その6
ことの起こりは3年前までさかのぼる。
その日、学業を終え家業に就くことになったフィロスタスは、着任の挨拶を兼ねて縁の深い聖オルキデス修道院を訪問していた。
正門から続く歩道を抜け聖堂に入ったとき、彼は堂内の清掃をしていたひとりの幼女と出会った。
小さな体にやや不釣り合いな修道服をまとったその幼女は、身の丈より長い掃除道具を器用に使い、大人たちに混じって熱心に床を磨いていた。
幼い子どもには重労働であろうに、汗の光る顔に笑顔を浮かべ、いっときも休むこと無く手を動かし続けている。
勤労に励む幼女が、天井近くの小窓から差しこむ陽の光に照らし出される光景にはある種の神々しさすら感じられ、フィロスタスはしばしの間、時の経つのを忘れて魅入られていた。
やがて作業を終えた幼女は顔を上げ、つぶらな瞳を入り口の方へ向けた。幼女の瞳の奥に自分の姿を捉えたとき、フィロスタスは、自分が恋に落ちたことを自覚した。
言うまでもなく、フィロスタスの言う清楚可憐な幼女とは、当時、母とともに修道院の下働きをしていたカテリヤのことである。
さっそくフィロスタスは人を使って幼女について調べさせた。パブセンス家の名を出せば、さほど難しい話ではない。幼女の名前や経歴はすぐに判明し、ハデルにいる父親の存在も彼の知る所となった。
カテリヤとの接点を模索していたフィロスタスは、この父親に目をつけた。カテリヤが修道院にいる限り、男の身で直接顔を合わせることは難しい。
そこで、まず父親のケドラスと交流を深め、しかるのち娘に近づこうという算段である。
「父親は遺跡探索人だったな。ならば探索の資金を援助してやれば喜ぶだろう。金などいくら使っても惜しくはない」
安直かつ杜撰な発想だが、フィロスタスには自信があった。その根拠になっていたのが、かつてパブセンス家で執事を勤め、現在は街で店を構えているディグエットの存在であった。
「ディグエットは、昔から私の言うことを聞いてくれた。本当に頼りになる男だ。きっと今回も力を貸してくれるに違いない」
とうに屋敷を去っているディグエットは、本来、パブセンス家とは無関係の人間である。
退職したからといって長年の関係が絶たれるわけでないが、いつまでも主従関係を引きずるような真似は慎むべきである。その程度のことさえ、フィロスタスには分かっていなかった。
ところが意外にも、ディグエットはフィロスタスの頼みを快諾したという。それどころか、承諾の意思を記したディグエットの手紙には、すでにケドラスに接触しうまく話を持ちかけたとまで書き添えられていた。
その後、ディグエットはフィロスタスの計画に従ってケドラスへの資金提供を開始した。気前のいい出資者を得て、資金の心配が無くなったケドラスは、それまで以上に遺跡探索に打ちこんだ。
最初のうちはケドラスも自腹を切っていて借金も控えめな額に留まっていたが、回を重ねるごと増額され、1年も経たないうちに全額をディグエットに頼るようになっていた。
このとき、フィロスタスが二流の悪党であれば、「父親の借金を理由に娘の身柄をもらい受ける」という手段もありえた。
フィロスタスがそのような選択を採らなかったのは、彼の穏やかな気質にもよるが、なにより「カテリヤに嫌われたくない」という想いからであったようだ。
「できるだけ自然な流れで彼女と知り合い、彼女から望む形でその心をつかみたい」
しおらしい口ぶりだが、要は自分から告白する度胸も覚悟も無いので、相手の方から歩み寄るよう金ずくで状況を整えようということだ。なんとも虫のいい話である。
その金のほうはといえば、当初はフィロスタス個人の私費を投じていたようだ。パブセンス家の子息だけあって相応の金額を所有していたが、さすがに無尽蔵というわけにもいかない。
2年近く経つ頃には私費も尽きてしまい、その後は彼が管理している果樹園や牧場の資金を回していたという。このあたりの事情は、サリスが黒鳩から聞いていた話と符合する。
ケドラスが「お宝を見つけたら妻と娘を迎えに行きたい」という話をディグエットにしたのもこの時期のことで、ディグエットからその話を伝え聞いたフィロスタスは喜んだ。
ケドラスがカテリヤを修道院から連れ出してくれれば、いつでも好きなときに会うことができる。ディグエットを介し、父親の恩人として振る舞えば、彼女の好感度も上がるに違いない。
フィロスタスは自分の先見の明に感激し、近未来に迫ったカテリヤとの甘い生活に酔いしれた。
だが、妄想が実現する前にケドラスが死んでしまった。フィロスタスは大きな失望と、故人に対するかすかな憤りを覚えた。せっかくカテリヤと近づく算段を整えたというのに、すべて水の泡になってしまった。
ケドラスはカテリヤとの仲介役をするどころか、お宝を発見することもなく世を去った。残されたのは、彼が浪費した借金の証文だけである。
ケドラスに渡した金は果樹園と牧場の資金を流用したもので、すぐにでも補填しなければならないが、その手立てなどない。
失意のあまりフィロスタスは自暴自棄になりかけたが、そんな彼を救ったのはディグエットからの手紙であった。
そこに記された「ケドラスの借金に関し、実子のカテリヤに請求してもよいものか」という一文を見たとき、フィロスタスは、絶望の淵に踏みこんでいた片足を引き抜ことができたのだ。
フィロスタスの頭のなかで新たな物語が紡がれていく。
「父親の残した多額の借金。しかも期日はあと1ヶ月あまり。当然、カテリヤ殿に支払えるわけがない。となれば、困ったカテリヤ殿は誰かに救いを求めるはず。その誰かとは? もちろんこの私だ! 彼女の知り合いで、私以上に裕福な者などいるわけがない!」
カテリヤから聴いた話では、この頃の2人は、まだ言葉をかわしてすらいない。
カテリヤにとってのフィロスタスは、修道院に多額の寄進をしている富豪の次男というだけで、個人的な悩みを打ち明ける理由などない。
しかし、妄想に拍車のかかったフィロスタスの脳内では、すでに2人の関係は親しい知人であるかのように書き換えられていた。
「カテリヤ殿はきっと私を頼られる。無論、私が援助を拒むわけがない。弱り果てた彼女に救いの手を差し伸べるのは、この私に与えられた使命なのだから! 一時とはいえカテリヤ殿を悩ませてしまうのは心苦しいが、恋に障害はつきもの。私という人間の魅力に気づいていただくためだ。女神エフェナもお許したもうに違いない!」
ディグエットに憎まれ役を任せ、自分は救世主を演じてカテリヤの信頼と愛を勝ち取る。厚かましいまでに自作自演の三文芝居である。
損な役回りを押し付けられるディグエットはたまったものではないはずだが、結果からいえば、彼はこのお粗末な計画にも協力しているわけで、その忠誠心の厚さにはサリスも感服させられる。
こうして見事な(と彼が自画自賛する)機転で計画に修正を施したフィロスタスだが、ここでまたも予想外の事態が起きる。
父の借金について告げられたカテリヤは、誰かに救いを求めることなく、自らの手で返済するため遺跡探索に赴くことにしたのだ。
知らせを受けたフィロスタスは狼狽した。
「こ、こんなハズでは……! ああ、カテリヤ殿、なんと無謀なことをなさるのだ! 遺跡探索などならず者のやることではないか。もし何かあったらどうするというのだ……! い、いや、街までの道中とて油断ならんぞ、ちゃんと護衛を雇われるのだろうか? 信頼できる人物でなければかえって危ないではないか!」
いっそ、自分が護衛役に名乗り出ようか。そう考えたとき不吉な未来図が頭をよぎった。
「まずいぞ。万が一、本当に財宝を発見でもされたら……! いかん、それだけは、絶対に阻止せねば!」
カテリヤが護衛を雇う前に彼女と接触できればなんとかなる。そう考えてハデルへ急いだフィロスタスであったが、街に着いてもすぐには動けなかった。
父や兄に無断で勤務地を離れたことをごまかすため、街にいる顧客や営業先の関係者に挨拶回りをしなければならず、そのために予想外の時間をとられた。
雑用を片付け、ようやくカテリヤの宿泊先を尋ねたときには、すでに彼女は護衛役の傭兵、つまりはサリスとの契約を済ませたあとだった。
「こうなったらやむを得ない。多少強引にでも探索を妨害するしかない」
こうしてフィロスタスとその部下たちは、カテリヤ一行の尾行を開始した。
遺跡に辿り着くまでなにもしかけてこなかったのは、できるだけカテリヤに被害が及ばぬよう、護衛が彼女のそばから離れるのを待っていたのだという。
「はじめからお主たちの命を奪うつもりはなかった。本当だ。ただカテリヤ殿の前から去ってくれればよかったのだ。あとはうまく取り繕って、私が彼女を守るつもりだった」
最後にそう弁明しフィロスタスは説明を締めくくった。




