その6
「ディグエットは、15歳のとき、当主に仕える秘書の召使として雇われ、その後、秘書や会計監査官を経て、40歳で執事になっている。主人に信頼されていたことは明らかだが、人柄や勤務態度についても悪い噂ひとつない。性格は真面目で穏やか、細かいところにも目が行き届き、当主の家族だけでなく、目下の者たちからも頼りにされていたそうだ」
「パブセンス家で雇われるくらいだから、きちんとした教育も受けていたでしょうね。とても酔狂な真似をする人とは思えない……」
「堅物というほどではないが、仕事を生きがいにしていたようだ。屋敷に務めている間は、いつでも主人の求めに応じられるよう、ほとんど休暇を取っていなかったそうだ」
「……じゃあ、ケドラスさんが彼の隠し子だった、なんて線は薄そうね」
だがそうなると、ますますディグエットがケドラスに出資した理由が分からない。ずっと堅実な生き方をしてきた男が、なにを好んで大金を捨てるような真似をしたのか。童心に帰るという言い分は、ディグエットの人物像と一致しない。
「そういえば、屋敷を辞めた理由は?」
「退職したのは10年ほど前だ。老いた両親の世話を理由にしているが、その両親もすでに亡くなっていて、現在は、富裕層向けの口入れ屋のようなことをしている。もともとは知人同士の仲介をしていただけだが、彼の評判を聞きつけて、紹介や推薦の依頼が増えすぎたため仕事として請け負うようになったらしい」
「優秀な人は、なにをやらせてもそつがないってことね」
街に大邸宅を構えるような富裕層ともなると、年中行事や祝いの宴などで臨時に人を雇わねばならないことがある。もちろん臨時とはいえ素性の不確かな者を雇うわけにはいかない。
そこで登場するのが雇用主と奉公人の間を取り持つ斡旋業者で、ディグエットのように上流階層に人脈があり、かつ本人も現場の経験豊富な人間は、とくに重宝されるのだ。
ディグエットの仕事が好調な理由は理解できる。だが、それでも分からないことがある。
(いくら金持ち相手の商売とはいえ、収入はたかが知れているわよね。自分の生活のことを考えたら、22万ユアンもの大金を、赤の他人に気安く貸し出せるとは思えないけど……)
パブセンス家を去る際には退職金が出ただろうし、十分な蓄えもしていただろう。それらをケドラスへの出資金にあてた可能性もあるが、どうもしっくりこない。
ディグエットの人柄や経歴を知れば知るほど、ケドラスとのつながりが薄くなっていく印象なのだ。
考えにふけっていたサリスがふと顔をあげると、対面に座る黒鳩も黙りこみ、フードの下からこちらの様子をうかがっていた。今の段階で調べた情報は、すべて伝えたということなのだろう。
サリスは、銀貨数枚が入った小袋を懐から取り出し黒鳩の前に押し出す。
「明後日から1週間ほど街を出るの。その間に、ディグエットとケドラスの関係について、もう少し調べてみて。できれば出資金の出どころが知りたいわ」
そう言い置いてサリスが席を立ちかけたとき、不意に黒鳩が顔をあげた。
「あ、あのさ……!」
ためらいがちにサリスを呼び止めた声は、先ほどまでのよどんだ声音とは異なり、涼風のような瑞々しさを感じさせた。
頭を上げた勢いでわずかにずれたフードの下では、長く伸びた前髪が銀色の光沢を放ち、その奥では丸い瞳が金色に輝いていた。どちらも風を友とする妖精族、シルフに見られる特徴であり、まだ少年といってよい若々しい顔立ちであった。
「どうしたの? まだ何か情報があるの?」
「えっと……、その、ケドラスの妻については調べなくていいのかな……?」
「妻?」
黒鳩の言葉はサリスの意表を突いた。ケドラスの妻、すなわちカテリヤの母が、生前、夫の借金について知っていた様子はなく、今回の件には関係ないと思われた。
だからこそ、サリスは、調査対象をディグエットとケドラスの関係に絞って依頼したのだ。
「奥さんについて新しい情報があるの?」
「あ、えっと、そういうわけじゃ……」
「でも、わざわざ忠告してくれるからには根拠があるってことよね? 聞かせて」
「う、うん……」
サリスにうながされ、黒鳩は再び語り出した。
「まだ裏を取ったわけじゃないんだけど、ディグエットは、いまだにパブセンス家とつながりがあるみたいなんだ」
「あ、そうだったの? まぁ、考えてみれば当然よね。もともとパブセンス家との関係は良好で、今、彼はお金持ち相手の仕事をしているわけだし」
「それが、どうも仕事関係じゃなさそうなんだ。下男風の男がディグエットの家の裏口から入るのを近所の住民が何度も目撃していて、その男がパブセンス家の使用人らしいんだ」
「……確かにそれは奇妙な話ね。人手の斡旋ならひと目を避ける理由なんてない」
「そうなんだよ。しかも、その使用人の姿が目撃されるようになったのは、今からだいたい2、3年前、ちょうどディグエットがケドラスに出資を始めた時期と重なるんだ」
「つまり、ケドラスに渡っていたお金はパブセンス家から出ていた可能性がある、ってこと? ちょっと強引じゃない?」
「それともうひとつ。ケドラスの妻と娘が身を寄せていた修道院は、パブセンス家が土地や建物を寄進しているんだ。寄進したのは先々代の当主だけど、修道院では、毎年、春と秋にパブセンス家のために祭礼を執り行っていて、ディグエットも何度も足を運んでいるんだ」
「……それは興味深い話ね」
国王や貴族が神殿に金銭や土地を寄進することは珍しい話ではない。ことに建物の建立から関わっている場合、その神殿や修道院では特別な扱いを受ける。
日々の祈祷の折に寄進主の幸福を祈ったり、寄進主が死後に聖者として祀られるなど、教義に即した恩恵を受けられるのだ。牧場や果樹園を営むパブセンス家が、大地に恵みをもたらす豊穣神エフェナの加護を求めたとしても、なんら不思議はない。
パブセンス家の執事となったディグエットであれば、主人の付き添いや代理として修道院を訪れたであろうし、それによって顔なじみの修道士ができた可能性はある。
ケドラスの妻が修道院で暮らすようになったのはディグエットが執事を辞める前だから、何らかの接点があった可能性は捨てきれない。
「確かにつながるわね。まだ憶測でしかないけど、いいわ、ケドラスの奥さんについても調査を依頼する。とりあえず、今聞いた分の情報料はコレでいいかしら?」
懐から銀貨を1枚取り出し、黒鳩の前に置く。
「あ、い、いいよ! 今の話は、まだ裏が取れてないんだ」
「だめよ。教わったはずよ、情報は商品なの。たとえ噂話であってもね。確証がないときは先にそれを伝えた上で売ればいいの。どう判断するかは相手次第。ね?」
「う、うん」
サリスが押し出した銀貨を、黒鳩は申し訳なさそうに手に取る。
「それにしても、半日でよくここまで調べられたわね。大変だったでしょ?」
「あ、じつはこの件に関しては、もっと前から調べていたんだ」
「え?」
「3日ほど前だったかな。ウィストンさんに頼まれたんだ。サリスが依頼するかもって。もしそうでなくてもウィストンさんが料金を支払ってくれる約束で」
「あら、すっかりお見通しだったわけね」
お人好しな性分だけでなく、自腹で追加調査をすることまで予想されていたようだ。ミアルが聞けば、また皮肉を浴びせられることだろう。
いつもならサリスもここまで下調べはしないが、今回は特別であった。依頼をこなすこと以上に、「父親の借金を背負わされた幼い少女を救ってあげたい」という想いが強いのだ。
遺跡での探索には何も期待していない。ケドラスの「実績」から考えて空振りに終わるのは目に見えている。問題はそのあとだ。カテリヤの窮状を救うために打てる手は打っておきたい。
「ケドラスとディグエットの間には、まだ表に出て来ていないつながりがあるわね。それが何なのかは分からないけれど……」
まだ雲をつかむような状態だが一歩前進したことに違いはない。
反面、調査の過程でパブセンス家の名が出たことは、サリスの胸中で新たな不安の種となっていた。
ハデルの住民であるサリスにとって元老院は大きすぎる存在だ。彼らの意向に逆らえば街からの追放もありうる。万が一にも敵に回すわけにはいかない。だが――。
(だからって何もしないわけにはね。まずはできるだけ情報を集めて、あとは成り行き任せってことで)
そうサリスは結論づけた。もっともらしい言い分だが、これもミアルに言わせれば「情に流されているだけじゃん」ということになる。