重み 或いは必然的な防御線
「……まあ、俺の依頼内容は大体こういったものだな」
ふう、とため息をついて、日向が長い説明を終えた。
同時に、俺の周囲が突然やかましくなる。
というより、今まで日向の声に集中していたのが、それが解けたことで、周囲の音が耳に戻ってきた、という感じだった。
自分で思っていた以上に、俺は彼の話に集中していたらしい。
──というか、あまり話に向いた場所じゃなかったな、ここ。
そう思って、俺は視線を日向から少し横にずらす。
そこにあるのは、申し訳程度に置かれてある二台の自動販売機と、異様に古いベンチである。
入学して二か月。
いい加減見慣れてきた、明杏高校の休憩所の景色だ。
──さすがに、部室に戻るわけにもいかなかったからここに来たが……うるさいな、やっぱり。
つう、と俺はさらに視線を横にずらした。
すると、休憩所の奥に広がる、グラウンドが見える。
この休憩所は、野外に────正確には、体育館とグラウンドの間辺りの位置にあるのだ。
正直な話、休憩所と呼ぶわりに、あまり居心地のいい場所ではない。
屋根が無いため雨の時には来れない上、隣がグラウンドのせいで風が吹くたびに砂も飛び散る。
強いて言えば、いつ来ても椅子が空いていて、座れないことがない、という点が利点か。
実際、今の俺たちには、この場所は非常に役に立った。
日向に話を聞くと言ってしまってから、落ち着いて話せる場所として思い浮かんだのは、ここだけだったのだから。
「……そう言えば、今日は、部活は良かったのか?というか、結局何部に入ったんだ?」
グラウンドの様子──陸上部らしき部活が練習をしていた──を見ながら、ふとそんなことを尋ねる。
日向の話にはあまり関係ない話題だが、仮入部のところで話が途切れたため、聞けていない話題でもあった。
「ああ、そう言えば言っていなかったか。まあ、何というか、話の流れで察するかもしれないが……」
「つまり、そのままサッカー部に?」
「そうだ。言って置くが、別に愛崎姉妹のことだけで決めたわけじゃないぞ?」
言い訳をするように、日向が言葉を付け加える。
さすがにここで、「初恋の人らしき人達を追いかけて、その部活に入った」というと、気持ち悪がられるかもしれない、と警戒したのかもしれない。
──まあ、ここまでの話で十分にその執念は伝わったが……。
呆れ半分、純粋な敬意半分で、俺はそんな感想を浮かばせる。
字面だけでは伝わらなかったかもしれないが、すぐそばで長々と語られた日向の話には、凄まじいまでの熱意がこもっていた。
その勢いたるや、彼が口を動かすたびに、周囲の空間が目に見えて揺れているかのような錯覚を覚える程である。
十年近く前の思い出だというのに、彼はまるでそれを昨日のことのように語るのだ。
本人は記憶力が良いから、というが、それだけではないだろう。
きっと、忘れようと思って忘れられるような、浅い記憶ではないのだ。
ただの勘だが、そう感じた。
──しかし、これはまた重い話を聞いたな……。
そこまで理解した時点で、自ら好んで背負い込んだ事案の熱量に押しつぶされ、俺の心はずん、と重くなる。
日向が来た時、霧生は「仕事のようにして依頼を受けたら、そこには責任が伴う」、「推理が間違っていた時、相手がこちらを責めるかもしれない」という節のことを言っていた。
だからこそ、話を聞く前に断りたい、と。
今なら、あの言葉の意味がよく分かる。
確かに、霧生は正しいことを言っていた。
日向の話は、間違いなく「日常の謎」の一つだ。
謎を要約すれば、難しい話でも無い。
自分には初恋の女性がいる。
時間が経ち、その相手と思しき者と再会した。
しかし、相手は双子だった。
日向の記憶にある相手が一人だった以上、初恋の相手は双子の内のどちらかであり、もう一方は会ったことも無い他人である。
しかし、顔とあだ名くらいしか分かっていないため、判別がつかない。
さて、どちらが初恋の人なのだろうか?
シンプルと言えば、シンプルな話である。
少々事情は異なるが、謎の種類自体で言えば、人探しの一種だ。
最悪、相手に聞けば済む、という点も、日常の謎らしい。
しかし同時に、霧生が恐れていたように、これは推理が間違った時、かなり周囲に迷惑が掛かってしまう類の物である。
何故かと言えば────。
「なあ、日向」
そこを確認するために、俺は問いを発した。
「一つ確認しておきたいんだが……ここで俺が、その姉妹のこっちがお前と遊んだアイちゃんだ、と言って、その推理にお前自身が納得出来たら、その後お前はどうする?」
一瞬、日向は言われていることの意味が分からないかのように、眉にしわを寄せた。
だが、すぐに意図を察したらしく、はっきりと返答をする。
「まあ、その相手にアプローチを仕掛ける、というか、口説くことになるだろうな。相手が俺のことを覚えていなくても、俺の初恋の女性ではあるのだから……正直に言えば、付き合えるのなら、付き合いたいとすら思っている」
「だよなあ……」
恋愛に浮かされている者特有の情熱を抱えて熱弁する日向を前に、俺は嘆息する。
聞く前からわかっていた話だ。
そもそも、より仲良くなりたい、と思っているからこそ、こちらに相談をしてきたわけで。
──これで推理を間違って、初恋の女性でない方を日向に紹介したら……そして間違っていたことが後になって発覚したら、酷いことになるな。
その様子は、容易に想像できた。
何の接点も無い女性を口説きにかかる羽目になる日向もそうだが、口説かれた方も相当嫌だろう。
日向も相手も、俺のことを強く責めるかもしれない。
──霧生は、これが嫌だったんだな……逆に言えば、今までの件では、そう言うことは起きない、と思っていた、ということだが。
ある意味、俺も早見も、信頼されたものである。
仮に推理が間違っていても、それで俺たちが霧生に責任を求めない、と分かってやっていた、ということなのだから。
だが、今回はそう言った謎とは話が違う。
──責任、重いな。
今更のようにそのことを確認して、俺は目線を下に落とした。
今まで当たり前のように読んできた推理小説の探偵たちは、皆こんな重責を背負ってきたのか。
果たして、ただ勘が良いだけの俺が、関わってよかったのか。
わからなくなってきた気がする。
俺の不安が伝わったのか、少しだけ、周囲の空気が重くなった。
それに抗うように、日向が慌てて口を開く。
「あ、あー、相川。俺から頼んでおいてなんだが、そこまで思い詰めるなよ?最悪、分からないなら俺から本人に直接聞くからな?」
「……ありがとう」
明らかに俺に配慮したことがわかる日向の発言に、俺は苦笑いで返す。
同時に、その発言でふと思いつくことがあった。
「……というか、何で本人に直接聞かずに、俺たちのところに来たんだ?それが一番早いだろう?」
そうだ、よく考えれば、日向は本来、俺たちに頼る必要などない。
さっきも言ったが、これは「日常の謎」らしく、本人に聞けばそれで済む話である。
向こうの記憶力が良ければ、すぐに日向のことを思い出すだろう。
仮に思い出せなくとも、小学生の時にスイミングスクールに通っていたかどうかなどを聞いていけば、そのうち正体に辿り着くかもしれない。
勿論、姉妹が二人でスイミングスクールに通っていた可能性もあるため、正確性には欠けるかもしれないが、赤の他人に推理させるよりはよほど有効な手のはずだ。
しかし、先程の話しぶりでは、日向は直接問いただしてはいないようだった。
この高校に入学して二か月、つまり、再会して二か月たっているのに、何故まだ尋ねていないのか────。
そういう節のことを聞くと、日向は突然、恥ずかしそうに顔を歪めた。
「いや……俺も、最初は直接聞こうかと思ったんだが……」
「何かあったのか?」
「そうじゃない。ただ、その……不愉快かな、と思ったんだ」
「不愉快?」
妙なワードが飛び出て、俺はそのまま言葉を繰り返す。
もしかすると、話しかけること自体を不愉快に思われるかもしれない、という話なのか。
しかし、そうだとしたら、先程の真相が分かったら口説きにかかる、という話と繋がらなくなる。
「んー、何というか、微妙に説明が難しい、いや、俺の考えすぎかもしれないんだが……」
そう言って、日向は苛立つように頭を掻きむしった。
「まあ、所詮は想像なんだが……仮に俺が、そうやって『俺と遊んだ記憶があるのはどちらですか』なんて尋ねた場合、当然、向こうは俺が二人の顔の区別がついていないことを知るわけだろう?」
「……そうなるな。分からないからこそ、尋ねているんだから」
「そしてまあ、向こうが覚えていてくれたなら、そこで俺と遊んでくれた方については分かるだろう?」
「ああ」
「……その上で、俺が『昔から貴女のことが好きでした、付き合ってください』とか言ってみたところで、信じてもらえるのかな、と思うんだよ。何しろ、俺は相手に顔の判別がついていない、と教えてしまっているんだぞ?」
「……ははあ」
日向の言いたいことが、ようやく見えてきた。
なるほど、これは確かに、不愉快かもしれない。
日向がその初恋の相手を口説くのは、当然ながら、昔から彼女のことが好きだったからである。
できれば、本人としてもその積年の想いを、相手に理解してもらいたいだろう。
だが、その前提としてどちらがどちらなのか、双子の姉妹に聞いてしまうと、微妙に、「昔から好きでした」という部分に説得力がなくなるのではないか。
日向は、そう考えているのだ。
考えすぎというか、会っていない期間が長い上に、昔は双子であることを知らなかったのだから、仕方ない話ではあるのだが、杞憂とも言い切れない気がする。
まあ、ただの勘だが。
所詮は本やテレビの知識だが、双子の人の中には、自分のアイデンティティに悩む人がいるらしい。
顔が同じであり、周囲からも間違われることが多いため、自分という個人を見てほしい、見つけてほしい、という欲求に付きまとわれるとかなんとか。
そうでなくとも、あまりにも間違われることが多ければ、誰でも嫌になるだろう。
勿論、個人の性格と環境に寄るため、愛崎姉妹がそのあたりに拘っているかどうかは分からない。
ただどちらにせよ、自分に告白までしてきた相手が、姉妹の区別もついていないというのは、向こうからしたら決して愉快な話では無いだろう、とは思った。
それこそ、一つ間違えたらこの人は自分ではなく、姉、ないし妹に告白してきたのではないか──まさしく今俺が恐れている状況そのものだが──という疑念を抱くのは必然に近い。
そこから愛情を疑われても、不思議ではないだろう。
「……要するに、さすがに最悪の場合は、直接聞くが、出来ればどちらが初恋の相手か予め知っておいて、その相手にさも最初から分かっていましたよ、という顔で告白しに行きたい、ということか?」
「そうだ。……ズルと言えばズルで、相川に頼っている時点で卑怯でもあるが……それでも、本当に区別がつかないんだ。もう、俺一人の考えでは限界が近い」
そう言って、もう一度日向は頭を下げた。
ガバッ、と勢いをつけてまで。
「改めて頼む!俺が覚えていることは、全て話す。だから、あの姉妹のどっちが俺の初恋の相手なのか、見抜いてくれ。俺では気が付けないが、何か、判別する方法が────俺の過去の記憶と照らし合わせて、間違いなくあの時遊んだのはこちらだ、と断言できる特徴があるかもしれない。だから、頼む……!」
────ずん、と、もう一度俺の背中が重くなって。
今一度、日向の背中を見やって。
それから俺は、腹を括って前を見た。
もうここまで来たら、意地でも解くしかない。
ただの勘だが、そう考えたのだ。
ここまで熱量を抱えた相手の頼みを断っては、何かとややこしくなりそうだ、という読みも込めて、だが。
「……とりあえず、その双子の先輩を、遠目でもいいから見させてくれないか?三年生なんだろう?」
「引き受けてくれるのか!」
いかにも嬉しそうに、日向が身を起こす。
その様子に慌てて、俺は防御線を貼りまくった。
「ただ、あくまで俺が考えたことを話すだけだからな?真相が分かるかは分からないし、正しいかどうか保証も無いぞ?俺には、霧生ほどの推理力は無いからな?それから……」
ああ、霧生もこんな気持ちだったのかな。
再び、そんな思いが浮かんで、消えた。




