第6話 草むしりは三文の徳
テオドール・ピストリークス伯爵様の住まう屋敷に住み込みで働くようになって、はや数日が過ぎた。
今日のわたしは、屋敷の庭の草むしりをおこなっていた。
先ほどまで、執事のオルガノさんも一緒に仕事をしていたはずだったのに、なぜかいなくなり、わたしは一人でひたすら草をむしっていた。土のむせ返るような匂いが、鼻をくすぐってくる。手は泥だらけ、草で何度か切ってしまって、細かい傷がついていた。
ひざ丈の黒いワンピースに白いフリルのついたエプロンを、いつものようにわたしは着ている。ただ、今日は普段とは違って、もつれがちなくすんだ金色の髪をポニーテールにしてまとめていた。
「オルガノさんは、一体全体どこに……」
日も傾きつつあるので、だいぶ外の風が涼しくはなってきていた。
だけど、ずっと作業を続けていたのもあって、わたしの額を汗が流れていく。
額の汗を私は拭おうと、自前の手巾を取り出そうとしたんだけど……。
「は! オルガノさんがケガした時に渡したままだから、手巾がいつもより少ないんだった!」
先日、割れた壺の欠片でオルガノさんがケガをした際、止血のために手巾を貸して以来、一枚不足していたのを思い出す。
ここ数日、あいにくの雨だったこともあり、晴天の今日、やっとで干していたのだった。
「仕方ないから、このまま作業を続けようかな……」
あと何度か草をむしれば、終了の予定。このまま汗が流れたまま頑張るしかない。
決意をかためる必要があったのかは分からないけれど、決意を固めたわたしが作業を再開しようとしたところ――。
「アリア」
背後から、氷のように涼し気な声が聞こえた。
びっくりして振り返ると――。
「テオドール様!」
わたしの背後にテオドール様が立っていたのでした。
まあ、わたしの名前はアリアじゃなくてマリアですけども……。もう何回目……。
「日差しを浴びても大丈夫なんですか?!」
「私をなんだと思っている……?」
わたしが目を丸くしながら話しかけると、テオドール様からは低い声で返事があった。
いつも屋敷の中で、やれ実験だの研究だのと引きこもっていらっしゃるので、わたしの肌よりも白いんじゃないかというぐらい、彼は色白だ。
(てっきり、伝承に聞く血を吸う魔人を思い出したとか、そんなことは言えない……)
たじろぐわたしに、テオドール様が「もう良い」とだけ答えた。
(また呆れられたかもしれない……)
わたしが突拍子もないことを言って、彼が呆れる図式が段々と出来上がってきている気がする。
「オルガノから、これをお前に返してほしいと言われて渡しに来た」
そう言って、テオドール様が紺碧のフロックコートの懐から取り出したのは、わたしの白い手巾だった。
(オルガノさん、自分で渡せば良いのに……というか、ご主人様を小間使いのように利用するなんて、なんて恐ろしい……)
まあしかし、オルガノさんならやりかねないなとも思ったり……。
(というか、テオドール様が素直というか、まじめすぎるというか……)
「アリア、お前は素手で草を抜いていたのか? 手巾を返したかったのだが……」
至極真面目な表情で、テオドール様はわたしに問いかけてきた。
彼の視線は、私の土にまみれた両手に注がれている。
汚れた手を見られてしまい、わたしはなんとなく恥ずかしくなった。
「はい、もちろんです。貴族のご令嬢ではないので、手袋をつけることはできませんから」
基本的にメイドは手袋をつけない。なぜならば、手袋をするということは、すなわち家事労働をしていないことを指すからだ。
わたしはなぜだか顔を上げられなくなってしまった。
左手を右手で掴んで、俯いていると――。
「こういう作業は、お前はしなくて良い」
気づけば、テオドール様の右手が、私の右手を掴んでいた。
「テオドール様! 汚れてしまいますよ!」
綺麗な顔をした男性に手を掴まれていることよりも、わたしは彼の手が汚れてしまうことを危惧して叫んでしまった。
だけど、テオドール様は――。
「泥など払えば良い。せっかく綺麗な手なのに、細かい傷が入ってしまっているな」
――草むしりの際に、私の手に細かい傷が入ったのを気にしてくれたようだった。
(そ、それよりも、き、綺麗な手って――!)
顔が沸騰したように熱くなっていくのを感じる。
「テ、テオドール様!」
感謝を伝えようと思って、わたしが彼に声をかけたところ――。
「テオドール様! 大変です! ばあちゃんが!」
テオドール様とわたしの前に、朽葉色の髪と瞳をした執事のオルガノさんが、慌ただしく現れたのでした。