推理開始 或いは衝撃
「推理に入る前に、まずは一言、お礼を言いたい」
芝居がかった、仰々しい口調で霧生は前を見据える。
まず、彼女の視線は、目の前にいる俺の方に向かった。
「相川君が先ほど話していた推理──相手は盗んだ腕時計を自分の物だと分かっていなかったのではないか、という奴だね──を聞かせてくれてありがとう。あれのおかげで、僕の推理がはかどった」
「……あれがか?間違っていたのに?」
つい、俺の口からは疑念が漏れる。
感謝されて悪い気はしないのだが、その理由が分からなかった。
俺のあの思い付きは、既に否定されている。
正樹という人物は、腕時計の詳細を知っていた。
メールだけでも、それは確かに判別は可能だったのだ。
故に、俺が口にした、あの推理は成立しない。
早見も同じことを感じたのか、隣で顔を当惑に染めたのが分かった。
しかし、それを受け止めて尚、霧生は意見を変えない。
「いいや、感謝するさ。あの考えは、見ている方向を転換する、という点で、とても優れているからね」
「転換?」
訳の分からないことを言って、霧生はまた指を立てる。
「先程君たちも話していたが、今回の盗難未遂事件で不思議な点は、たった一つだ。何故、正樹君は自分の物を盗んだのか、という一点。アリバイだの、手法だのは問題じゃない。そうだろう、早見さん?」
「ええ、そうだけど……」
何が言いたいのか分からないのか、早見が不思議そうな声を出す。
今にも、それが何か、と言いたそうな様子だった。
「そして、これまた君が言ったことだが、彼が他の物を盗んだのであれば、この謎は全く不思議ではない。動機なんて、お金に困っていたとか、魔が差した、とでも考えればいいんだからね」
そう言ってから、霧生はもう一度俺を見る。
「つまり、『既に三つのプレゼントを確保している、正樹という人物』が、『そのプレゼントを盗む』、という二つの条件があるからこそ、これは謎になるんだ。逆に言えば、この条件が崩れてしまえば、謎は謎でなくなる」
──確かに、そうだが。
心中で俺は相槌を打つ。
一つ目の条件が崩れ、犯人が正樹君以外の人物だったなら、これはただの盗難事件であり、謎ではない。
ただ単に、他人が彼のプレゼント用の物を盗もうとしたという、普通の窃盗事件だ。
また、二つ目の条件が崩れた場合は、これは不思議な話ではなくなる。
俺の先程の思い付きと同様、彼が他の物も欲しくなってしまい、早まってしまったというだけになるからだ。、
「君たちの推論は、このうち二つ目の条件を変えることで、謎を解こうとするものだった。要は、彼の主観として、盗んだ対象が自分の物でなければ、彼の行動も不思議ではない、と。……僕が言いたいこと、分かるかい?」
「まあ……」
「何とか」
俺たちの煮え切らない反応に焦れたのか、霧生はわずかに苦笑いをする。
そして────霧生の話は、一気に核心に入った。
「だが、君たちが言うように、二つ目の条件を変えても推理は成立しなかった。なら、推理をしていくには、一つ目の条件を変えるしかないだろう」
「一つ目……犯人が正樹君であることの方を、変えるの?犯人が自分であることは、本人も認めているのに?」
狐につままれたかのような表情で、早見が困惑を漏らす。
声には出さなかったが、俺も同じくらい困惑していた。
今回の一件で、犯人がその正樹君であることは、揺るがないはずだ。
本人も認めている、ということもあるが、彼が犯人でなかったなら、その後の行動が意図不明になる、というのも大きい。
犯人でなかったのなら、何故走って逃げたのか、分からなくなるからだ。
だからこそ、俺は犯人は正樹という人物である、という点は疑っていなかった。
そこを変えてしまっては、何が何だか分からなくなる。
しかし────霧生は。
そこで、あっさりと、俺たちが思いついてもいなかったことを言い放った。
「そうだ、一つ目の条件を変える。つまりね…………君が直に会った、正樹と名乗る人物は、実は早見さんの親戚の正樹君ではなく、彼に成りすました赤の他人だったと考えよう、と言いたいんだよ」
しばらく、部室に静寂が舞い降りた。
誰もが、発声という行為を忘れてしまったかのように。
痛い程の静けさが、部室を包んだ。
「え……」
そして、ようやく、早見が口を開く。
だが、それは声らしい声にはなっておらず、実際のところただのノイズに近かった。
「え……?」
それでも、もう一度彼女は喉を震わせた。
それに合わせるように、霧生が結論を口にする。
「早見さん。恐らくだが……君が、日曜日に出会い、一緒に大叔母さんの家に向かったという『正樹君』は、本物の親戚ではない。あくまでそう自称しているだけの、別人だ」
「え……だけど、それだと普通、気づくんじゃ……」
「……いや、気が付かないぞ」
そこで、遅れて硬直から解放された俺は話の中に割り込んだ。
霧生の言葉を聞いて、思い浮かぶことがあったのだ。
「早見は確か、その正樹という親戚と、今まで一度も会ったことがなかったんだったな?」
「……そうよ、再従兄弟って、結構遠い親戚だし、住んでいる場所も遠いから」
「そして、顔写真も何も見たことがないんだったら……仮に、全くの別人が駅で制服を着て立っていても、判別はできないよな?」
そこまで言うと、早見はようやく理解が追い付いたような表情を浮かべた。
「そう、あの日は制服姿で待っている人、としか言われてなくて……制服姿の人は一人しか居なかったから、私の方から、『正樹君ですか?』って問いかけたら、向こうがそうだって言って……」
「向こうがそう言う以上、君としては判別することは出来ないね。本物の正樹君の顔を、君は知らないんだから」
霧生の冷静な分析に、俺の頭の方も冷えてくる。
そして、もう一つ事実を確認した。
「そして、早見が分からなかったのなら、早見の大叔母さんが判断することもできないな……」
「ああ、その人は、目が悪いんだろう?よく知る早見さん相手ですら、声で判別するほどに。だったら、判別は容易ではないだろう。屋敷にはお手伝いさんもいたらしいけど、その人も勤め先の主人の親戚を、全員覚えているわけでもないだろうし」
なるほど、と俺は一人頷く。
要するに、その日、早見が向かった屋敷には、正樹という親戚の顔を判別できる人物は存在しなかった、ということだ。
早見はそもそも顔を知らず、大叔母さんは知っていたかも知れないが、視力の関係で見分けられない。
だからこそ、親戚でもなんでもない人間が、「自分は親戚だ」と偽って屋敷に入ったとしても、絶対にバレないのだ。
合流の目印である、制服さえ着ていれば。
そう考えたところで、混乱した早見の声が響く。
「え……だったら、私は、親戚でもなんでもない人を、親戚だと勘違いして大叔母さんの家に連れて行った、ということなの?」
「残念ながら、そうなるね。まあ、勘違いというか、この場合犯人が意図して成りすましていたのだろうけど」
霧生が断言した瞬間、早見はお化けでも見たかのように、ぶるりと体を震わせた。
同時に、自分で自分の体を抱きかかえるように、両肘を握り締めた。
無理も無いだろう。
彼女は、疑いなく親戚だと信じ込んだ窃盗犯と、日曜日の間、常に一緒にいたのだから。
彼女の立場からすれば、完全にホラーである。
「……あれ、じゃあ、本物の正樹君は、その日は何をしていたんだ?」
ふと、俺はそんなことが気になる。
正樹君が来ること自体は、メールの連絡で既に決まった予定だったはずだ。
その日に来たのが、全くの別人の犯人だったというのなら、本物は一体どこにいたのだろうか。
俺の言葉に触発されたように、早見も顔を上げる。
そして、もう一つ、気になる点を言った。
「……彼が赤の他人だったのなら、疑問が残るわ。彼は────犯人は、いったいどうやって大叔母さんのことを知ったの?骨董品を譲る話を持ち掛けた相手は、私と本物の正樹君ぐらいしかいないはずなのに……」
「まあまあ、落ち着こうよ」
気を急く俺たちから距離を取るように、霧生は少しのけぞる。
そして、これまでの二つの推理の時のように、聞き慣れた言葉を言った。
「分かりやすいように、時系列に沿って説明と妄想をしていこうじゃないか。正樹君改め、犯人の行動を、ね」




