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銃砲と戦像の女傭兵  作者: 参河居士
第3話 猫は見ていた
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その4

 カテリヤが目を覚ましたのは、まだ街の東の空がわずかに白みがかった時間であった。出発にはだいぶ早かったが、修道院モナステリオでは毎日この時間に起きているため、体が慣れてしまっていた。

 カテリヤは、そっとベッドから下りると、隣のベッドで寝ているエイシャを起こさぬよう静かに移動し、窓から外の様子をながめた。

 路地に人影はないが、すでに働き始めている者もいるようで、薄闇の街はかすかにざわついていた。

 カテリヤが未明の街角に漂う生活音に耳をそばだてていたころ、ちょうど彼女のいる部屋の真下でも2人の人物がささやき合っていた。ひとりは家主のサリスで、もうひとりは情報屋の黒鳩であった。

 昨日、ウィストン経由でサリスの伝言を聞いた黒鳩は、少しでも役に立つのであればと、一晩のうちにできるだけ情報をかき集め、サリスの出発に間に合うよう朝早くに訪れたのだ。

「ケドラスの妻に関する調べは進展無し。ディグエットと頻繁に会っている人物はパブセンス家の下男だと確認がとれた」

 その場にいるのはサリスだけだが、黒鳩は、情報屋の慣例にのっとりフードを目深にかぶって顔を隠し、淡々とした口調で情報を伝える。

「フィロスタスについては2つの情報がある」

 フィロスタスの人物像を端的に言い表すなら「取り柄のない、のん気な性格のお坊ちゃん」であった。

 幼い頃から才走ったところがなく、わざわざ勉学の盛んな国に留学していながら、成績はどの科目も人並みかそれ以下という有様。

 各国から集まった優秀な学生たちのなかでは、すぐに埋没してしまいそうだが、比較的整った顔立ちと大らかな人となり、なにより裕福な家柄のおかげで、留学先での評判はそれほど悪くなかったようだ。

 また、フィロスタスには、年の離れた兄と弟がいて、こちらはどちらも幼い頃から俊才として知られていた。

 兄のほうは、その言動が若い頃の父親に瓜二つと言われ、父親の右腕として家業の経営に辣腕をふるいつつ、街の行政に関わる予算委員会にも名を連ねている。

 街の学院に在籍中の弟のほうは、入学時から現在に至るまで学年首位の座を他人に譲ったことがないという。

 そのような兄と弟に挟まれているため、家族内でもフィロスタスは微妙な立場にあった。商売敵がひしめくハデルにあって、元老院を務める名家が無能な者を要職につけるわけにはいかない。

 現在、フィロスタスは、カテリヤの言ったように一部の資産管理を任されているが、そこに落ち着くまでに父と兄がさぞ苦慮したのだろうと見られている。ところが――。

「ここ最近、その仕事ぶりを怪しむ声がある」

 フィロスタスが管理を任されているのは、ハデルの北西にあるパブセンス家の別邸である。

 屋敷の周りには、小さな果樹園と牧場、そしてそこで働く人びとの家屋などがあり、屋敷の管理に加え、それらの運営もフィロスタスの手に委ねられていた。

 ただ、責任者とはいっても名目上のことで、現場の業務は、長年パブセンス家に仕える土地管理人が取り仕切っていた。フィロスタスは彼らの仕事ぶりを見ているだけでよく、問題など起こりようがなかった。

「果樹園や牧場と取引している業者たちがいうには、ここ1年あまりパブセンス家の支払いが滞るようになったらしい。それでもはじめのうちは2、3日遅れる程度だったのだが、徐々にひどくなって、今では2週間近く遅れるそうだ。業者たちの間では、近いうちに本家に陳情したほうがよいのでは、という声が挙がっている」

「その原因がフィロスタスさんにあるってこと?」

「少なくとも業者たちはそう考えている。フィロスタスが就任するまでは一度もなかったし、果樹園や牧場の経営自体も順調、そうなれば原因は金を管理している人間にある、と」

「なるほどね……」

 お金にだらしない者は信用が置けない。これは、人間社会で暮らすうちに学び得たサリスの持論であった。

「とりあえずつかめたのはそれだけ。あまり役に立たないかもしれないけど」

 腰かけていた椅子から立ち上がりながら、黒鳩が申し訳なさそうにささやく。

「そんなことないわ。カテリヤさんの話と合わせて、お坊ちゃんの人柄がかなり分かってきた。敵の情報は多いほどいいんだから」

 サリスが何気なく使った敵という言葉に、黒鳩が身をすくませる。少し迷ったあと唐突に切り出した。

「……あのさ、この依頼、断ってもいいんじゃない?」

 先程までの無機質な口調とは異なり、言葉の端に不安げな感情があふれ出ていた。

「この街でパブセンス家を敵に回すなんて危険だよ。依頼を受けたときは、そんな話聞かされてなかったんでしょ? だったら……」

 言いつのる黒鳩の口元にサリスの指先が優しくふれる。右手の人差し指を黒鳩の口元に伸ばしたサリスは、もう片方の人差し指を自分の口の前に立てながら、にっこりと微笑む。

「心配してくれてありがとう。安心して。安い喧嘩に命をはる気はないわ」

 傭兵セルヴィたちが言い交わす決まり文句も、今の黒鳩にはなんの気休めにもならなかった。

 もし彼女が本当にそう思っていのなら、こんな割の合わない依頼を受けるわけがない。それどころか、すでに依頼とは直接関係のない調査に少なくない金を使っているではないか。

 だが、黒鳩はそれ以上言葉を続けられなかった。サリスが背後に注意を払っていることに気づき、その意味を察したからだ。無言で立ち上がり、素早く身づくろいを整えると、挨拶もそこそこに玄関から出ていった。

 玄関口で黒鳩を見送ったサリスは、食堂に戻ると朝食の準備に取りかかる。といっても、今日からしばらく留守にするので余分な食材はほとんど残っていない。

 昨晩の残り物を温めるため、サリスが竈に火を起こしていると、部屋の戸口にカテリヤが姿を見せた。

「あら、おはよう。よく眠れた?」

「……」

「カテリヤさん?」

 サリスが手を止めて振り返ると、彼女をまっすぐに見つめるカテリヤの視線とぶつかる。

「え? ……あ、お、おはようございます。お布団がとても気持ちよくて、いつもより寝過ごしてしまいました」

「そう? なら良かった。すぐに食事の用意をするから、座って待っててね」

 サリスは再び竈に向き直ると中断していた作業を再開した。小さく積み上げた薪に火をつけると、その上に昨晩の鶏の煮込みの入った鍋を置く。

 鶏肉はほとんど残っていないが、代わりに余っていたキャベツの葉やそら豆などを放りこむ。まだ夜が明けたばかりだというのに、手際よく動きまわる姿からは、わずかな眠気も感じられない。

 そんなサリスとは対照的に、部屋の壁際に立ったままのカテリヤは、身動きひとつせずサリスの背中をじっと見つめていた。

 もの問いたげな表情を浮かべ、何度も喉元まで声が出かかっているのに、うまく言葉が見つからないようであった。そのうちに、サリスは鍋の準備を終え、立ったままのカテリヤに気づく。

「あらどうしたの?」

「あの……!」

「ん?」

「あ……、その、なにか、お手伝いすることはありませんか?」

「ありがとう。でも、そんなに気を使わなくていいのよ?」

 手にした布巾でテーブルの上を拭きあげながらサリスが微笑む。

「いえ、そんな……」

 言われるまま席についたカテリヤだが、まだ落ち着かないらしく、手を固く握りしめたまま、瞳だけがサリスの姿を追っている。

「もしかして、さっきの話、聞こえちゃった?」

「……!」

 カテリヤがわずかに身をすくませたのを、サリスは見逃さなかった。

(やっぱりね。そりゃ警戒されちゃうか。あんなトコ見られたら)

 カテリヤにとって、パブセンス家は主筋のようなものである。会って間もない傭兵セルヴィが、そのパブセンス家に楯突くという話を聞いて心穏やかでいられるはずがない。

「……すみません」

「ううん、いいのよ。たいした話でもないしね」

 表向きはさも些細な事柄であるかのように装いながら、内心ではいかにこの場を取り繕うか考えを巡らせる。

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