番外編:きっかけ 或いは到達
「そう言えば、あの時私にホラー小説を見せるきっかけになった事件、百から聞いたわ」
唐突に早見がそんな話題を振ってきたのは、例の些細な悪戯を仕掛けてから一週間経った時のことだった。
場所は部室。
かつ、霧生が部長会議とやらに出ているため、中にいるのが珍しく俺と早見だけ、という時のことである。
「きっかけって……『ボボさん』のことか?」
「そうよ、今、この高校でも広まっているアレ」
口をとがらせ、不本意そうな表情で早見が明言する。
もしキャラを作っている時ではなく、「素」の方だったなら、舌打ちでもしていそうだ。
「また、貴方や霧生さんに推理を頼んだってこと、聞いたわ。……百の我が儘に付き合わせてしまって、ごめんなさい。私の方からも叱っておくから」
「いや、叱るほどのことでもないと思うが……」
あれで叱られるなら、今まで何度も自身の我が儘かつ自己満足のために、霧生に推理を頼み続けた俺などは、大罪人になる。
しかし、早見は微かに顔を険しくして首を振った。
「いえ、言っておいた方が良いのよ。あの子、なまじ顔が広い分、他の人に頼るのが上手くて……その分、周囲に甘えたがることがあるから」
「へえ……」
辛辣と言ってもいい評価だが、姉としては色々と気になることがあるらしい。
ただ、あの積極的な態度を「甘え」と表現するのは、少し面白いな、と思った。
確かに、初対面同然の俺にグイグイと話したり、周囲に連絡先を聞きまわったりするのは、相手の厚意に甘えている、とも言えるかもしれない。
ただ────。
「別に、そこまで心配することでもないと思うぞ。彼女は彼女なりに線引きを決めているようだし……まあ、ただの勘だが」
前回、霧生の言っていたことを引用しつつ、とりあえず庇っておく。
早見の説教の怖さは、一週間前に知ったばかりだ。
あれを早見妹がこれ以上体験するのは、少々可哀想だ。
反論が来るか、と思ったが、意外にもそれは無かった。
寧ろ、まじまじと俺の顔を見つめてくる。
「……何だ、どうした?」
「いや、ちょっと気になって……」
そう言って、早見はさっと視線をずらす。
何だったんだ、と思ったら、また彼女の顔が動き、視線が合った。
「……今回の件で、ちょっと気になったことがあったのだけれど、聞いてもいい?」
「え、俺にか?」
「そう。貴方について。今、大丈夫?」
「まあ、別にいいが……」
返答しつつも、俺の思考は困惑に包まれた。
話題が飛びすぎて、ついていけない。
だが、混乱しているうちに、早見は質問を開始していた。
「相川君、会話の中でよく、『勘だけど』とか、『何となく』とか言うでしょう?」
「ああ、まあ……」
そう言えば、早見に対して明言したことは無かったか、と今更のように思い出す。
俺は、昔から勘が鋭い。
それを知らずに俺の話を聞いていれば、変に思うのかもしれない。
「あれはまあ、俺の特技みたいなものだが、それがどうかしたのか?」
「いえ……百から聞いた限りでは、今回の件では、その勘をあまり使っていなかったみたいだから、少し気になって。その、体調でも悪かったのかなって」
──勘をあまり使っていなかった……?
はて、と俺はあの時のことを思い出す。
そもそも勘というのは、そんな意識的に使うような物ではない。
だから、使っていなかった、と言われても、今一つ思い出しにくいが────。
──まあ確かに、今回は俺の勘がどうとか、そう言う話でも無かったか?
ここまで言われてみれば、思い出せることもある。
確かに今までは、俺が勘づかない限り、事件の発生にすら気が付かない、という件が多かった気もする。
例えば、霧生に対して初めて相談した事件、つまり早見と初めて会った時の「日常の謎」がそうだ。
あれは、俺が早見の言動に何か理由があるのだろう、と勘で気づき、ずっと考えていたところから始まった。
あそこで何も気が付かずに忘れていれば、こんな研究会を作ることも無かっただろう。
或いは、その後の密室事件。
あの時も、偶然見かけた光景に対して、俺が勘で違和感を抱き、霧生に相談したのだ。
そう言った例に比べると、今回は確かに、俺の勘は関係していなかったかもしれない。
事件の発生には当然関与していないし、それを相談したのは、早見妹の判断だ。
猫の事件のように、霧生の推理が終わった後、独自に勘で推理をした訳でもない。
極端な話をすれば──霧生自身言っていた気がするが──今回の件では、早見妹が霧生と直に連絡を取れば、俺は居なくても構わなかったくらいである。
そのせいか、そもそも俺が意見を出すこと自体少なかった。
話を聞いた早見としては、まるで俺が不調だったから、話に加われなかったかのように思えたのかもしれない。
そのあたりを汲んで、俺は心なし丁寧に説明した。
「今回はまあ、霧生に相談するのも早かったからな。だから、俺は特に言うことが無かったというか」
「だから、勘を使うまでも無かった、ということ?」
「いや、そう言う話でも無くて」
ピントのずれた発言に突っ込みつつ、俺は説明を考える。
尤も、勘というのは所詮無意識の領域であり、説明するようなものでもない気がするが────。
──いや、だけど、理由が無いわけでも無いか。
ふと、突然そんなことを思いつく。
今回、俺の勘がたいして働いていなかった理由。
明確な理由が、一つあった。
「……強いて言うなら、あれだな」
「あれ?」
「ああ、今回の件では、そもそも俺が体験したことも無いようなこと、或いは全く知らないようなことが多かった。だから、かもしれない」
それから、俺は自分の勘について、早見に説明した。
以前、霧生には言ったことがあったと思うが、早見には伝えていなかった。
前にも言った気がするが、そもそも俺の勘というのは、超能力とかそんなものではない。
ただ単に、俺が無意識に感じていることを、何となく表に出しているだけである。
例えば、俺は何となくその日の天気を当てることがあるが、あれは何の情報も無いままあてずっぽうで言っているのではない。
実際には、湿気や空の様子などから、無意識に判断しているのだろう。
過程を説明できないから、「なんとなく」とか「勘だけど」と表現しているのだ。
今までの件も同様だ。
俺は恐らく、霧生が説明してくれたような「日常の謎」の種や仕組み、不思議な点などについて、無意識に思いつくか、気が付くかしていたのだろう。
それが上手く言葉に出来ないから、「ただの勘だけど、何となく怪しい」と思っていたのだ。
要するに、勘と言いつつ、結構論理的な物なのである。
「……だから、俺自身が無意識ですら全く考えたことが無いようなことや、考えたくないことが多いと、どうしたって勘が鈍る」
「今回は、まさにそれだった、ということ?」
興味を持ったらしく、ずい、と早見が距離を詰めてくる。
反射的に、こちらは背をそらした。
さすがに、異性間の距離にしては近すぎる。
「ま、まあな。例えば、現場になった女子トイレは、性別的に入ったことが当然無いから、現場の状況って言うのが今一つ分からないままだったし……その、霧生が言った、事件を解くカギの……ええっと」
「性教育の授業?」
俺からは言いにくかった事を、さらりと早見が口に出す。
霧生もそうだったが、どうもこの辺りを彼女たちがあまりにも気にしないので、逆に俺が恥ずかしくなる。
「……ああ、それだ。その授業も、当然俺は体験したことはない。俺が小学生の時も、当然女子生徒相手に開かれたんだろうが、男子として外で遊んでいる側だったからな。意味は後で知ったが、それだって所詮は知識で、経験じゃないだろ?」
「だから、勘が鈍った、ということ?」
「そうだと思う。正直、男子生徒だけトイレの個室が埋まっている、ということのおかしさに気が付かなかったのは、そのあたりのことも影響している……気がする」
かなり言い訳がましくなってきたが、俺はそんな説明をした。
すると、早見が納得したように、何度か頷く。
「……常に働くものではなく、条件を満たした時、フルに発揮できるようなものだったのね、貴方の勘」
「ああ、そっちから見ると、また違って見えていたのかもしれないが」
ふう、と説明を終え、俺は本に視線を戻そうとする。
言いたいことは、全て言えた。
しかし────。
ふと、その場で思いついたように。
早見は、こんな質問を続けた。
「だけど、本当に興味深いわね。無意識に色々なことに気が付いているということは、ある意味、無意識下では常に気が張っているともとれる。……何か、その勘が良くなったことには、きっかけでもあったの?」
──きっかけ、か。
不意に、脳裏に一輪の朝顔が思い浮かんだ。
もう、十年近く前になる光景。
それが、理由もなく脳裏をよぎった。
口に出そうか?
いや。
別に、良いだろう。
そもそも、あれがきっかけだったかどうかなんて、俺自身にも分からない。
基本的には、生まれつき勘が良かった、という説明でも間違っていないのだ。
言葉を出さず、俺はその場で押し黙る。
「……ご、ごめんなさい。言いにくいことや、答えの出ないことだったら、答える必要はないわ。忘れて」
即座に返答に困っていることを察したのか、早見はすぐに質問を撤回した。
そして、わざとらしくスマートフォンの方に視線を落とす。
それが、俺に配慮した行動であることは、明らかだった。
「……」
「……」
そこから、意味もない沈黙が続いた。
基本的に読書しかしないこの研究会で、無言の時間が続くこと自体は、珍しいことでは無い。
しかし、この沈黙が普段のそれと違うことは、互いに察していたと思う。
──霧生、早く帰ってこないかな。
無責任にも、最後に俺はそう思った。




