興味関心 或いは新種の奇行
もし、彼が僕の誘いに乗らなかったなら、そこで僕たちの関係は終わっていたことだろう。
正直なところ、小鳥遊文庫以外に、彼をこの部屋に引き留めるような物は無い。
しかし、幸か不幸か彼は僕の提案に乗り────次の日も、第二図書室に現れた。
いや、次の日だけではない。
その次の日も。
はたまた、さらに次の日も。
僕が勧めた本を読み終わっても、彼は第二図書室に来ていた。
それは要するに、彼のことを十分に観察する機会を、僕が得られた、ということでもある。
だから、もう僕は止まらなかった。
それからの、彼が本を読みに来る日。
密かに、彼の勘をもってしても気が付かれないように、十分に注意しつつ、僕は彼のことを時節見ていた。
僕と似ているようで、微妙に似ていない彼の姿を。
そして、観察すればするほど。
彼の奇妙な性格が、嫌になる程分かってきた。
──僕が言うのもなんだけど、この相川葉って人、相当変わっているな……。
何度、そう思ったことか分からない。
彼の変わっている点を列挙すれば、きりがない。
それは、特に世間話もせずに黙々と推理小説を読み続ける姿だったり。
第二図書室には熱心に来るわりに、クラス内ではこちらに気を遣っているのか、話しかけてこない姿だったり。
物凄く失礼な話だが、他の友人が大して存在しないように思えるのに、特に他者と交わろうとしない姿だったりした。
勿論、最も変わっている点は、言うまでもなく勘の良さである。
彼としては、決して自分の勘の良さを見せびらかしているつもりは無いのだろうが。
それでも何というか、日常の所作の一つ一つから、その勘が有効活用されている場面は、よく目に入った。
例えば、曇りの日にふと、彼が窓の外に目をやったとしよう。
どうしたのだろう、と思って僕が同じように外を見ると、大体数秒後に、窓に水滴がポタッとくっつく。
さらに時間が経てば、雷鳴までがゴロゴロと響いてきた。
こんな出来事は、彼を観察し始めてからは、日常茶飯事だった。
要は、ゲリラ豪雨の発生時間を空の様子から勘で当てているのである。
こうして文章にしてみると、その異常性は分かりやすいが、本当に神通力染みた勘の良さだった。
もし彼がもう少し昔の時代に生まれていたなら、予言者として祭り上げられていたのではないだろうか。
現代でも、多分、今すぐ天気予報士になれる。
或いは、こんなこともあった。
ある日、僕がうっかりして、水筒を忘れて学校に来てしまったことがある。
まあ、面倒だが、大して困る話でも無いという、よくある学生の日常の一つだ。
尤も、高校生なので、流石に飲み物を買うくらいのお金は持っている。
そう言う訳で、僕は朝にお茶のペットボトルを買い、その日はそれをちびちび飲んで過ごした。
しかし、運の悪いことに、その日は春だというのにやけに暑い日だった。
しかも、授業には体育があった。
これらのせいで、部活が始める放課後までに、僕は買ったお茶を飲み干してしまったのである。
当然、以下のようなことを考えた。
──この分だと、部活中に喉が渇くかもしれないけど、今からの二時間ちょっとくらいのためにわざわざ新しいお茶を買うのもな……。
別に、百円ちょっとをケチケチする程、小遣いに困ってはいないのだが、無駄遣いを積極的にする性格でもない。
勿体ない、という思いが先に来た。
そう言う訳で、僕は少々乾いた喉を抱えて、第二図書室に来たわけだが────────その日の相川君は、図ったようなタイミングで、二本のお茶のペットボトルを持って第二図書室に来ていた。
……彼曰く、「自動販売機で当たりを引いた。俺は水筒もあるし、買った方の一本で十分だから、当たりの方はあげるよ」とのことだった。
そして、何故わざわざお茶を買ったのか──彼の水筒はまだお茶が残っているようだったから、本来買う必要も無い──を聞くと、「ただの勘だ」と返ってくる。
おかげで、その日の僕はお茶にありつけた。
彼の勘の良さに、導かれるようにして。
──ぶっちゃけた話、彼自身が「日常の謎」の塊だな……。
何度、こう思ったか知れない。
正直なところ、彼自身がその後に持ち込んできた謎──これまた僕としては、体験談を推理っぽく話すことになった、体育倉庫の密室の件──よりも、僕にとっては彼の方が謎に満ちていた。
何故、そこまで勘が鋭いのか。
何故、その勘の良さを使い、彼の言うところの「日常の謎」に拘るのか。
そして、何故。
「やっぱり、どんなことであっても、違和感を抱えたまま終わるのは、気持ち悪いと思う」
ああも、言い切ることが出来るのか。
……上記の発言は、密室にまつわる一件の中で、彼が言った言葉だ。
本当に知りたいのか、そこまで真相を見たいのか、という僕の確認に、彼はそう答えた。
何故、ああ言えるのか。
あれほど勘が良いとなると、色々と嫌な物も見てきているだろうに。
初めて会った時から感じていたその疑問は、四月が終わろうか、という時期になってなお、解けないままだった。
だから────教師から、小鳥遊文庫の使用に対して理由付けをするために、部活の創設を勧められた時。
彼に入部してもらいたい、と思ったのは、僕としては自然な流れだった。
もう少し、もう少しだけ。
関わってみたかったのだ。
そんな、私情が多分に混じった理由を隠したからだろうか。
実際に誘う時には、少し緊張した記憶がある。
これに加えて、彼が何を考えているかは、僕の推理力でも中々読めない、と言う事情もある。
いや、部活に入るとかはちょっと、と言われる可能性も十分にあった。
故に、彼が承諾した時は、非常に嬉しくて。
同時に、それを「嬉しい」と感じた僕自身に、かなり驚いた。
──いつの間にか、彼個人にかなり執着していないか、僕……?
我がことながら、非常に恐ろしく感じた記憶がある。
何故、僕は彼のことを、ここまで気にしているのだろうか。
理屈で言えば、入学式の時に感じた動揺が未だ残っているとか、これまで一人の時期が多かったから、その反動が来ているとか、色々と理由は考えられる。
また、勘が良いわりに、こちらの心情に無遠慮に踏み込むようなことはしない彼との関係を心地よく感じている、というのもあるだろう。
特に、後者は僕にとって重要だった。
彼としては多分、僕のことを勘で色々と考察しているのだろうが、それを直接こちらにぶつけるような真似は──何かしら、彼としても我慢しているのか──決してしてこなかった。
この辺りが、日常探偵研究会を設立する前から、僕と彼が毎日第二図書室で会えていた理由なのだろう。
しかし、それにしても。
客観的に見ると、今の僕の行動は中々に危険だ、というのも事実だった。
俗な言い方をすれば、完全にヤバイ女である。
何しろ僕は、入学式の次の日から、第二図書室に来るように彼に熱心に声をかけて。
その後も、チラチラと彼を観察して。
挙句の果てに、彼と二人で部活を設立し、より一緒に居られるようにしているのである。
仮に僕と彼の立場が逆だったなら、僕は身の危険を感じていたかもしれない。
というか、何故彼は、この状況でなお平然としていられるのだろうか。
彼の勘は、こういうことには働いていないのだろうか。
日常探偵研究会が創設されたその日。
さらっと受理された研究会創設の書類を提出してから、僕は上記のようなことを呆然と考えつつ、部室に戻っていたと思う。
そして、その扉を開けようとしたところで。
僕は、室内から微かに響く、話し声を聞いた。
──えっ、誰?
正直に言えば、飛び上がらんばかりに驚いた。
何しろ、この一ヶ月近く、僕と相川君以外にこの部屋を利用した人間は居ない。
一応、小鳥遊文庫はただ読むだけなら誰でも出来るのだが、あまり知名度が無いのか、或いは純粋に明杏高校の読書人口が少ないのか、相川君以外に訪ねてきた人が居ないのである。
さらに、鍵の管理が面倒くさいのか、教師でも中々室内には立ち入らない。
そんな状況の中、相川君が誰かと話している──つまり、誰か来たということだ──のは、少し異様だった。
──今になって二人目の利用者が……?だけど、そのただ訪れただけの人と、談笑している、というのも変な気がするな……。
仮に今相川君と話している人物が、小鳥遊文庫を読むためにここに来たのであれば、当然すぐに読書に取り掛かるだろう。
本を読みきろうと考えているなら、放課後の時間と言うのはあまりにも短い。
談笑するような暇は、その利用者からしたら存在し無いのだ。
もっと言えば、相川君の方も、本来あまり他者と談笑をするような性格ではない。
それは、この一ヶ月で分かっていた。
寧ろ、この部活での彼は、「日常の謎」さえ絡まなければ、非常に物静かである。
この他、諸々の疑問が絡み合ったせいだろうか。
この時の僕は、堂々と扉を開けて中に入っていくということをせずに────扉の隙間から部室の中をこっそり覗き見るという、非常にみみっちい行為に及んだ。
何というか、あの時の僕の姿を、他の誰かに見られなくて、本当に良かったと思う。
挙動だけ見れば、完全に覗き魔のそれだ。
────しかし、当時の僕は、そのことに気が付かなかった。
当然だろう。
相川君しかいなかったはずの部室に────物凄い美少女が座って、彼と楽しそうに話しているのだから。
結果から言えば、これが僕と早見さんの出会いとなった。
あまりにも僕の行為がアレなので、他言する気は全くないが。