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探偵など要らない学園生活  作者: 塚山 凍
Case 5 三十年生きた猫事件

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推察 或いは到着

 先程同様、反射的に振り返ってみれば、そこにあったのは予想通りの姿だった。

 肩で息を切らせ、やや紅潮した顔でこちらに駆け寄る、姉の方の早見である。

 何故か手ぶらではなく、黒いケースのような物を右手にぶら下げていた。


「……いないと思ったら……ハア、こんなところに……」


 よほど急いで走ってきたのか、言葉が言葉になっていない。

 そんな状態で、彼女は持っていた黒いケースを、ゆっくりと地面に下ろした。


 そして安心したのか、盛大に呼吸を整えだす。

 こんな早見の姿を見るのはかなり新鮮だったので──彼女はあまり走ることは無く、学校では悠然としている──何となく、俺は目を細めて彼女を見つめた。


 新鮮と言えば、彼女の服装もまた、とても新鮮だった。

 私服姿の早見を見るのは、何気に今日が初めてだ。

 強いて言えば、例の事件で朝早くに学校に向かった時は、彼女はジャージを着込んでいたが、あれは私服とは少し違うだろう。


 目の前の早見は、白いトップスに淡い桃色のスカート、という春らしい姿だった。

 正直なところ、この時期でその恰好では少し暑そうだったが──息を切らせている今などは特にそうだ──そこはおしゃれ、ということなのだろう。


「あー、見つかっちゃった……」


 俺がそんなことを考えている間に、早見妹は残念そうな声をあげた。

 同時に、今までの積極性は何だったのか、というほどの素早さで、彼女はクルリ、と踵を返す。


「じゃあ、百は帰るね!えーと、彼氏?さん。子(・)猫(・)を(・)よ(・)ろ(・)し(・)く(・)ー」


 それだけ言うと、早見妹は突然、クラウチングスタートの体勢を取ったのち、猛然とマンションの玄関へ駆け出した。

 止める暇も無い。

 台風のように襲来した少女は、嵐のように去っていった。


「……あの子は、まったくもう……」


 それを見て、早見はいかにも頭を痛めた様子で、額に手を当てる。

 その様子はどことなくこなれていて、俺はなんとなく、この姉妹はこういったやり取りを繰り返しているのではないか、と考えた。

 まあ、ただの勘なのだが。


「あー、その……元気な妹、だな」


 無言でいるのも何だったので、早見に駆け寄りつつ、一応声を出す。

 すると早見も、多少気まずそうな仕草でこちらを見た。


「本当にごめんなさい。昔から、悪戯とかサプライズとかが好きな子で……」

「まあ、それは十分にわかった」


 やはり、彼女のあれは純然たる素の性格らしい。

 早見の気苦労が、何となく知れた気がした。


「私が猫を運ぶって言ったら、何故か貴方に興味を持ったらしくて……何か、変なことを聞かれなかった?」


 不意に、早見はそんなことを聞いてくる。

 途端、俺は言葉に詰まった。

 聞かれたと言えば聞かれたが────あの誤解、言って置くべきかどうか。

 どうにも、気恥ずかしかったのだ。


「……いや、特には。貴方がお姉ちゃんの友達ですかー、とか言ってまとわりついてきたけど」


 結局、核心は隠して言葉を続ける。

 その様子に、早見は少し不審そうに眉を寄せたが、それ以上の反応は示さなかった。


「それよりも、そのケースの中に、猫が?」


 妙な雰囲気を振り払うため、俺は話題をそらす。

 すると早見も、気を取り直したように足元のケースを取り上げた。


「そうよ。今日持っていく、黒猫ちゃん……ほら、御挨拶は?」


 優しい口調でそう言いながら、早見はケース──よく見たら猫用のキャリーバッグだった──の上部のジッパーを動かし、上面を解放させた。

 飼い主が様子を見るために、そこは開くようになっていたのだろう。

 そして、早見が上面を開くと同時に、か細い声で、「みゃう」という音が響いた。






 その後の俺にとって幸いだったのは、早見が既に猫タワーのパーツを詰めた段ボール箱を、一階のエントランスに下ろしてくれていたことだった。

 というよりもこれは順番が逆で、俺が来る前に下に運んでおこう、と思って、引きずるようにして段ボール箱を運んでいたところ、俺と早見妹の姿を見つけたらしい。


 なお、この流れですぐに出発したため、結局俺は、早見の家の中は見れずじまいだった。

 実際に行ったところで恐縮するだけだった気もするが、何となく残念な気持ちになるのは何故だろうか。


「……そう言えば」


 俺が段ボール箱を、早見が猫の入ったバッグを持ち運びつつ、早見の誘導で足を進めながら、ふと俺は質問をした。

 早見の家から、目的地へと向かう道の途上でのことである。


「この箱、車で運ぶのは駄目だったのか?それだったら一気に……」


 今になって聞くのも遅い気がしたが、何となく気になり、俺は前を進む早見に問いかけた。

 今日はともかく、つい先日のゴールデンウィークまでは、彼女の親が家にいたはずだ。

 その時に頼んで運んでいれば、こうやって歩く必要も無かったのだが。


「んー、私もそうできればそうしたかったのだけれど」


 声だけでも苦笑しているな、と分かる声で、早見は振り返らずに返答してくれる。


「この子、車が物凄く怖いみたいでね。エンジンを付けた瞬間、物凄くバッグの中で暴れるのよ。それを見ているのが可哀想で……」


 ──こうして歩くことになった、か。


 おおよその事情を察しながら、俺は意外な感じがして早見を見返す。

 こういった話し方を見ると、彼女はよほど猫が好きなようだ。

 好きでなければ、「車が怖いのは可哀想だから、車には乗せないでいよう」という発想は出てこないだろう。

 こういった面を見るのも、俺には初めてだった。


 ──まあそれ以前に、友達の私生活なんか、知る機会は案外ないけどな。


 これは早見だけでなく、霧生もそうだ。

 例えば、俺は霧生の親の職業を知らない。

 家の位置も知らない。

 何なら、彼女の出た中学校名すら知らない。


 基本的に部室で本を読む以外のことをしていないので、毎日会っている割に深くは聞いていないのだ。

 尤も、霧生はただの部活仲間だ、と考えれば、妥当な関係性な気もする。

 部活仲間の家の位置を、全員分知っている必要も無いだろう。


 ただ、一度こうやって、早見の家やら何やらを知ってしまうと、対照的に霧生について何も知らないのが、とても寂しいことのようにも感じられた。

 バランスを取るようなことではないのは、よく分かっているのだが。


 そんなことを思考していると、黙っているのが不思議に思われたのか、早見が首を後ろに回し、不思議そうにこちらを見つめていた。

 慌てて、俺は言葉を返す。


「まあ、あまり車に近づけないのは、良いことかもな。猫はどうしても危ないし」

「そうね、轢かれるようなこともあるかもしれない」

「それだけじゃなくてさ、エンジンルーム内に入り込むことがあるから」


 そう言うと、早見はうん?と首を傾げた。

 どうやら、初耳だったらしい。

 意外な反応だったが、一応詳しく述べる。


「この時期にはあまりないことかもしれないけど、冬のあたりは、野良猫がボンネットやエンジンルームに入り込んでいることがあるんだよ。そこの方が温かいんだろうな。それで、気づかずにエンジンをかけて、猫を死なせてしまうこともあるらしい」


 俗に言う「猫バンバン」が必要となる理由だ。

 俺も本で読んだだけで、実際に体験したわけでは無いが、痛ましい事だとは思う。

 野良猫だったとしても、車の持ち主にはトラウマ物だろう。

 それどころか、入り込んだ飼い猫がそうなった日には、どうなることやら。


「そう、そんなことが……」


 注意しておかなくちゃ、と言って、早見は小声で幾度か猫バンバン、猫バンバン、と反芻する。

 どうやら、本当に初耳だったらしい。


 ──猫を飼っている割に、そういったことは知らなかったのか?


 不意に、そんな違和感が脳を刺す。

 だがその違和感は、早見のマンションの姿を思い返すことで、呆気なく解かれた。


 そうだ、彼女はこの手のことは、知らなくても大丈夫だ。

 何しろ、早見はマンション育ち、それもあんな高級マンションである。


 いくら何でも、飼っている猫がオートロックやら警備員やらを越えて、車に入り込むことは無いだろう。

 ついでに言えば、あのマンションはペット可の場所だから──そうでなければ猫を飼うことが出来ていない──その手の対策も何らかの形でしているのかもしれない。


 ──いや、何なら専属の運転手がいるから、気にしなくていいのかもしれない……。


 ここまで行くと妄想の域だが、俺はそんな懸念まで抱く。

 何にせよ、環境が違えば、注意することも変わる、という話らしい。


 そう思っていると、反芻を止めた彼女が、もう一度こちらに顔を向けた。


「……教えてくれてありがとう。掛川先輩にも、注意しておくわ」

「掛川先輩?」

「ええ、今向かっている、この子を飼ってくれる人よ。うちの高校の三年生。……あ、ほら、見えてきたわ」


 そう言って、早見は前方を指さした。

 どうやら、猫談義をしているうちに、辿り着いていたようだ。

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