の話を聞き、協力した経緯は知らないはずだ。
だというのに、何故図ったようなタイミングで、靴箱の前にいる俺を見つけられたのだろうか。
そう言った疑問に、はあ、とため息をついて霧生が答える。
「……最初は、何か相手にごねられて、依頼を断り損ねているのかな、と思っていたんだけどね。君が一時間近く帰ってこないものだから、段々早見さんが本気で心配し始めたんだ」
「その言い方だと語弊があるけれど……だって、そうでしょう?もし相手が、依頼を断られたことに怒って、相川君に殴りかかりでもしていたら、大変じゃない。それで、とりあえず校舎内を探し回っていたら、貴方を見つけたの」
「……いや、別に日向も、そこまで性格が悪くないと思うが」
一応、日向の名誉のために突っ込みを入れておく。
実際、依頼を断った直後は、日向は残念そうながらもそれを受け入れていた。
その後、協力を申し出たのは俺の判断である。
そう考えていると、突然、スス、と霧生が俺との距離を詰めた。
え、と思っていると、瞬く間に彼女は俺の耳元に口を近づけ、早見に聞こえないように囁く。
耳が、とてもくすぐったかった。
「……今はああやって強がっているけど、早見さん、本当に心配していたんだよ。君が何か厄介ごとに巻き込まれているんじゃないか、と酷く動揺してね。君はスマートフォンを部室に置いていったから、連絡も取れなかったし」
「いくら何でも大袈裟な気もするが……そうなのか?」
「そうだよ。多少は、配慮しておいてくれ。その方が彼女も喜ぶ」
それだけ言って、霧生は再びスッ、と身を引く。
その動きがあまりにも素早かったせいで、俺は「お前はどうだったんだ?」という質問を聞き忘れた。
何となく、勘でわかる気もしたが。
──まあ、とりあえず、謝っておくか。間違いなく俺が悪いしな。
結局、俺はそう思い、早見と霧生に真正面から向き合った。
そして、表現過剰か、と思いつつも、しっかり頭を下げる。
「勝手な行動をして、心配をかけて、すまなかった」
「……ん、許す」
「そうね。いいでしょう」
即座に、さばさばとした回答が返ってくる。
前者が霧生、後者が早見の言葉だ。
彼女たちと知り合いになって、二か月近く経つ。
いい加減、この程度のやり取りは軽く出来るようになってきた感があった。
その後、改めて、と言うような雰囲気で、霧生が口を開く。
「それで、最初の話に戻るけど……君、本当に何をしていたんだい?見たところ、あの日向という生徒は居なくなっているようだけど」
「えーと、だな」
何をしていたか、と聞かれ、俺は再び言葉に詰まった。
ここで、日向の事情についてあれこれ言っていいものかどうか、迷ったのだ。
この一時間近くの行動の説明を二人にしたいのであれば、当然「日向の初恋の人を探すために、サッカー部の部室に行っていました」と答えるしかない。
だが当然、どういう経緯で、と問い返されるだろう。
そうなると、日向の思い出も含めて、全て話さなくてはならなくなる。
本来、日向は俺を信頼してあの話をしたのだ。
話の最初でも、誰にでもする話ではない、というようなことを言っていた。
それを、俺の判断で無視していいのだろうか。
しかも、元は霧生が嫌がっていた案件だというのに、二人に語っていいものだろうか。
ただ、ここでだんまりを続けるわけにはいかない。
さすがに霧生と早見も訝しく思うだろうし、それ以前の問題として、沈黙の結果としてあれこれ詮索されるのも嫌だった。
さて、どうしたものか────。
──ただ、元々日向は、俺たち三人全員に相談する気で、部室に来たんだよな。
思考の最中、ポン、とそんな事実を思い出す。
そうだ、確かにそう言っていたな、と。
早見妹の噂話のせいで、日常探偵研究会を探偵事務所のように勘違いしていたが、その部活に依頼に来た以上、当然そうなるのだ。
つまり、俺たち三人になら、言っても構わないと思っていた、ということになる。
──日向には後で謝るとして、ここは言って置いた方が良いか……。早見も霧生も、別に、日向の話した内容を周囲に言いふらしはしないだろう。
学校の人間関係からかなり離れた位置にいる霧生はまあ当然として、早見もまた、そんなことはしないだろう、と思った。
まあ、ただの勘だが、人間関係に苦労してきた彼女が、そんなことをするはずもない、という信頼もある。
最終的に、俺はそう判断し、口を開いた。
「あー、じゃあ話すが……あの後、ただ断るのも可哀想で、俺は日向の依頼って言うのを聞いていたんだ」
途端に、目の前で霧生と早見が「やっぱり」とでも言いたげな表情を浮かべる。
どうも、おおよその推測は既に済ませていたようだ。
もしかすると、俺を実際に見つけるまでの間、二人で「相川葉は何をしているのか」という別種の「日常の謎」に挑戦していたのかもしれない。
「ただ、その話と、その後に俺がやったことが、かなり長くなる。だからとりあえず、どこかに座らないか?」
「どこかって……部室に戻る?」
早見はそう言って、左腕につけた腕時計に視線をやる。
つられて俺もそちらに視線を移し、彼女の懸念を理解した。
いつの間にか、時計は午後五時半辺りを示している。
今から話し始めても、後少し経てば下校時刻になってしまう、ということだ。
早見は、そこを心配しているのだ。
「その話、どのくらいかかるの?」
「まあ、話すだけなら三十分くらいだろうが……その後、二人にも少し考えてほしいからなあ……」
雨が降っていることが、この時は悪条件となった。
というのも、雨のせいで、部室が使えなくなるなら、どこかそこら辺のベンチで、という手が使えなくなるからである。
かといって、校内にはそろそろいられなくなる。
ならば────。
「相川君、早見さん、この後、何か外せない予定はあるかい?」
同じことを考えたのか、霧生が突然、そんな質問をする。
俺と早見は、その意図を察しながら答えた。
「特にないぞ。まあ、家族には一報入れておいた方が良いだろうが」
「私も、同じく」
ふんふん、と頷き、霧生はそこで一つの提案をする。
「だったら、この三人で、晩御飯がてらどこかのお店に入って、そこで話を聞くというのはどうだろう?高校生の部活らしく、さ」
確か、「ブメシ」というんだったかな、と。
いかにも楽しそうに、霧生は微笑んだ。
彼女の言う「ブメシ」が、「部飯」であることに気が付いたのは、少し経ってからである。
結論から言えば、その提案は採用された。
俺も早見も、その場で家族へと連絡──早見は俺の鞄を持ってきてくれていた──をしたら、OKをもらえたのである。
まあ、母親にはもう少し早く連絡なさい、と軽く叱られたが。
隣の早見の方は、どうにもかなりからかわれたらしく、「だから、そんな感じじゃないから!」と何度か電話で言っているのが聞こえた。
通話相手は、早見妹だろうか。
何にせよ、通話を終えてから、俺は霧生に向き直る。
早見の方は、まだ通話中だった。
「大丈夫だったぞ」
「ああ、ありがとう。……何気に、三人でこうやってどこかに行くのは初めてな気がするね」
ふと、霧生はそんな意外なことを言う。
そう言えばそうだったな、と軽く驚く。
基本的に、部室に居るだけの部活だから、こうやって外に出向くのも珍しい。
そう考えてから、俺はあれ、という感覚を抱いた。
俺の勘が、おかしなことに気が付いたのだ。
「そう言えば、霧生は良いのか?」
「良いというのは、何がだい?」
「いや、霧生は、親に連絡とか、いれなくてもいいのか?」
見た限り、霧生はスマートフォンの類を触っていない。
そのことを、変に感じたのだ。
何も連絡が無くては、料理を要する方も大変だと思うが。
「……ああ、そういうことか」
フ、と霧生は浅く鼻で笑う。
「大丈夫だよ。うちの父親はかなり放任だからね。連絡する必要はないさ」
「……そう言う物か?」
「そう言う物だよ」
ぴしゃり、と言って、霧生はそこで会話を打ち切った。
────早見が通話を終え、いよいよ学校近くのファミレスに向かうことになったのは、その数秒後のことである。




