疎通 或いはもう一匹
「あー、霧生、か?」
恐る恐る、繋がっているのであろう霧生に向かって呼びかける。
向こうからすれば、誰がかけてきたのかは分かっていないだろう。
不審人物か何かだと思われるのは避けたかった。
『相川君?……これはまた、どうして電話を?いやそれ以前に、僕、君に番号を教えたかな?』
幸い、電話をかけてきたのが俺であることは分かったらしい。
だが、同時に疑問も湧いたらしく、スマートフォン越しにも霧生が首をかしげたのが分かった。
「いやそれが、これは早見の妹のスマートフォンを借りていて────」
そこから、俺はどうして霧生に連絡を出来るのかをつらつらと説明した。
さらに、少し卑怯だとは思ったが────大本の、掛川先輩の猫についての件も、一気に説明した。
もし、「推理をしてもらえないか」と正面から尋ねてなら、霧生はそれを嫌がっただろう。
だから、断られる前に先んじて語り尽くす。
仮に電話を切られたらアウトだったが、ありがたいことに、霧生は最後まで話を聞いてくれた。
「────まあそう言う訳で、この猫について、謎を解いてほしいんだが」
無遠慮だとは自覚していながら、俺はそう頼みごとをする。
早見妹にも先ほど言ったが、この件について納得のいく説明を出来るのは、やはり霧生しかいない。
もし、霧生が謎を解けなかったとしても、それならそれで諦めがつく。
霧生が解けないのであれば、俺が分からなくても仕方がない、と。
そう言う思いも込めて、俺は心拍数を上げながら霧生の返答を待った。
『……ふむ。まあ、推論ぐらいはできるけど』
「本当か!?」
意外にも、即答だった。
俺の声に驚いたのか、隣で早見妹が肩を跳ね上げる。
しかし、そちらに構っている余裕はなかった。
相変わらず、自分から現場に出向くことがないにもかかわらず、霧生の推理力は凄まじい。
これだけの話で、何かしらわかる、というのだから。
「……聞かせては、くれないか?」
声を細めて、俺は嘆願する。
霧生のいつもの様子からすると、ここで真相がわかっても推理を出し渋ることも、当然あり得た。
語ってくれるかどうかは、彼女の気分次第、と言ってもいい。
だから、次の言葉が響いてきた時は、一瞬自分の耳が信じられなかった。
『まあ、構わないよ。そこまで複雑な話でも無いからね』
「え?……いや、ありがとう」
少し呆然として、俺は謝辞を述べる。
今までの「日常の謎」の中で、一番スムーズに行ったかもしれない。
そう思っていると、不意に、俺の袖がクイクイ、と引っ張られた。
思わず視線を向けると、そこには小さな掌がある。
勿論、早見妹のそれだった。
「ちょっと、葉さん。言葉の流れからすると、解けそうなんですね?これ」
「あ、ああ……」
「じゃあ、聞かせてください。私だって、気になっているんですから」
期待に満ちた目で、早見妹はこちらを見上げる。
それを見て、俺は確かに道理だな、と感じた。
元々、彼女がいなければ連絡すら取れなかったのだ。
スマートフォンの使用代としても、推理を聞かせるくらいはしても良いだろう。
そう思って、俺はもう一度霧生に呼び掛けた。
「すまない、霧生。推理を聞く前に、頼みごとがあるんだが……」
もしかすると断られるかもしれない、とは思っていたのだが、意外にも霧生はこの申し出にもOKを出した。
この辺りも、今までにない程スムーズである。
何にせよ、霧生が乗り気であるというのなら、こちらとしては断る理由も無い。
俺と早見妹は、話を聞きやすいように手近なベンチ──自動販売機の横にあった──に座り込み、電話をスピーカーに切り替えた。
幸運にも、土曜日のわりに人通りは少ない。
この状態でも、そこまで問題は無いだろう。
『さて────』
俺と早見妹の間に置かれたスマートフォンから、霧生の凛とした声が響く。
その声だけで、霧生の居る場所では、彼女を取り巻く雰囲気が一変したことがわかった。
完全に、探偵としてのそれに変わっているようだ。
『この小さな謎を解く前に、君たちには一つ約束してほしいことがある』
最初に、霧生の話は注意から始まった。
『ここから僕が話すことは、あくまで又聞きを繰り返した末に思いついた、僕の妄想にすぎない。だから、これから話すことを他の人に……特に、その掛川先輩という人には、決して語らないことを約束してほしい』
「それはまた、何でですか?」
疑問に思ったのか、早見妹が即座に質問を返す。
声に出さなかったが、俺もほぼ同じ疑問を抱いた。
霧生の言葉の前半分は、今までも言っていたことだから、まだ良い。
しかし、後半は少し珍しい言い方だ。
何故、掛川先輩には特に、言ってはならないのか。
『そうだね、まあ端的に言えば』
「端的に言えば?」
『この真相を知ると、掛川先輩は酷いショックを受けるから、だね』
「ショック?」
『そうだ、それだけは、避けなくてはならない。何しろこれは全て、掛川先輩がショックを受けないために行われたことなのだから。今更、僕が台無しにするわけにはいかないよ』
その言葉は、どことなく物憂げだった。
まだ会ってもいない先輩のことを、心配しているような、そんな口調。
「……それは、どう言う意味ですか?」
『まあ、君たちもこれからの話を聞けば意味がわかるさ。さて、ではどこから話そうかな……』
自ら話を打ち切り、霧生は迷うように黙る。
やがて、話す順番を決めたらしく、確かな口調でスマートフォンを揺らした。
『……まず、ある意味拍子抜けするかもしれないが、そのブランという猫が三十年生きているように見えたこと自体は、簡単だ。すぐに説明が付く』
「そうなのか?」
『ああ、常識的に考えて、飼い猫がそこまで生きることは無い……ならば、ごく普通の結論が答えになる』
そう言った前振りの末、霧生は確かに、ごく当たり前のことを言った。
『猫は二匹いた、と考えるしかないだろうね。それが、一番納得のいく話だよ』
「……すり替わっていたのか?」
『だろうね。勿論、意図的に』
しばし、スマートフォンの前で、俺たちは沈黙した。
霧生の告げた話は、正直なところ、驚くほどのことではなかった。
寧ろ、彼女自身が言う通り、極めて普通の話ともいえるだろう。
俺自身、この謎について考える中で、思いついていた話ではあった。
掛川邸の猫は、掛川先輩が気が付かない間に、すり替わっていた。
言わば、先代の猫に、新たな猫が成りすましていた。
そう考えれば、大方の疑問が解けるのは確かだ。
要するに、掛川先輩のお母さんが飼い始めて、写真にも残っているという三十年前の「ブラン」と、ついこの間死んだという「ブラン」は、全く別の猫だった、というだけなのだから。
「だとしたら……すり替わりのタイミングは、その、掛川先輩がいなかったクリスマス、ですか?」
『そうだろうね。いくら何でも、長年飼われていた飼い猫の性格が突然変わるというのは、不自然だ。……その時期を境に、先代のブランが亡くなってしまい、全く新しいブランになっていたから、人に慣れていなかった、という方が、納得がいくだろう?……時期としても合うからね』
早見妹の質問に、霧生があっさりとした口調で答える。
──時期、というのは、二匹のブランの、本当の寿命のことか?
霧生の言葉を元に、推論が脳内で組み立てられていく。
早見の証言からして、一番最初のブランが、掛川先輩の母親が十五歳の時に飼われ始めた、というのは間違いない。
それが現代まで生きていたからこそ、不思議な話になっていたが────掛川先輩が四、五歳の時のクリスマスまで生きていた、とするのであれば、問題は無い。
今、掛川先輩の母親が四十代なのだから、当時は三十歳くらいだろう。
つまり、十五歳の時に飼い始めた初代ブランは、その時十五歳程度。
それで亡くなったのだから、猫としては、ごく平均的な寿命と言える。
同時に、成り代わったという二代目ブランについても、問題は無い。
勿論、当時──今から十二、三年前──の時点で、成猫に成りすませるくらいなのだから、それなりに成長はしていたのだろうが、猫というのは一、二年でかなり大きくなる。
というか、殆ど成長しきる、と聞いたことがある。
つまり、成り代わった時点で、その猫が五歳くらいにはなっていたとしても、ついこの間死んだ時点で、真の寿命は二十歳程度だろう。
これまた、騒ぐほどでもない。
要するに、それぞれよく似た二匹の猫は、ごく普通の寿命で死んでいった。
だが、猫たちの寿命を境に、交代して飼育されていたため、それが一匹の猫である、と誤認されていた。
それ故に、まるで三十年以上生きていたかのように見えていただけなのだ。
こう考えれば、納得は行く。
だが────。
「何故、わざわざそんなことを……?」
「そうですねー、ちょっと、動機が分かりません」
隣で、早見妹が首肯した。
そうだ、動機。
動機が、よく分からない。
何故、こんなことになっているのか。
掛川先輩がかなり天然だったからこそ良かったものの、仮に彼女が鋭い人だったら、とっくの昔に気づかれていそうな策である。
正直、わざわざ似た猫を連れてくる理由が分からない。
新しい猫を飼うだけでは、駄目だったのだろうか。
『……そこを理解したいのであれば、まず、掛川先輩の家の構造について考えた方が良いだろうね』
「家?」
『そうだ。妹さんはともかく、相川君は家を見たんだろう?なら、気が付けることはあるはずだ』
また、霧生が訳の分からないことを言った。




