完了 或いは始点の問題
「……まず聞きたいんだが、早見はそのブランが本当に三十歳だったと思っているのか?」
「いいえ……さすがに考えにくいと思うわ」
意外にも、即答だった。
語尾の明確さにつられて早見を見つめれば、間髪入れずに解説がついてくる。
「私も気になって調べたことがあるのだけれど……確かに、世界中の記録を漁れば、三十歳以上で亡くなった猫というのもいるらしいわ。だけれど、普通日本の飼い猫の平均寿命は、十五歳くらいよ」
「二十歳で長生き、と言われるレベルらしいからな」
本で読んだ知識を知ったかぶって言ってみる。
すると、早見は大きく頷いた。
「そう。見たところ、この家の環境に何か特別なものがあるとは思えない。勿論、病気になったら病院に連れて行くだとか、そういったことは飼い主としてやっていたでしょうけれど……」
「じゃあ、君も見たことがある先代猫は、長寿の猫ではなく、何らかの理由で年齢が誤解されている、普通の猫だと?」
簡潔にまとめると、早見はまた頷いた。
──そうなると、先輩の記憶違い、というのが有力な線になるが……。
先程考えた通り、猫の寿命が普通の物であるとすれば、掛川先輩の母親の年齢がおかしくなる。
これを解決するには、どこかの前提に、嘘か誤解が入っている、と考えなくてはならない。
そうなれば、やはり掛川先輩が何か誤解している、とするのが妥当な話ではあった。
物凄く偏見に満ちた考えだが、あの先輩は、そういった記憶違い程度なら、うっかりやってしまう気もする。
しかし────。
──仮にこれが掛川先輩の記憶違いだというのなら、早見がとっくの昔にそれを指摘しているはず、だよなあ。
そう、そこが解せない。
この謎が勘違いの一言で解かれる謎であるのなら、当然早見はもうそれを掛川先輩に言っているはずだ。
そして、俺が話がある、と持ち掛けた時に「ああ、先輩の記憶違いよ」と言うことになっただろう。
それを早見がしていない、ということは。
ただの勘違いとも思えない何かを、早見が知っている、ということである。
「……何か、他に知らないか?どうにも、謎が謎のままって言うのは、もやもやとして……」
言い訳を述べながら、俺は話を促す。
前回の一件と違って、今回は解かなければ誰かが困る、という訳ではない。
だが、やはりどうしても、気になった。
この件の真相が分からないと、何となく気持ちが悪い。
これは俺の性分のようなもので、多分もう変えようがない。
だから、早見が他に何かを知っているというのなら、聞いておきたかった。
「他に……」
一言呟いて、早見は細い顎に手を添える。
その様子は話す言葉を探しているようでもあり、同時に何かを言い淀んでいるようでもあった。
「ない、と言えば嘘になるけれど……あれは……」
「あれは?」
「私も、未だに自分の記憶を疑っているところがあるのだけれど……写真よ」
「写真?」
問い返すと、早見が納得がいっていなさそうな表情で言葉を続ける。
「以前、掛川先輩に見せてもらったことがあるのよ。猫の成長記録というか、アルバムを」
「アルバム……つまり、猫の写真をことあるごとに撮って、保管しているのか?掛川先輩は」
「別におかしいことではないわ。私だってやっているもの」
さらり、と自分がかなりの猫好きであることを認めつつ、早見は記憶を反芻していく。
「見せてもらったアルバムは、当然ブランの写真ばかりだったわ。その中で、私、見たの」
「……どんな写真を?」
「中学生時代の掛川先輩のお母さんが子猫の頃のブランを抱えて写っている写真を、よ」
……一瞬だが、俺は絶句した。
それでは、今までの会話が覆る。
「待て、写っていたって言うのは、その、三十年前の写真にか?」
「ええ。写真に日付がプリントされていたから……その後の、三十年分のブランの成長記録もあったわ。頻繁に写真を撮っていたらしいから……」
──つまり、少なくとも三十年前に、ブランという猫が掛川先輩のお母さんの家に来たこと自体は、事実なのか。その後ブランを飼い続けた、というのも。
早見の話を信じるなら、そう言うことになる。
しかし、これでは話が元に戻ってしまう。
何しろ、やはりブランは三十年間生きていたのだ、という話になるのだから。
早見自身が言っていた、「さすがに考えにくい」「そんな老齢には見えなかった」という証言とも矛盾する。
「勿論、昔のことだから私の方が記憶違いをしている可能性はあるわ。だけど、私がその写真を見せてもらったのは事実よ」
「……可能性だけなら、合成写真やらなにやらも考えられるが」
「特にやる意味は無いわね。何のメリットもない」
バッサリと苦し紛れの発言は却下される。
まあ、確認のために出した話ではあったが。
──しかし、そうなるとやはり分からない……。
今現在は、ブランという猫が本当に三十年生きていた証拠と、さすがにそれはないだろうという常識がせめぎ合っているような状態だ。
どちらを主軸に考えて良いかすら分からない。
俺の頼みの勘も、今回は今一つ働いてくれそうになかった。
以前霧生が言っていたが、俺にとっての「勘が良い」いうのは、要するに元々知っていることや、無意識に認識した事実をこね合わせて得られた結論を、勘という形で知っているに過ぎない。
俺が最初から知らない事実については、さすがに勘も鈍くなる。
当たり前だが、知らないことはわからない、ということだ。
勘が教えてくれるのは、何かおかしいな、という感覚だけ。
それ以上は相応の推理力がいる。
しかし、推理力など考えこんだところで上昇するものでもない。
俺ははっきりしない謎の根幹について腕を組んで考え────。
やがて、転機が訪れた。
転機と言っても、謎が解けたわけでは無い。
ただ単に、紅茶を蒸らす時間が終わっただけである。
早見がセットしておいたのであろうタイマーが、ピピピ、と鳴りだしたのだ。
「……とりあえず、お茶にしましょう。先輩も交えて」
そう言って、早見が立ち上がる。
その様子自体が雄弁に、この話はとりあえずここで終わり、と告げていた。
その後の描写は、省かせてもらうことにする。
基本的には、早見と俺と掛川先輩で紅茶を飲んだだけだ。
早見も俺と似たようなことを考えたのか、先代猫のブランについては話を振らなかったため、収穫はなかったと言ってもいい。
要は、申し訳ないが、俺は気もそぞろだった、ということだ。
ここのところ、こういった体験が増えた気もする。
しかし、この後、一つだけ。
特筆すべきことが訪れる。
それは、いよいよ紅茶も飲み終わり、この家を立ち去ろうとした時の話。
掛川先輩が、玄関にまで見送りをしてくれた時のことだ。
「今日は、本当にありがとうねー。ほら、きっとこの子も喜んでいるからー」
靴を履いていると、ほわほわとした話し方のまま、掛川先輩が話しかけてきた。
「いえいえ、名前を考えたら、教えてくださいね」
頬笑みを浮かべ、早見が小さく手を振る。
すると、掛川先輩の方も微笑みを返し、未だに胸に抱えている子猫を見つめた。
「ほら、貴方もご挨拶をしてー」
そう言いながら、先輩は子猫の小さな前足をちょん、とつまんだ。
さらに、まるで手を振るように、左右に動かす。
どうやら、「猫もお別れを言っている」というのを動きとしてやりたいらしい。
趣向としてはよくある物の気もするが、猫の方が「僕は何をされているんだろう?」というキョトンとした顔をしているため、可愛いというよりはユーモラスだった。
何にせよ、一応見ておこうと思い、俺は猫の方を見つめる。
すると、その瞬間に────。
猫がピョン、とジャンプして、掛川先輩の胸の中から抜け出た。
彼女も油断していたのだろう。
呆気に取られているうちに、子猫は綺麗に着地し、そのままトタタッ、と廊下の奥の方に向かって走っていった。
「あー!こらー!」
あまり迫力の無い声で、掛川先輩が猫を追いかける。
その動きは、今までの印象を覆すほどに俊敏だった。
俺と早見も、慌てて履いている靴を脱ごうとする。
せっかく運んできたというのに、こんなところで猫に脱走されては話にならない。
だが幸いにも、俺と早見が掛川先輩に続き、猫を追いかけることは無かった。
というのも、一度は廊下の奥に向かった彼女が、突然戻ってきたのである。
「……あははー。ごめんねー。あの子、まだ見知った物が恋しいみたいでー」
「見知った物?」
早見が不思議そうな顔をしたが、俺にはそれが何を指しているか、すぐにわかった。
何しろ、組み立てたのが俺自身である。
知っていることに対しては、勘も働く。
「猫タワーに向かったんですね?」
確信をもって問いかければ、果たして掛川先輩は肯定した。
「うん、そうー。すごい勢いで走って、猫タワーを登ってねー。今、タワーのてっぺんで蹲っているのが分かったから、戻ったのー」
「子猫に懐かれるのは、大変ですね」
掛川先輩の言葉に、早見が同情を示す。
経験のあることらしい。
「んー、だけど、頑張って猫と仲良くなるのは、前にもしたことがあるからー。なんとかしてみるー」
「前にも?」
反射的に、疑問を返した。
大した意味があったわけでは無い。
少し、気になっただけだ。
しかし、この疑問に、掛川先輩はこう返した。
「うんー、昔、私が四、五歳の頃なんだけどねー。私がクリスマスに、パーティーをするからってことでお祖父ちゃんの家に泊まりに行って、しばらく飼っていた猫のブランと会えなかった時があってねー。クリスマスが終わって帰ってきたら、ブランに嫌われていたことがあったのー」
「嫌われ……?」
「うん、そうー。私が構ってくれなくて、拗ねちゃったのかなー。すごく仲良しだったのに、帰ってきたらずっとつーん、としててねー。もう一度仲良くなるのに、頑張ったんだー。元々好きだった日向ぼっこを、何度も一緒にしてねー」
何でもない、ただの思い出話のように、先輩はそんなことを語った。




