英雄になったカムイ
目覚めるとそこはどこかの家のベッドの上だった。
「起きたか。どこか具合の悪いところはないか?」
声の指示に従い、俺は体を起こそうとするも力が入らない。「駄目だ、力が入らない」
「まさか実戦の最中に拡張薬を飲むとはね。無茶をする」
首だけを傾けて声のする方へと視線を移す。リュウシュウハがいた。
「やあ。因みにここは君が倒れていたカフェのオーナーの部屋だ。英雄達にならベッドを占領されても構わないとさ」
英雄? 何のことだ。それより気になる事がある。「ユユリはどこだ?」
ふっと笑ってから俺の胸を指差した。「ずっとそこにいるじゃないか」
俺は視線を自分の胸元へと移す。ユユリは俺の胸にしがみ付いていた。抱きしめるというよりも猿の子供のように一体となって眠っている。
俺は安心して天井を見た。とりあえず生き延びた。
「すまない、伝言を伝えて欲しい相手がいるんだ」俺は監督への資材をまだ届けていない。義理を欠くことはできないが、リュウシュウハに伝言を頼むとまた義理が増えるという板挟みを感じつつも言った。
「資材ならもう現場に届いている。他の精霊使いが代行してくれた」
リュウシュウハは俺の心を読んだかのように言った。
「そうか。ならばもう俺に出来る事はないな」
「そうでもないさ」リュウシュウハはどこか楽しげに言った。「君たちならシンアルにあるバベルの塔、その開かずの扉を開く事が出来ると私は確信している」
その話を彼女から聞くのは二度目であった。シンアルの首都にあるバベルの塔は途中までしか昇れない。その先に失われたかつての文明の技術が眠っているという。
「買い被りだ。ユユリはともかく、俺には何の力も無い」
そう言った俺の顔をリュウシュウハは寂しげな表情で眺めた。そして一呼吸置いてから言った。
「拡張薬は普通、その後の不調を考えてリラックスできる環境で使うものだ。まあ、その説明を省いた私に非があるが」
「お陰で助かった。礼を言う」
「勧めておいてなんだが、使わなければ使わないに越した事はない。そういう人生を送って貰えたなら良かったんだが」
邪魔したな、意識が戻ってよかった、と言って彼女は退室した。
「カムイ?」ユユリは不意に目覚めたのかのように言った。「カムイだよね?」
「ああ。一応な」
「一応じゃ駄目。カムイなんでしょ!」
なぜかご立腹な様子でユユリは叫んだ。
「どうした。俺は俺だ。正真正銘カムイだ」
そっか、と言って再びユユリは俺の胸に抱きついた。「本当に良かった」
なあ、と言って先の戦闘で俺が意識を失ってからどうなったのかを尋ねた。
「倒したよ。トリアルに侵入した精霊を全部」
「そうなのか。ユユリは強いんだな」
俺は本心から褒め称えたつもりだった。だがユユリは再び顔を上げてから今度は心配そうに言った。「覚えていないの?」
「格好悪い所を見せてしまったな」俺は気絶した事を詫びるつもりで言った。
「何を言ってるの? 凄かったのはカムイの方でしょ!」
俺は話が噛み合っていないのを感じて、俺が倒れてからの事を順に話して欲しいと告げた。
「やっぱり、あれはカムイじゃなかったんだ」
怯えた表情を見せてからユユリはたどたどしく説明しだした。
俺は一度意識を失った。同時に怪我が完治したユユリは進化した技を繰り出した。
「名付けてユユリ砲スプラッシュ! だよ」と右ストレートを打つ仕草をしながら得意げに言った。単発の大技だったユユリ砲を複数の弾丸にして広範囲に飛ばすーー、つまりショットガンのような軌道に変化させたのだ。
敵の精霊ーー、レージーナは例によって寸前で避けたが、すかさず避ける方向に向かってユユリ砲をもう一発放った。それが直撃してレージーナの片腕は消滅した。
「おい、連発したのか? よく平気だったな」
「怪我が完治した時点で思ったよ。拡張薬も凄いけれど、カムイの精も普通じゃないって。だからスプラッシュも出来たんだ。しかもまだまだ余力があった。百発中の一発を消費したぐらい? ねえねえ、聞いて! わざとスプラッシュに穴を作ったんだ。そうしたらアイツは案の定、そこへ逃げた。だからユユリ砲も当たったんだ!」
無邪気に言うが、俺はそこまで即座に考えられるユユリに驚愕した。そんな戦略まで考えられるのか。
「でも、それくらいではアイツは消えなかった。そうしたらカムイが起きたんだ」
「まったく記憶にない」
ユユリはそこで少し寂しそうに言った。「何度も、カムイ大丈夫? って言ったのにカムイは返事をしなかった」
それから俺は人間とは思えない速度でレージーナの元へ駆けつけた。ユユリ砲を寸前で避けるレージーナを捉えるだけでなく、その残った片腕を掴んで胴体から引っこ抜いた。
「あの時のカムイは少し怖かった」
それから素手で殴り続け、ついにレージーナを消滅させた。
「そうしたら敵の精霊が全部集まってきたの。おそらくあの蛇女の精霊使いが呼んだんだと思う」
ユユリもまた応戦した。だが、ユユリ砲を当てると即座に俺がその相手に飛びつき、獣のような様子でトドメを刺していったらしい。
「いつの間にか敵の精霊使いは全部いなくなっていた。隊長さんみたいに悲しむ様子も無かった。それが何か、そのね」ユユリは顔を曇らせて言った。
ユユリの言いたい事は分かる。敵の精霊使い達はまるで使い捨ての道具のように精霊達を見捨てて逃げた。しかも、あのパワーを考えると拡張薬を使っているのは明らかである。寿命の半分を賭して得た精霊をそう簡単に切り捨てることができるだろうか。おそらくーー。
「何かカラクリがあるな」
そもそも敵が攻めてくる理由自体が問題だ。リュウシュウハは確か、「ある精霊を探している」と言っていたが、その為に大量殺人をしてのけるという事はシンアル政府は国同士の紛争に発展しても問題ないと考えているという事だ。あるいはーー。
「水み国自体も何かしら関係しているのか?」
突然、左の乳首に激痛が走る。「痛てててて、どうした?」
ユユリが俺の乳首をつねっている。女の子がなんて事を。
「ずっと独り言ばっかりだから」ユユリは俺の胸に顔を伏せたまま言った。
そうだった。俺とユユリはもう人生を共有しているのだ。
「敵の意図を考えていた。シンアル政府もそうだが、水み国も関係しているような気がしている。あと、敵の精霊使いと精霊の繋がりはおそらく俺たちとは違う、そんな事を考えていたんだ」
「敵の精霊の首や手首には輪っかみたいな物があったよ。もしかしたら、何かの道具じゃないかな」顔を上げたユユリは話の内容上、笑顔を浮かべる訳にはいかないが、それなりに満足しているという表情である。
「すまないな」
「何が?」
「家に帰って静かな暮らしをするのは出来そうもない」
「僕はカムイがそうするって初めから分かっていたよ」ここでようやくユユリは笑顔を見せた。
俺は手のひらを握る、そして開く。足も動かす。全身麻酔が切れた時のように徐々に力が戻ってくる感覚がある。
「全部倒したと同時にカムイは“こ、ここまでか”と言ってまた倒れた。口調も変だった」
そうか、まだ戦闘の様子を最後まで聞いていなかった。ユユリは気のつく良い子だな、と頭を撫でるもその表情は暗い。
「あのカムイは、カムイなの?」
心配はもっともだ。だが俺には一つだけ心当たりがあった。
「まだ俺の正体を言っていなかったな」
「正体?」ユユリは怪訝な表情を浮かべつつ俺の話の続きを待った。
俺はそれから別の世界で死んでこの世界の少年の体に転生した事を告げた。
「だから、もし俺の中にもう一人いるならば、その元の少年の人格であるはずなんだ。いや、そもそも俺の方が乗っ取り犯だから、俺の中にいると言うのも違うな」そこで俺は少し考えてから言った。「いずれにしても、いつかこの体を元の少年に返さなければならない。それは忘れないでくれないか」
「そうするとカムイはどうなるの」
俺は前の世界で読んだ解離性同一障害の本を思い出して言った。
「俺の中の少年のように、心の中で眠り続けるか、あるいは俺の人格と一体化するかするだろうな」
「は」とユユリは一声発した。
「は?」
そして堰を切ったように泣き出した。まるで赤ん坊である。
俺は全身に力を込めて上半身を起こした。
「ぷはっ。やっと動いた。おい、ユユリ。どうした?」
俺は相変わらず猿の子供のように俺の胸にへばりついているユユリの肩を掴んで力任せに引っぺがした。
「いやああああああああああああああ! 何でいなくなるの? 馬鹿じゃないの! 信じられない! どうしてそんな事言うの! ユユリが大事じゃないの?」
そう言ってユユリは俺の胸を叩き出した。
俺は、おいやめろ、とか、一応病み上がりなんだぞ、とかそんな非難の台詞を言ってみたものの、ユユリの反応が嬉しかった。自分が消えて無くなることを悲しんでくれる人がいる、それが嬉しかった。前の世界ではそんな感慨に浸る間も無く死んでしまったのだから。だがーー。
「おそらく、そうなんじゃないか、という予想だ。決まったわけじゃない。どうなるのかは俺にも分からない」
「本当に? 嘘じゃない? 『適当な事を言ったらコイツ信じやがった、ちょろいぜ』とか思ってない?」
ユユリのこの語彙はどこから来るのか。俺は一連のユユリの言葉を全て否定し、最終的に「俺は死なない」とまで言った。転生している時点で、「死」の感覚は無いのでおそらく嘘にはならないと思う。
程なくしてユユリは泣き疲れて「カムイの中で寝る」と言い出して俺の体の中に入った。しばらく後に部屋のドアからノックの音が聞こえた。「どうぞ」と言うと再びリュウシュウハが現れた。