悪戯 或いは心霊
「それで……どうなったんだ?」
気が付けば聞き入っていた俺は、唾をのみながら先を促す。
しかし、そこで早見妹の方は少し困った顔をした。
「それが……こっちも、よく分からなかったんですよ。男子トイレの方から声が聞こえて、トイレの前で待っていた男の子──ついてきた小学生の一人ですね──が、慌てたような顔で出てきて……」
「それ以外は、何もわからなかったのか?」
「はい。男の子は何も見ていないって言うし、その子にトイレの中も調べてもらったけど、何もなかったし……本当に、最初の目撃時と同じく、何もわかりませんでした。ただ、声だけを残して、『ボボさん』は消えたんです」
それで、私は何も分からないまま、帰る羽目になったんです。
最後にそう言って、早見妹は長い話を結んだ。
「しかし、これはまた……」
全ての話を聞き終えて、俺は自然と腕を組む。
「最初はよくある学校の怪談みたいに聞いていたが……あれだな、最後まで聞くと、それなりに怖いな」
「でしょう!?」
共感を得られて嬉しかったのか、早見妹は声を大きくする。
「その、遭遇した当日は小学生の前でしたし、取り乱すようなことはしなかったんですけど……家に帰ってから、本当に怖くなって!」
「で、相談に来た、と」
「はい……もしここで会わなかったら、こっちから連絡入れようかと思っていたくらいです」
なるほど、と思い、改めて早見妹の顔を見つめると、心なしか目の下にクマがあるように見えた。
なまじ元の顔が良い分、クマがよく目立つ。
もしかすると、この話が怖いばかりに、あまり寝ていないのかもしれない。
まだ中学生なのだから、有り得そうな話だ。
早見は知らないが、早見妹の方はホラーが苦手らしい。
「……葉さん、テスト直前で申し訳ないんですけど、解けません?この謎」
「この謎……『ボボさん』の正体を、か」
「はい。だって、密室とかの件を考えると、本気で不気味なんですよ。この世の物とは思えないというか」
そう言いながら、わたわたと早見妹は手を上下させる。
彼女なりの、自分が怖がっているということのアピールなのだろう。
こういう言い方をしているところをみると、彼女がホラーが苦手なのは、その手の存在を信じているからなのかもしれない。
そうでなければ、ここまで怖がらないのではないだろうか、という気もする。
「しかし、ボボさんの正体、か……」
一応口に出し、俺は頭を回転させる。
────実際のところ、これはものすごく単純に考えれば「小学校のトイレで奇声を上げる存在が居た」というだけの話だ。
早見妹の話の中でも触れたが、それだけなら、そんな悪戯をする小学生がいたんだろう、とでも思えばいい話なのである。
以前話したが、「日常の謎」というのは「まあいっか」と考えれば、それだけで済むことが多い。
今回の件も、その例外ではなかった。
逆に言えば、その理屈が適用できる今回の件は、確かに「日常の謎」の一つである、とも言えるが。
そして、「ボボさん」の場合、謎を奇妙にしているのは──要するに、「まあいっか」で済ましにくくしている要因は──早見妹が言う通り、現場が密室状態にあったこと、そして、声をあげた存在がどう探しても見つけられなかった点にある。
現場のトイレは、出入り口が廊下側から見られていた。
そして、他に出入り口は無い。
どうやって出て行ったのかが、分からない。
それでも、無理矢理考えていくのであれば────。
「つまらないというか、無難な回答で行けば、一番最初に目撃した子の自作自演、というのがあり得るが……」
勘で思いつくままに、俺は可能性を挙げていく。
早見妹も俺が考えをまとめようとしているのが分かったのか、ふんふんと相槌を打つ。
「確かに、最初の『ボボさん』の件については、最初の子の証言しかないから、疑おうと思えばいくらでも疑えますけど……」
「自分より先にトイレの個室に入っていたとか、隣で声が聞こえたとかも、その子が言っているだけだしな」
第一発見者を疑え、というのは推理小説ではセオリーである。
第一発見者は、一番最初に事件に遭遇する分、他の証言者よりも多数の情報を手に入れる。
故に、捜査する側──物語では探偵や警察官だが、この場合は俺たち──は、第一発見者の証言を鵜呑みにせざるを得ない場面が多い。
その人物しか目撃していないので、そうならざるを得ないのだ。
これは逆に言えば、第一発見者が嘘をついていても、それを見抜くことは難しい、ということだ。
今回の件など、まさにそうである。
仮に、その一番最初にトイレに入った女子生徒がふざけて奇声をあげ、後で全く知らない振りをしたのだとしても、こちらとしても見抜きにくいのだ。
このようなことを、俺はつらつらと伝えた。
「確かに、自作自演だとしたら、密室の件は解けますけど……」
そう言いながら、早見妹は微かに不満そうな顔を浮かべる。
彼女がそう言う理由と、納得していないような顔を浮かべる理由の両方が、俺には分かった。
そう、その女子生徒が犯人だとすれば、密室の件など一発で解ける。
そもそも女子トイレから出ていないのだから、廊下の生徒に見咎められることなどありえない。
だが、その生徒を犯人だとすれば、矛盾が生じるのだ。
「この場合、君が遭遇したとかいう、二回目の『ボボさん』の声の件が解けなくなるんだよな」
「ええ……あれに遭遇した時、第一発見者の子は私の隣にいましたから」
そもそも、二回目の声は男子トイレから聞こえたという。
つまり、少なくとも二回目の件に関しては、早見妹と一緒にいた女子生徒たちは犯人になり得ない。
いくら何でも、女子トイレにいながら男子トイレで声をあげる方法は無いだろう。
男子トイレに何も無かったということは、スマートフォンやボイスレコーダーの類も無かったのだろうから。
──ただし、矛盾をなくす方法はある。
犯人の数を、増やせばいいのだ。
「……二回目の方は、もしかしたら一緒についてきた男子生徒の仕業なのかな、とも思ったんですが」
俺が思っていたことを、まさにそのまま、早見妹は指摘した。
「あの時、私と女子生徒たちは女子トイレを探していて、男子生徒は一人残されてました。しかも、私たちの視線は女子トイレの個室に向かっていて、正直、その子のことは見ていませんでしたし」
「だから、こっそり男子トイレに行って、奇声をあげることはできる、か」
そう言うと、早見妹がコクン、と頷く。
彼女としても、何度か考えた可能性らしい。
つまるところ、ここまでの話を総轄すると、一回目の「ボボさん」は、たまたま一番早くトイレに行った女子生徒の自作自演。
二回目の「ボボさん」は、一人外にいた男子生徒の自作自演。
そう考えれば、矛盾なく、この件は解決する。
ただ────。
「何となくだが、違う気がするな……まあ、ただの勘だが」
「葉さんも、そう思いますか?」
「ああ。何というか、確かに矛盾はない考えなんだが、矛盾が無いだけ、な気もする」
そもそもこの推理──証拠も何もないため、妄想に近いが──は、動機の類が欠如している。
仮に犯人が本当に彼らだったとして、何故、わざわざこの時期にそんなことをしたのか。
その点が、さっぱり分からない。
いや、強いて言うなら、二件目の方はまだわかるのだ。
男子であるために女子トイレの方の捜査に参加できず、暇を持て余した男子生徒が、ついつい周りを驚かせたくて悪戯をした。
そう言うのは、実際にありそうな話だ。
しかし、一件目の方は全く分からない。
「ボボさん」などと言う物を広めて、一体何になるのか。
一つ言えるのは、廊下の生徒の存在が偶然だったところを見ると──廊下から声を聴いた生徒がいなければ、噂も広まらない──あまり計画的な行動ではなさそうだ、ということだが────。
──いや、待てよ。
ふと、そこで俺はあることに思い至る。
正確には、思い至ったというより、矛盾点を見つけたのだが。
「……なあ、もし自作自演だったなら、この件、まずは声を聞いてもらわないと話が始まらないよな?」
「まあ、そうでしょうね。聞き手がいなかったなら、本当に一人で大声を出しただけで終わるんですし」
「それで、廊下に人がいたのが、『偶然』だったんだよな?」
偶然、のところを、意識的に強調する。
そうすると、早見妹は意図を察したようだった。
「……そうですね、だとすると、やっぱりこれは自作自演じゃないかもしれません」
「ああ、悪戯で人を驚かせたいなら、普通、もっとトイレに人が集まってから叫ぶだろう?そうじゃないと、悪戯として成立しない」
しかし、実際には廊下に人がいたのは偶然だった。
仮に廊下の生徒たちの帰りが遅かったなら、この件は目撃者無しで終わり、悪戯としてすら認知されなかったかもしれない。
この点だけでも、自作自演の悪戯、という可能性は低くなるのだ。
「あー、もう、訳が分かりません!」
うがー、と妙な声を挙げながら、早見妹が顔を頭に突っ伏せる。
いよいよ思考の限界に来たのだろうか。
しかし、限界なのはこちらも同じだ。
これ以上考えても、何か生産的な考えが出る気がしない。
と、なれば────。
──テスト直前なのが向こうも同じだが……頼むしかないか?
無言で、俺はスマートフォンを取り出した。




