驚天 或いは分かり切っていた事
朝の五時半に学校についた俺は、とりあえず学校の近くに自転車を停める。
法律違反だが、仕方がない。
上手く済めば短時間で終わるのだから、勘弁してもらおう。
──当然、まだ開いてはいないよな。
誰もいない校舎を見つめながら、一人そう考える。
今はちょうど、日の出から一時間ほど経った頃だ。
まあ、だいぶ空が青くなってきたかな、というくらいである。
さすがに、まだ誰も学校には来ていないのだろう。
薄暗い朝日に照らされる校舎は、その見た目だけで内部の沈黙を示していた。
──……確か、どんなに朝練が早い部活でも、六時半くらいから開始、だったよな。
昨日の夜、部活のホームページだの、生徒の物と思われるSNSだのを巡って、集めた情報だ。
あと一時間もしなければ、朝練すら始まらない。
逆に言えば、今この時間であれば、校舎を訪れても、誰にも見られずに済む。
だからこそ、「彼女」はこのくらいの時間に来ると思っていた。
誰にも見咎められずに、例の物を回収するには、そのくらいしかないのだから。
そう思って、俺は今一度校舎を────特に、正門を見つめる。
明杏高校の正門は、古い。
いかにもレンガを積み上げただけです、とでも言いたげな顔をした塀が左右に並び、その間には金属製の門扉が存在する。
門扉の中央には鎖と南京錠が見えた。
恐らくは、あれで施錠した、ということになるのだろう。
実際のところ、門扉の高さはそう高くなく、塀の横には街路樹の類が並んでいるだけなので、侵入自体は容易なのだが────そのあたりは、最近強化されたという警備システムで何とかするのだろうか。
──むしろ重要なのは、「彼女」の方からしても、ここは侵入できると考えていそうなことだな。
一目見て、俺でさえそう思ったのだ。
「彼女」も、そう考えるのだろう。
特に、仮入部中は、朝練にも参加していたであろう、「彼女」には。
そんなことを考えながら、俺は自転車の鍵を閉め、スマートフォンと財布だけをポケットに入れて歩道に立つ。
ちなみに、服装はジャージだ。
さすがにこんな早くに制服姿では、悪目立ちをする。
そう思って、朝のジョギングをしている人に溶け込めるよう、引っ張り出してきた。
「……よーし、ちょっと何周か走るか」
誰も聞いていないであろう呟きを一応口にして、俺はその場から駆け出す。
そして、校舎の周囲を、ぐるぐると、ゆっくり走り始めた。
パッと見には、日課のジョギングをしている人のように。
その実、校舎に近づく人間を、見張るために。
最悪、空振りに終わることも覚悟はしていた。
だが、幸いにもこの日の俺には運が向いていたらしい。
十五分ほど経って、校舎の周囲を二周ほど走った時────正門付近で、俺は人影を見つけた。
細い、小さな影だ。
華奢な体を、俺と似たり寄ったりのジャージ姿で包んでいる。
ただ、私物を持ち出した俺と違い、その影が着込んでいるそれは、学校指定のジャージだった。
故に、遠目でも分かった。
その影が、一年生の女子生徒であることが。
──「彼女」、か。
ダッシュに切り替えるか、それとも気配を消すかで、一瞬迷う。
そして、結局は気配を消すことを選んだ。
ここで察知され、逃げられてしまってはこちらも困るのだ。
小走りしていた足を止め、息をひそめて歩道の端に寄る。
途端に、まだ冷えたままの朝の空気が首元を走ったが、全く気にならなかった。
今は、「彼女」の様子を見る方が先だ。
眼前で──五十メートル程は離れていたが──「彼女」は、南京錠の付随した門扉間の鎖に手を伸ばし、ガシャンガシャンと揺らしていた。
何かの拍子に、それがほどけてしまわないか、期待したのだろう。
さらに、鎖を無視して、何度か門扉の方を引っ張ってみる。
しかし、さすがにそこまで施錠が杜撰なはずもない。
門は、固く閉ざされていた。
それを確認した「彼女」は、少しの間、躊躇うかのようにその場に立ち尽くす。
──今の内、か。
俺は彼女の様子に気を配りながら、静かに、しかし素早く足を進める。
向こうがここで諦める気が無いのなら、止めなくてはならないからだ。
そして、案の定。
「彼女」は、気合を入れるように一度息を吐くと、その右足を鎖にひっかけ始めた。
ロッククライミングのように、門扉を乗り越えていく気なのだろうか。
だが、無茶だ。
昨日点検だのなんだの言っていたことからすると、この学校は警備会社と契約している可能性が高い。
最悪、警備会社の人間がすっ飛んでくるだろう。
今の時点でも、通報されないかどうかは怪しい線だ。
だから、俺はそこで駆けだした。
今は、音も気にしない。
そして、瞬く間に正門に辿り着いて────一言、言葉をかける。
「やめておけ、早見」
ビクン、と分かりやすく早見の肩が跳ねた。
同時に、機械のようなぎこちない動きで、彼女の首が後ろに回される。
そこでようやく、俺は早見の顔を見ることが出来た。
白い、白い顔。
血流などないのではないか、と思ってしまうほどの、蒼白な顔色だった。
それは恐らく、朝の寒さのせいではあるまい。
ましてや、学校への侵入を見られたことでもあるまい。
彼女が恐れていることは、その先にある。
まあ、ただの勘なのだが。
何にせよ、まずはその恐怖を拭わなくてはならない。
俺はすぐにジャージのポケットに手をやり、一枚の紙片を取り出した。
「……下書きじゃない、完成品は俺が持っている。だから、学校の中に入っても、目的の物はない」
同時に、ほら、と言って紙片を早見の方に突き出す。
しばらく、早見は目を動かすことを忘れたかのように、その紙片を見つめていた。
そして、幾ばくかして、ようやくそれが目的の物であることに気が付いたのだろう。
ずるり、と彼女は足を下ろした。
さらにその勢いで、早見はその場にしゃがみこむ。
まるで、腰から下にかけて、一切の力が入らなくなったかのような動きだった。
「……どうして……?」
やがて、頭を伏せたまま、彼女の口が微かに動いた。
本心が思わず漏れた、ということが丸わかりの、か細い声。
続く言葉は無かったが、意図は推し量ることが出来た。
どうして、自分がこう行動することがわかったのか。
そう、聞きたいのだろう。
彼女からすれば、不思議な話に思えるはずだ。
向こうの視点としては、全てを誤魔化しきったはずだったのだから。
──さて、じゃあ、説明はどこでしようか……。
蹲ってしまった早見の小さな背中を見つめながら、俺はそんなことを考えていた。
コンビニの一角には、イートインスペース、と言う物がある。
名前通り、コンビニで買ったものを食べられる、座席と椅子が置かれてある場所だ。
小さなコンビニだと用意されていないこともあるのだが、幸いなことに、俺たちの向かったそのコンビニには設置されていた。
早見を抱えるように立たせ、二人乗りの要領で自転車を動かすこと、十分ほど。
俺たちは、何の因果か、イートインスペースのあるコンビニ────俺と早見が、入学式の日に、初めて会ったあのコンビニに辿り着いていた。
「いらっしゃませー」
やる気のなさそうな店員の声が、狭い店内に響く。
それにつられたように、俺の袖に掴まるように歩いていた早見が、顔を上げた。
そして、一か月ほど前のことを思い返したように、もう一度目元を伏せた。
──別に狙ったわけじゃないが……ちょっと悪趣味だったか?
しかし、これからする話は、あまり他人には聞かれたくない、という事情がある。
もっと言えば、こんな朝に、落ち着いて話が出来る場所などそう多くない。
結局、二十四時間やっている上に、学校からそこそこ近い、ここに落ち着いたのだ。
最初に、場所代替わりに、カフェオレの缶を一本、購入する。
早見の方を見たが、彼女の方は何も言わなかった。
欲しいものがないのか、或いは話す気力もないのか。
両方あり得そうな話だったので、とりあえず、俺はもう一本、カフェオレを購入した。
「ありがとうございましたー」
ジャージ姿だったのが幸いしたのか、店員は特に俺たちに興味を抱いているようではなかった。
ジョギング中にコンビニで休憩している学生、くらいに見えているのだろうか。
早見の素顔のことを考えれば、悪目立ちする可能性もあったが、地味な恰好のせいで、あまり美人には見えていないらしい。
本当に便利な格好だ、ジャージ。
まあ、俺にとっては好都合である。
とぼとぼと、狭い歩幅でついてくる早見と共に、俺はイートインスペースに向かい、手近な椅子に腰を下ろした。
数秒遅れて、早見も俺の隣に座る。
そこまで来て、ようやく俺たちは、お互いに落ち着けることができた。
──なんだか、どっと疲れたな。
はあ、と息を吐いて、俺は缶のプルタブを上げる。
すぐさま一口飲めば、目が覚める程ではないが、確かに苦みが舌を撃った。
慣れない早起きをした身には、十分な味だ。
ふと前を見れば、早見も、いつの間にかプルトブを上げて、カフェオレを飲んでいた。
もはや言うまでもないが、顔の良さも相まって、そんな姿ですら絵になる。
かなり地味な恰好をしているにもかかわらず、一瞬、見惚れそうになったほどだ。
しかし、彼女の綺麗な口元は、不意に歪む。
そして、もう一度疑問を吐き出した。
「……どうして?どうして、分かったの?」
その口調は、今まで聞いた彼女の話し方の、どれでもなかった。
友人同士でいるときの、いかにも女子高生です、という口調とは違う。
部室に居る時の、変に上品なものでもない。
何というか、高校生にこういうのも何だが、もっと幼さを感じさせる、あどけない声だった。
──これが、本当の素か?
少しだけ、そんなことに思いをはせる。
しかし、彼女はそんな俺の感慨は無視して、もう一度問いかけた。
「ねえ、答えて。何で……この紙を書いたのが、私だと分かったの?」
──何で、か……。
どこから話すか、俺はかなり迷う。
俺だって、確信があったわけでは無い。
どちらかと言えば、勘に引きずられた感じの方が強い。
だが────勿論、理由はある。
ならば、それを順序だてて話すのが、一番いいだろう。
それこそ、推理小説の探偵たちのように。
全ての過程をここで語るとしよう。
そう考えた俺は、背筋を伸ばし、早見に相対した。
そして、霧生の真似をして、指を一つ、立てる。
慣れない仕草だが、仕方がない。
どうやら、今回の探偵役は、俺のようだから。
思う存分、語るとしよう。
「さて────」




