番外編:変化 或いは理解
探偵、と聞いて、あなたは誰を思い浮かべますか?
人々にこう問いかけたならば、彼らは、誰のことを口にするだろうか。
現実的な回答で言えば、興信所や、私立探偵の類だろうか。
これはまあ、妥当なところだろう。
電話帳にも載っている、現存する職業の一つだ。
小説やドラマが好きな人なら、フィクションに存在する探偵を思い浮かべるかもしれない。
これまた、健全な思考だろう。
本をあまり読まない私としては、それくらいに好きな本があるというのは、羨ましいくらいだ。
しかし、フィクションでもなければ、現実の職業でもなく。
同級生の中に存在している探偵を思い浮かべる人は、何人いるだろうか。
いや、遠回しな言い方は止めて、事実を認めよう。
ここに、一人。
同級生としての探偵を思い浮かべる人間が居る。
他でもない私自身────早見唯である。
それも、思い浮かべる対象は、同級生、などと言う浅い括りなどではない。
同じ部活に所属していて、入学直後のタイミングからの知り合いでもある。
加えて、部員が三人しかいない、泡沫のようなサークルだ。
親しくならなければおかしいくらいに近い関係、ともいえる。
そして、彼らこそ────私の、悩みの種だ。
珍しく、一人で廊下を歩く。
コツコツ、と廊下の中で足音が響くのが、妙に懐かしかった。
これは、冗談ではない。
本当に、懐かしいと分類してもいいくらい、久しく経験していない感覚だった。
この私が、一人で廊下を歩くなど。
いつも、私の隣には誰かがいた。
ある時は、私の友人が。
またある時には、勝手についてきた男子生徒が。
はたまたある時には、私を嫌っているだろう生徒が。
誓って言うが、私から彼らを誘ったことなど、一度も無い。
本当に、勝手についてくるのだ。
友達、と自称してくる生徒というのは。
だから、中学生時代から────いや、小学生時代から、こんな体験はほとんど見られなくなった。
隣に誰もいない、というのが。
それ故に────この時間は、私にとって、ささやかな幸福を噛み締める時間だった。
この、日常探偵研究会の部室へと向かう時間。
その時間を使って、私は「一人の時間」、というものを満喫していた。
「……おや、今日は早かったね」
扉を開けると、もはや聞き慣れた声が響く。
この部屋の主、霧生さんの声だ。
「ええ、あまり用事も無かったものだから」
そう言って、私は適当な椅子を引く。
勿論、口調は「日常探偵研究会用」にしておくのも忘れない。
上品そうな、いかにも女性、と言った感じの声。
男避けも兼ねて──この口調だと一定数の男を弾くことが出来るのだ──実践しているうちに、体に染みついてしまったこの声だが、霧生さんの前では特に奇異に聞こえる。
──この人、少年みたいな声を普通に出すから、私の方が浮くのよね……。無理している感じが出ちゃって。
ふと、そんな思考が浮かんだが、慌てて打ち消した。
この口調も、このキャラクター性も、私が勝手に使用しているものだ。
それがこの場に合わなくなってきているからと言って、彼女が悪いわけでは無い。
そう、例え「あの一件」以来、このキャラ付けに意味を感じなくなってしまったとしても。
彼らが悪いわけでは、無いのだから。
それはそれとして、多少の恨みがましさくらいは、感じることを許してほしいとも思うが。
そこまで考えたところで、ふと、この部屋で見るべき人物が、一人少ないことに気が付く。
部室の奥の方にいるのかとも思ったが、奥を見た感じ、そう言うわけでもないらしい。
「……彼は?」
「ああ、ゴミ捨てだよ」
さらり、と霧生さんが告げる。
端的な言葉だった。当たり前すぎて、言葉を省いたのだろうか。
そして数秒後に、さすがに不親切だと思ったのか、フォローが入った。
「この前の資料を並べ終わったら、保管期間が切れた書類の類が案外あってね。先生に聞いたら捨ててもいいってことだったから、縛ってゴミ捨て場にまで行ってもらったんだ。……僕がジャンケンに勝ったからね」
「ああ、なるほど」
一つ頷いて、私は納得する。
今はもう、授業が終わってから一時間近く経っている。
この段階で彼がいないというのなら、何か理由はあるのだろうと思っていたが、やはり仕事をしていたらしい。
──ただ、ジャンケンで負けなくとも、彼は自分で行っていただろうな……。
不意に、そんなことを思う。
基本的に、彼は優しい。
先日、教師に頼まれて資料を運んでいた時もそうだが、彼はそういったことは黙々とこなすタイプだ。
勿論、内心は面倒くさがっていたのかもしれないが、それを周囲に漏らしはしない。
こちらは、性格も入っているのだろう。
推理に相槌を打っている時を除けば、原則として静かな人なのだ。
そう、優しくて、同時に寡黙。
だから、傍から見ていると、さっきまで何も言わなかったわりに、いつの間にか突飛な行動を取っているように見える。
そのせいで、あの時も何も言わずに────。
「……!」
僅かに、唇を噛む。
それをたまたま見ていたのか、霧生さんが驚いた顔をしたのが分かった。
一瞬、嫌なことを思い出す。
いや、正確には、嫌なことではなかったか。
何というか、恥ずかしいやら情けないやらで、思い出しにくい話。
────一週間前の、コンビニのイートインスペースを想起しただけだ。
「どうかしたかい?」
心配そう、というよりも、興味を抱いたかのような顔で、霧生さんが聞いてくる。
「何やら、苦しそうだけど?」
「……いえ、何でもないわ。ちょっと、思い出すことがあっただけ」
霧生さんには、知られたくない。
ただでさえ、彼に知られただけで、個人的には大騒動だったのだ。
聡い彼女に知られたら────何というか、いよいよ行くところまで行ってしまう気もする。
そんな意味で発せられた、遠回しな拒絶。
それを受けると、霧生さんは一度、目をパチン、と開閉した。
「……そうか」
それだけ言って、彼女の視線はまた手元の本に戻った。
彼女もやはり、基本的に優しく、同時に聡い。
──彼も大概だけど、こういうところは、霧生さんも変わっているな……。
ほっとしながら、そんなことを思考する。
今まで付き合ってきた友人たちなら、ここで会話が終わることなど無かった。
次に続く言葉は、こんなものだろうか。
「えー、何々、気になるんだけどー」
「えーと、ごめん、だったら……」
野次馬根性むき出しで、より深く突っ込んでくるか。
こっちのことを忖度して、話題を無理矢理変えるか。
どちらにせよ、雰囲気とか、流れとか、そういったものを気にした返答が続いたことだっただろう。
──ここまで沈黙が気にならない女子高生も、珍しい……。
失礼だとは自覚しながら、私は霧生さんのことをじっと見つめる。
未だに、その存在を信じられない脳を、納得させるために。
物凄く唐突だが、探偵の資格、というのがあるとするなら、それは何だろうか。
推理能力だろうか。
豪運だろうか。
人脈だろうか。
決断力だろうか。
いろいろと意見はあるだろうが────私の中では、この答えは決まっている。
探偵の資格は、ただ一つ。
変人であること、だ。
それは、目の前の彼女を見るだけでも、理解できる。
霧生光。
彼女は、私の「独断と偏見で定めた変人ランキング」に置いて、第二位に位置している人間である。
ちなみに三位は空位だが、そこに誰が埋まろうとも、二位と三位の間には大きな差がある、気がする。
注意してほしいのだが、これは決して、けなしているわけでは無い。
どちらかと言えば、感嘆の意味が強い。
変人だから、他の人が気にしないことを気にする。
変人だから、周囲のことに囚われず、自由に思考できる。
変人だからこそ────彼女は、彼が持ち込んでくる謎に、解が出せるのだ。
よく、「私って変わっているからさー」と自慢のように口にする生徒がいるが、霧生さんのそれに比べれば、月とスッポン。
いや、太陽系とアメーバくらいの差が存在する。
クラスの中で演じるキャラクターなどではなく、純粋に飾らない変人さ。
それをこうも抱えている女子生徒は、学年でも彼女くらいな気もした。
そこまで、考えた時。
「戻ったぞー」
気の抜ける声と共に、後方で扉がガラリ、と開いた。
反射的に、私は肩を揺らしてしまう。
いきなり、というのは心臓に悪い。
いや、本当に、勘弁してほしい。
今現在、色々とややこしい間柄になっているところなのだから。
「ん、お疲れ様」
当然だが、最初に反応したのは霧生さんだった。
こうなると、私が反応しないのも変な話だ。
「……お疲れ様、相川君」
軽く振り返って、そう告げる。
「……ああ」
軽く返答をしてから、相川君は、来てたのか、と小さく呟いた。
どうも、彼なりに気にはしているらしい。
それでも、私を避けようとしないところが、いかにも彼らしくて、少し微笑んだ。
相川葉。
現状、私の定める変人ランキングで、ぶっちぎりの一位となっている男子生徒である。
ほんの少し前まで、彼の順位は二位だった。
それが、どうして変化したのかは────まあ、おいおい語ろうと思う。




