その3
以上の情報のうち、カテリヤと彼女の両親の経歴に関しては、サリスも今日初めて知った。
大まかなところはウィストンから聞かされていたが、詳細は、修道院の院長の手紙で判明したことである。
手紙にはさらに、カテリヤは敬虔な信者であり、ぜひ救いの手を差し伸べて欲しいと綴られている。確かに、神官としてのカテリヤの資質に関しては疑う余地がないようだ。
院長の手紙によると、カテリヤは母の死を境に神の声を聞き、その後間もなくして癒しの魔法を使ったとあり、それが事実ならわずか10歳あまりで神官の資格を得たことになる。
修道院で育ったとはいえ、彼女自身は正式な修行を受けていたわけではない。にも関わらず、この若さで神の声に触れたということは、よほど信仰心が厚いか、あるいは神の寵愛を受けた存在ということになる。
修道院としては、親の借金に苦しむ弱者の救済を願うのもさることながら、聖人の器を秘めた少女を、むざむざと世俗の垢で汚れさせたくはないであろう。
聖人の存在は、聖俗いずれの社会にも影響を及ぼす。神に仕える聖職者の間にも派閥が存在し、そうである以上、政治に無関心ではいられない。
手紙を読み終えたサリスは、小さく息を吐き出すと、隣室の少女に視線を向けた。カテリヤは席に着いた時と同じ姿勢のまま身じろぎもせず、緊張した面持ちで卓上を見つめていた。
膝の上に置かれた手は硬く握りしめられ、床から少し浮いた足先も縮こまり、ただでさえ小柄な身体がさらに小さく見える。強張った表情からは、明らかな不安の色が見て取れる。
依頼内容に無理があることは本人も承知しているのだろう。サリスに依頼が回ってくるまでに四度断られたという話だから、そのたびに落胆してきたはずだ。
今回が五度目になる可能性は濃厚で、不安に陰った表情は、絶望の一歩手前といったところだ。
少女の様子を確認したサリスは、いったん視線を正面に戻し目を閉じる。手紙に書かれた内容から、依頼にかかる日数を試算し、経費を算出していく。
カテリヤが探索に向かう予定の遺跡は、ハデルから2日ほどの距離にある。仮に1日の旅費を1人当たり20ユアンに抑えたとしても、往復6日かかれば120ユアン必要になる。
これはあくまで最低に見積もった場合で、道具や人手が増えれば出費はさらにかさむ。おまけに街を離れている間は店を閉めなければならず、その結果、馴染みの仕事を同業者に奪われることもありうる。
「この前言ってた依頼ってコレのこと?」
思案中のサリスに声をかけてきたのは、カウンターの上に置かれた猫の像であった。
ただの銅像に見えたその猫は、錬素具の一種で、先史文明時代に広く普及した自動人形であった。
これら自動人形は、人を模した人像と動物を模した獣像に大別され、とくに大型の物は巨人像や巨獣像と呼ばれた。
もともとは労働や愛玩用に製作されたため、大半は与えられた命令に従うだけの単純な知能しか持たないが、なかには人並みの高い知性を持つ個体も作られた。
この猫は名前をミアルといい、数年前、サリスが探索に訪れた遺跡で遭遇し、それ以来の仲であった。家から出ることさえ億劫がる怠惰な性格で、普段は部屋の適当な場所で、ただの銅像のふりをしてくつろいでいる。
わがままなうえに気分屋なため、呼びかけても無視したり、かと思えば不意に話しかけてきたりと、好き勝手に振舞っている。今はウィストンの名に興味を惹かれて、カウンターに開かれた書状を覗きこんでいた。
「毎度毎度、割に合わない依頼ばかり回してくるね、あのオッサン」
「人がいいから頼られると断れないのよ」
「尻拭いしているサリスも相当のお人好しだけどね。便利屋扱いされてるんじゃない?」
「そういう打算ができる子なら、私も割り切れるんだけどね」
扉の向こうにいるカテリヤに聞こえぬよう小声で会話を重ねながら、頭の中で検討を重ねる。依頼の内容が割りに合わないことはサリスも分かっている。ここ2日ずっと悩んでいたのはそのためだ。
「悩むことないじゃん。わざわざ損することないよ」
サリスの心境を見透かすようにミアルが茶化す。
「ま、そうなのよね。結論は出ていたのよ、最初から」
再び短く息を吐くと、サリスは椅子から立ち上がり、いつもと変わらぬ軽い足取りで隣室へ向かった。
近づいて来る物音に気づき顔を上げたカテリヤは、サリスの固い表情から何かを察し、判決を待つ罪人のように小さく身体を震わせる。
その様子を横目に対面に腰を下ろしたサリスは、可能な限りの笑顔を浮かべると、つとめて柔らかい口調で話を切り出した。
「依頼の内容を確認したわ。引き受けるにあたって、いくつかたずねたいことがあるんだけどいいかしら?」
カテリヤはなにも答えなかった。サリスの言葉は簡潔で、その意思は明確に伝わっていた。しかし半ば絶望していたカテリヤは、相手の言葉をすぐには理解できなかった。
しばしサリスの顔を見つめていたカテリヤは、やおら立ち上がると勢いよく頭を下げた。
「あ、ありがとうございます! 本当に請けていただけるなんて……。あ、いえ、疑っていたわけではなくて! あ、すいません、そうではなくて……!」
よほど不安だったのだろう。必死で言葉を重ねながらカテリヤは何度も頭を下げた。
「そんなに慌てなくても大丈夫よ。ほら、お水でも飲んで」
喜びで興奮した様子の少女をなだめながら、サリスは、一時的とはいえ幼い依頼人の不安を拭い去れたことに、わずかな満足感を覚えた。
(赤字前提の仕事なんて、我ながら損な性分よね。……ま、どうせ断っても後味が悪いだけだし、知っちゃったからには、やれるだけのことはしてあげないとね)
おそらく店のカウンターにいるミアルも皮肉な笑みを浮べていることだろう。もちろん、この依頼を終えたらウィストンとも一度じっくり話し合う必要がある。だが今は、受けた依頼を全うするのが先だ。
気を取り直したサリスは、カテリヤと依頼の条件や日程について打ち合わせをしつつ、頭の片隅で先ほど算出した出費額の検算を始めていた。