プロローグ 或いは推理小説ぶっちゃけ話
推理小説というジャンルの小説がある。
恐らく、知らない人は殆どいないだろう。
知名度だけで言えば、小説の分類の中でも中々に高い方だ。
この言葉を聞くだけで、ある程度本を読む人であれば様々な作家名や探偵の名前が浮かんでくるに違いない。
古くは鹿撃ち帽とパイプを抱え、警察でも手を焼く難事件を医者上がりの助手と共に解決する顧問探偵。
或いは灰色の脳細胞を持った、急行やらABCの時刻表やらに詳しいお髭のおじさんでもいい。
彼らについて知らなくても、身体が小さくなった少年や有名な名探偵の孫なら、一度くらい漫画やアニメで見たことがあるだろう。
現実で職業としている人間はかなり少ないだろうに、探偵という職業について知っている人間の数は多い。
私見だが、推理小説の知名度が高いこと自体、彼らの個性に引っ張られていることが大きいだろう。
それぐらい多種多様な事件と、魅力的なキャラクターが存在する小説たちなのだ。
だがこのジャンルの小説には、ある欠陥がある。
いや、欠陥と言っては可哀想か。
推理小説が推理小説である限り逃れることのできない構造的な弱点、泣き所と言い換えてもいい。
それは概ね、何冊かの推理小説(漫画でもアニメでもドラマでもいい)を読み込んだ読者の中で、率直な疑問という形で現れる。
特に本格とか古典とか王道とかを枕詞にした、作品内で殺人事件が起こりやすい作品に多い。
長期にわたって続いた作品ならなおのことだ。
その疑問を次にあげよう。
「こいつらの周り、殺人事件起こりすぎじゃない?」
どうだろう。
一度くらい、感じたことがある人はいるのではないだろうか。
推理小説と言うのは、当たり前だが事件が発生しないと始められない。
事件あってこそ、探偵と言う人種は輝くからだ。
まず事件が発生する。
そして偶然巻き込まれたか、依頼を受けたかして探偵が現れる。
最後に、鮮やかな推理で事件が解決に導かれる────。
これが推理小説における黄金のテンプレートだ。
勿論、歴史と伝統のあるジャンルであるため、大抵何らかの形で一捻りされる。
実は探偵が犯人だとか。
信頼できない語り手だとか。
意外性のあるトリックだとか。
様々な形で、世の推理作家たちは自分の作品に個性を与えるのだ。
しかしどの作品も、基本的に前述のテンプレートの枠からははみ出ていない。
例外もたくさんあるが、それでも基本的には作品内で事件が起こるのだ。
このせいと言うと言いすぎになるが、殺人事件を扱う本格作品が長期間に渡って連載されると、少々奇妙なことになる。
何しろ主人公が行く先々で、絶対に事件が起こるのだから。
旅行した先では、女将が殺人事件に巻き込まれて死亡。
学校に通えば、同級生が死亡。
レストランに行けば、隣の客が死亡。
飛行機に乗れば、パイロットが死亡。
これでも十分凄いが、上記の例はまだマシな方である。
凄い作品になると、歩いているだけで空から死体が降ってくる。
さらに、家に帰れば床に死体があり。
過去の回想が入ればそこでも人が死んでいて。
挙句主人公の両親や親戚まで全員殺人事件に巻き込まれたことがある、と言うのである。
いい加減お祓いにでも行った方が良いのではないか、と読者に妙な心配をされる(メタ要素を取り入れた作品によっては登場人物自身にそう言われる)ほど、彼らは死体に遭遇するのだ。
現代日本で一年間に起こる殺人事件数は、せいぜい千件弱。
殺人未遂も結構あるため、実際に死んでしまう人の数は四百人を切る。
交通事故の死者数が年間約三千五百人であることを考えれば、日本と言う国は、殺人鬼よりもそこらで走っている車の方がよっぽど怖い国なのだ。
その全国で一日一人死ぬか否かという殺人事件に、探偵たちは「偶然」遭遇するというのだから、その運の悪さは尋常ではない。
依頼を受けて自ら関わる場合もあるが、現実であれば一発でノイローゼになるだろう。
それ以前に「数多の殺人事件で常に第一発見者になる、極めて怪しい危険人物」として、公安にマークされるに違いない。
こういった事情を考えてみれば、よほど治安の悪い時代を舞台としない限り、推理小説というのは「常に異常なほどの不運に見舞われている者たちを主役とした小説」とすら言える。
ただ一つ言って置くが、この指摘は難癖と言うものだ。
何度も言うが、推理小説は基本的に何らかの謎が提示されない限り始まらない。
それに主人公を絡ませるには、どうしても主人公の周囲で事件を起こさざるを得ないのである。
そして人気が出て続刊が出版されたなら、以前の登場人物を続投させるのは当たり前だ。
故に殺人事件を扱う推理小説に置いては、主人公の周囲では何かしらの形で事件が起こり続ける。
そうでなければ読者が楽しめないとも言う。
嫌な言い方をすれば、本格推理小説というジャンルを選んだ時点で、その作品は大なり小なりリアリティを喪失するのだ。
そんなジャンルだからこそ、ネットで「主人公マジ死神笑」なんて言われると言い返せないこともある。
リアリティが無いこと自体は、概ね事実である。
多くのファンはそのあたりの不自然さは重々承知しつつ、ある程度無視する形で小説を楽しむ。
そこを指摘しても何も始まらないと理解しているのだ。
ファンタジー小説に対して「魔法が出てくるなんてリアルじゃない」と批判が来たところで、その批判は的外れとしか言いようがないだろう。
推理小説に対して「殺人事件が現代日本で頻発するなんてリアルじゃない」と言うのは、そのくらいずれている。
しかし、この手の不自然さに対抗してという訳ではないだろうが、推理小説には殺人事件を題材としない物もある。
寧ろ結構多い。
題材は詐欺だったり盗難だったりするが、中でも面白いのが「日常の謎」というジャンルだ。
これは名前の通り、現代の日常で起こりそうな事を題材とした推理小説である。
その中で提示される謎と言うのは、本当に些細なことが多い。
極端な話、「何故か今日の帰り道では猫をいっぱい見つけた、何故だろう?」という簡素な疑問でもいいのだ。
種明かしにおける理論の組み立てがしっかりしていれば、それは推理小説の題材となる。
実際に日常の謎で扱われることは、前述した猫の件のように気にしようと思わなければ気にならないことから、「小学校の上履きが同級生に盗まれた」といった辛うじて事件性があるものまで多岐にわたる。
本格推理小説ファンの人たちは怒るかもしれないが、リアリティという点だけで見れば、殺人事件を題材とした推理小説よりも「日常の謎」を題材にした推理小説の方が勝るだろう。
名前の通り、それは日常でも起こり得ることを題材としているのだから。
ただこのジャンルも、やりすぎると不気味なことになる。
場合によっては作者が「殺人事件でなければ何でもいい」と考えたのか、主人公の周りでやたらめったら「非」殺人事件が起こるようになる場合もあるのだ。
そうなれば、殺人事件以上の魔界に突入しかねない。
これが起こると、作品全体を振り返った時にこうなる。
主人公の両親は窃盗で捕まり。
恋人は詐欺で補導され。
親友は裏口入学がばれて退学となり。
親戚は薬物所持で刑務所に行き。
弟は偽札をつかまされ。
そして主人公は一年間で四百件以上の「日常の謎」を解決している、などという状況になるのだ。
こうなると殺人事件が起きていないと言うより、殺人以外の犯罪をコンプリートしている状態である。
これはこれで、作品内の日本の治安が心配になってくる。
かといって余りにもショボいことを題材にしても、それはそれで上手くいかないのがこのジャンルの恐ろしいところだ。
いくら何気ないことでも推理の対象になり得ると言っても、さすがに「今日の弁当は一グラムだけご飯の量が多い。これには理由があるに違いない」とか言って昼食のたびに推理をする男を探偵役にすると、探偵の物語ではなく、ただ頭がおかしい男の物語になってしまう。
この場合、ジャンルの変更を余儀なくされるだろう。
要は「日常の謎」と言いつつ、本当に日常に起こっているであろう物凄くしょうもないことは題材にしにくいのだ。
作者の腕が良ければそれでも面白くなるだろうが────読者と言うのは身勝手なもので、それはそれで「地味」「拍子抜け」「盛り上がりに欠ける」などと言うのである。
謎には、読者が興味を抱く程度の不思議さが必要なのだろう。
つまるところ、日常の謎の題材と言うのは。
辛うじて日常でも起こりそうだが、余りにもつまらないことではなく、しかし重犯罪にはならない程度の規模で、されど確かに読者が不思議がり、解かないといけないと思わせられるものでなくてはならない。
その上で小説としての面白さ、完成度まで求められるのである。
この難易度、ただ事ではない。
そしてこれを極めていくと、皮肉なことにリアリティはまたしても消失してしまう。
当初は、殺人事件を扱ったものよりはリアルであったにも関わらずだ。
だってそうだろう。
そんな、推理小説家にとって都合のいい謎ばかりが起きる日常生活なんて、あり得ないからだ。
リアルと言うのは、もう少し謎が少ないものである。
まあ要するに。
少なくとも普通の高校生である俺────相川葉には、探偵なんてものは要らないということだろう。
学園生活をごく普通に送るなら。
そんな事を俺は部室で霧生光に熱弁する。
彼女はふんふんと頷きながら話を聞いていたが、それが不意に途切れるとこんなことを口にした。
いつも通り、女子生徒には珍しい少年のような口調で。
「日常の謎の難しさは分かったけど……それだと僕たちがしていることはどうなるんだい?」
「……だよなあ」
俺は腰を下ろして上を見やる。
そこには、小さな看板が立てられていた。
「明杏高校・日常探偵研究会」
この高校の一年生、俺と彼女が入っている研究会である。
加えてここには居ないが、現在非常勤状態の部員も一名在籍している。
恐ろしい程の弱小サークルだが、確かにここは活動をしている。
第二図書室と呼ばれていたこの部屋を改装したのは、半年前だったか。
最初は名前通りの活動だった。
つまり、「日常的に探偵について研究する会」。
俺が推理小説を好んで読んでいたため、それが高じて部活となったのである。
まあ実際にしていたのは、研究という名の読書だけだが。
本当に、ただそれだけの部活だった。
だが、今ではその活動は異なっている。
別段推理小説が嫌いになったわけでは無いが、内容がずれたのだ。
現状を言語化するなら、それはきっとこうなるだろう────「日常の謎を専門とする探偵が集う研究会」と。
──何でこうなったんだっけ?
そんなことを考え、俺は意識を入学式の頃にまで飛ばした。
※第九回ネット小説大賞のイラストプレゼント企画に当選したため、本作登場人物の「霧生光」はイラスト化されています。
ネット小説大賞のホームページから確認できるので、興味のある方は是非閲覧ください。