その全て 或いはカメラ
──確かに訳が分からないな……一度万引きされた本が、元の場所に戻って来る、か。
困惑したままの店長の前で、俺は同じく困惑して腕を組む。
隣では、霧生と百も似たような顔をしていた。
そんな俺たちに、少し表情を変えて、店長が話を聞いてくる。
「さて……因みに、そちらは何か、あの本について知りませんか。こう、変な置かれ方をしていたとか」
「いや、特には……」
「普通に、平積みされてましたけど……」
あの本を手に取った側である俺と百が、そう答えを返す。
実際、百は適当に置いてあった本を手に取っただけで、それ以上のことはしていない。
「と言うか、あの本があの位置に置いてあったこと自体は、正しいんですか?本当は別の場所にあったとかではなく?」
ふと気が付いたように、百が問いを発する。
すると店長が、すぐに頷いた。
「ええ、それは間違いがないです。あの本は新刊を並べるところの隣、専門書のコーナーに入荷時から置かれていました」
そもそも、ウチは専門書の類をあまり置いていませんしね、と店長は続ける。
確かに、店の規模や、先ほど見た店の装いから考えると、メインで置いているのは普通の文芸書と小説、後は学生向けの参考書だろう。
学術関係の本は、元から少ないようだった。
──というか、あのスペース以外では置いていないのかもな。二階より上に上がれていないからわからないけど、漫画本とかは二階の方らしいし。
不意に、そんなことを思う。
まあ、ただの勘だが。
そんなことを考える内に、俺の隣で、霧生が不意に指を二つ立てた。
丁度、ピースマークをしたような形だ。
「すいません。部外者ながら、二つ、質問良いですか?」
「ええ、良いですが……」
霧生の雰囲気は、いつの間にか多少張り詰めたものに変化している。
俺たちが良く知る、謎を解こうとする時のそれだ。
尤も、当然ながら店長はそのことをよく知らないので、驚いたような目で霧生を見ていた。
「まず、一つ。確か、あの本はチェックをした時点で、誰にも買われていないにも関わらず、五冊減っていたんですよね?」
「はい、そうですが……」
「そして、相川君がその、消えたはずの一冊をレジに持ち込んだ……では、残り四冊がどうなっているか、分かりますか?」
霧生の話を聞いて、ああ、と思った。
本が戻ってきている、という部分に注目しすぎて、そちらを失念していた。
確かに、他にも万引きされた本はあったはずで────一冊戻ってきているのなら、他にも、ということだ。
「ああ、そう言えば言うのを忘れていましたね。いや、まさにそのことは、ここに来る前に確認していたのですが……」
「どうでしたか?」
「……全て、戻ってきていましたよ。残りの四冊、全てが同じ場所に平積みされていました。今はとりあえず、先程のようなことになるのを避けるために、残り四冊は撤去していますが」
店長の言葉に、霧生はなるほど、と頷く。
どうやらこの犯人──犯罪と言える行為なのかどうかも現時点では分からないが、とりあえずそう呼ばせてもらう──は、キッチリした性格らしい。
一冊残さず、本は元のままで、元の場所に戻したようだ。
「……となると、もしかすると他にも店内に、戻ってきている本があるかもしれませんね。一週間前のチェックで、万引きされたと判明した本って、あの本だけじゃないんですよね?」
思考を続ける中でそんな考えが浮かび、つい声にだす。
すると、店長はその通りです、と言った。
「今、ウチの娘まで動員して、先だってのチェックで『万引き』とされた物の再確認をするよう、指示を出してきたところです。もしかすると、その時のチェックで数が合わなかった物が全て、書架に戻ってきているかもしれません」
「……因みに、その一週間前のチェックでカウントされた、他に万引きされた本──と言うか、万引き扱いになった本──って、どのくらいあるんですか?」
「ええと……」
必死に思い出すように、店長が視線を宙に向ける。
「確か、数は百冊弱でしたね。ほぼ二か月振りのチェックだったのですが、少し多いな、と思ったことを覚えています。ジャンルとしては、漫画本が大半で……それこそ、九割は漫画だったかな」
そう前置いてから、店長はある有名漫画の名前を出した。
最近、それを原作としたアニメが放送されていることもあり、大ヒットしている少年漫画である。
全巻揃えれば、古本屋やネットオークションではかなりの額になることだろう。
個人的な意見を言えば、小鳥遊吾郎の本よりも、万引きという犯罪と結び付けやすい本である。
仮に俺が万引き犯でも、そちらを狙うだろう。
──しかしそう考えると、何であの小鳥遊吾郎の本、持ち去られたんだ?
その漫画について考えているうちに、不意に、そんな思考が浮かんだ。
ただの勘だが、率直な感想でもある。
何というか、変な言い方になるが、今名前の挙がった少年漫画なら、万引きされる理由も分かるのである。
あの漫画の人気具合を考えれば、そりゃあ盗む奴の一人や二人いるだろう、という感じだ。
だが、俺が手に取った小鳥遊吾郎の本の方は──小鳥遊吾郎には悪いが──そこまで多くの人に欲しがられる本でも無いとは思う。
実際、俺もそれが小鳥遊吾郎の本だから興味を持ったのであって、もし彼のことを知らなければ、素通りしていたことだろう。
入門書とは言え、学術関係の専門書を買い求める程、俺は博識ではない。
つまり、あの本はネットオークションなどに出品しても、すぐに買い手がつく、とはいかないのだ。
加えて、元の値段だってそこまで高額ではないので──俺がその場で買おうと思ったくらいの値段なのだから──中古品として出品したところで、大した値にもならないだろう。
万引きとしては、非効率に過ぎる。
もしかすると、犯人としてはどうしてもあの本が欲しい事情があったのかもしれないが────それはそれで、何故五冊も、という疑問が湧く。
仮にそこまで読みたかったとしても、普通、一冊で十分だろう。
尤も、これはその本を盗んだ犯人は複数人いる、と考えればそこまでは矛盾しない。
一週間前のチェックで判明した万引き本の内、全てが戻ってきているかどうかはまだわかっていないからだ。
万引き本の内、何割かは今回の犯人の手によって盗まれた後に戻され、残りは普通の万引き犯に盗まれた、という可能性もある。
ただそれはそれで、何故複数の人間に盗まれたのに、一斉に戻ってきているのか、という話になるが……。
──……訳が分からん。
結局、俺は思考を放り出す。
それに合わせるように、霧生がもう一つの質問をした。
「もう一つ聞きます……このお店は、監視カメラがある程度は設置されていますよね?」
淡々と、霧生が話を進めていく。
「勿論カメラの位置によっては死角が発生するでしょうが、それでもカメラの映像を使えば、万引き犯にせよ、その本を持ち込んだ人にせよ、大体分かるのでは?」
「あっ、確かに!」
その手があった、というノリで百が声を出した。
「確か、幾つか店内に置いてましたよね。私、天井に設置されているの見ましたもん。それを見れば……」
「少なくとも、あの本を平台に置いていった人の正体は分かるはずだ、と思ってね。本を外から持ち込んで取り出すって、普通本屋の中では行わないような、特徴的な行動だから。どうしたって、目立つはずだ」
俺を挟んで、霧生と百がそう言う会話をする。
だが、俺はすぐに、本当にそうなのか、と感じていた。
──もしそれで分かるんだったら、俺たちがここに呼ばれていないよな……。
それこそ、霧生が先程挙げた通り、「とりあえず手作業で支払いを済ませます。後で原因は調べます」となるパターンである。
ただの勘だが、この店では、それが出来ていなかったのではないだろうか。
そう思った瞬間、予想通り、眼前で店長が気まずそうに後頭部を掻いた。
「あー……それなんですが」
「どうしました?」
「決してここの外ではしないで欲しい話なんですが……実はウチの店、監視カメラは三台しか設置して居ないんです。だから、店内の殆どがカバー出来ていません」
少しの間、バックヤードに沈黙が走った。
だが、すぐに百がえっ、と声を漏らす。
「えっ……でも、一階だけでも、結構置いてましたよね?ちらほらカメラの姿が見えましたけど」
「あれは、ダミーカメラ……ガワだけなんですよ。それだけでも、抑止効果があると聞いて……」
監視カメラを一台買うだけでもかなりのお金がかかるので、中々数を揃えるのは、と店長が申し訳なさそうに言う。
それを見て、俺は密かに納得をした。
──だから、「数か月に一回のチェックで消えた本の数を数える」とか、「警察に犯人を捕まえてもらった」とか言う言い方をしていたんだな……。
要するに、この店では監視体制が甘く、現行犯での逮捕があまり出来ていないのである。
あまりにもあからさまな例は、流石にその場で気が付くのだろうが、店員の目を盗んで持ち去られる本はかなり多いのだろう。
だから、バーコードチェックをしたり、別件で警察が犯人を捕まえたりして初めて、万引きの発生に気が付くようなことになっているのだ。
──しかし、そうなると……万引きにせよ、万置きにせよ、犯人候補はさっぱり分からない、ということになるな……。
強いて言えば、最近この店を訪れた全人物が犯人候補である。
ここからさらに絞り込む、というのも難しいだろう。
……さらに混沌としてきた状況に、俺は軽く頭痛がし始めた。