団長と拡張薬
監督に教えてもらった資材屋へ向った。途中の油パン屋で揚げたパンを購入してユユリ砲で失った栄養を補給し、資材屋に到着した。
資材屋の店主は逃げずに残っていた。「俺の家はここだけだからな」と言った店主に感慨深いものがあった。
荷車を貸してもらい購入した資材を載せて東門へと向かった。荷車は後で取りに行くと言ってくれたので気が楽になった。
「意外と戦闘には出くわさないものだな。近くに敵はいるのか?」ユユリに訊いた。
「声は聞こえない。でも戦闘中に声を出すとは限らないから」
言われてみればその通りである。町の小競り合いなら威嚇として声を張り上げるだろうが、実践で声を出すのは素人のする事である。
「でも警備隊の人たちなら多分、敵を見つけた時点で応援を呼ぶから、きっと精霊同士で連絡出来るようにしていると思う」
「なるほど」精霊と人間との詳細な意思疎通は出来ないが、精霊同士なら意識疎通は出来る。若干失礼ではあるが訓練された犬と人間の関係に近いのだろうかと思った。もっとも犬同士で言葉が通じ合っているかは想像の外ではあるが。ともあれユユリはかなり特殊な存在と言える。
つい隣で飛んでいるユユリの横顔を眺めてしまう。
「ねえ」視線を前に向けたままユユリは不意に言った。
「何だ」
「恥ずかしい」
「すまん」どうやらユユリは俺の視線に気付いたらしい。
「何か訊きたい事でもあるの?」
「まあ、山ほどあるがそれはおいおいだな。色々と片付けて、家に帰ってからだな」
「話せない事もあるよ」
「分かっている」
本当は何一つ分からない。だが、精霊という存在は何かに縛られている。それだけは分かった。ゆえにユユリが話せないのも理解した。
東門が通りの向こうに見えた頃にその男は現れた。奇妙な帽子を被っていてさながらサーカスの団長といった風態である。
「やあ」
「どうも」俺は監督の知り合いか何かだと思い、そつなく対応しようと試みた。
「力仕事は得意かい」
「得意なわけではないが、仕事柄いつも体を使っている」
「そうか。ところで精霊の強さには個体差がある。何故だか知っているか?」
男も精霊使いか、と思ったものの肝心の精霊が側にいない。ともあれ相手の質問に答えねば失礼にあたる。
「人間にも生まれついての個体差はある。その手のものじゃないのか?」
「もちろん、それもある。だが、精霊は宿主と命を共にしている。つまり宿主の能力にも左右される」
「そうなのか」
ああ、と男はどこか楽しげに言った。
「それは単純に筋力や反射神経などの物理的能力もあるが、精神的な強さも加味される。だが精神的な強さとは何だろうな。人間の中での精神的強さとは要するに他人の言う事を無視できるだけのような気もする。それって強さというより、単純に無神経なだけのような気もする」
それは対人関係だけの事であり、実際に何かを成し遂げるには一人で何かを成し遂げる事、つまり我慢強さもあるような気もすると思ったが、監督の知り合いなら失礼があってはならないと思って黙って頷いた。
「君、今嘘を吐いたね?」男は唐突に表情を曇らせて言った。「不愉快だよ」
そして、そいつは現れた。上半身は女で下半身は蛇ーー、警備隊が「蛇女」と呼んでいた精霊である。
「レージーナ、殺せ」
レージーナと男から呼ばれる蛇女の精霊は口を大きく開けて俺に今まさに噛みつこうとしていた。
「くっ」という吐息と共に俺の前に飛び出したユユリはその顔を両手で抑えた。「ユユリ砲使うよ!」
「お、おお!」と俺は背後に倒れこみながら辛うじて言った。
光の筋が青い空の中を貫いて行った。だが、間一髪の所でレージーナは避けた。
「嘘だろ」俺は思わず呟いた。
「本当だよ」と男は言った。「これでも僕は努力は惜しまない性質でね。レージーナの反射神経をそこらの精霊と同じと思われては困る」
そしてーー。
レージーナの掌底がユユリの小さな体を吹き飛ばした。ユユリは無人となったカフェのオープンテラスのテーブルをなぎ倒して地面に伏した。
「ユユリ!」
俺はユユリの元へと駆け寄る。頭から血が流れている。どうすればいい。俺は上着を脱ぎ捨て、シャツを脱いで急造の包帯を作ってユユリの頭に巻きつける。だが、血が止まらない。
「さて、そろそろいいかな」背後から声がする。
振り返ると男は余裕を見せてこちらを眺めている。レージーナもまた呆然とその隣で立ち尽くしていた。
「君たちについては生け捕りにしろと言われている。だが、個人的にはそんな気にはならない。それに」男はユユリを指差して言った。「もう事切れそうじゃないか。さてはその子は野良の精霊だね? ならばすぐに死んでしまうよ」
「ユユリ」俺は徐々に朱色に染まっていくユユリの顔から血を拭いつつ、ふと男の言葉から想起して、脱ぎ捨てた上着から拡張薬を取り出して一気に飲み込んだ。おそらく拡張薬を使えば俺の命がユユリに流れ、ユユリの痛みが俺に流れる。そうすればきっとーー。
その瞬間、全身の血が沸騰するような感覚を味わい、その後に割れるような頭痛に襲われる。
「ぐあああああああああああああ」
「おっと、余計な事を言ったかな。まさか拡張薬を持参しているとは」
全身の痛みに苛まれ、俺は倒れ込んだ。その最中、俺は見た。ユユリは起き上がり、自らの両手を眺めている。そして言った。「なにこれ」
それから意識が途切れる寸前の俺の元へ駆け寄って俺を抱え、強く抱きしめて言った。
「馬鹿カムイ。僕なんかの為に寿命を半分にするなんて」それからそっと俺を地面に戻した。「待っていて。すぐに戻るから」
その言葉を聞いた後に俺は意識を失った。