その1
「……以上が、依頼の内容です」
長々と説明を続けていた中年の男が、いったん言葉を切る。男はおそるおそるといった様子で、目の前の人物の表情をうかがう。
男が話している相手は、森を故郷とする妖精族エルフの女性であった。
丸みを帯びた顔や大きな瞳、革張りの長椅子にすっぽりと収まるか細い体つきは、まるで年端もいかない少女のようだが、妖精族であるだけに実際の年齢は分かりにくい。
エルフは物問いたげな男の視線を無視し、胸の前で腕を組んだまま、眉をしかめ、口を一文字に閉ざしている。
2人がいるのは、独立商業都市ハデルの中心街に建てられた傭兵ギルド本部の一室、ギルド長の執務室であり、先ほどから落ち着かない素振りの中年男が、ギルド長ウィストンその人であった。
年齢は四十代後半くらい、ふくよかな顔立ちと温厚な話しぶりは、荒事に長けた傭兵たちの長という印象からとは程遠い。
大通りに面した大窓から柔らかい春の陽光が差しこみ、室内を明るく照らし出している。だが、ウィストンとエルフが向い合って座る一角だけは、まるで冬の曇り空のように暗く重い空気が立ちこめていた。
エルフが不機嫌な様子で黙りこんでいるため、ウィストンは手にしたハンカチで冷や汗をぬぐう。
「それで……、その、サリス? この依頼……、受けていただけますか?」
「イヤっ! って言ったらどうするの?」
サリスと呼ばれたエルフの言葉はにべもない。分かりやすいほどうろたえているウィストンの顔を一瞥すると、サリスはふてくされたように口を閉ざした。
またしても執務室内が重い沈黙で満たされた。
もし事情を知らない者がこの場に居合わせたら、2人のやりとりを奇異に感じたことだろう。
傭兵ギルドの長といえば、このハデルでは元老院に次ぐ要職であり、街の行政に関して各省庁の長と同等の発言力を有している。
それほどの地位にある人物が、いったいどんな理由があって、一介の傭兵相手にここまで低姿勢になるのであろうか、と。
サリスに冷たくあしらわれ、いったんはくじけかけたウィストンだが、やがて自らを奮い立たせ、再びサリスの説得に乗り出す。
「あなたの気持ちは分かります。確かに先方の出した条件は法外で、容易にご納得いただけないでしょう。しかしですね、このままだと、依頼主は借金返済のために体を売らねばなりません。まだ十歳そこそこの少女が、ですよ? あまりに哀れな話だとは思いませんか?」
「そんなのココでは珍しくないでしょ。貧民街あたりなら似たような話いくらでも聞けるわ」
ウィストンの熱弁をサリスは冷淡に切り捨てた。落胆し頭を抱えるウィストンに、サリスの冷たい視線が注がれる。
かたく口を閉ざし両腕を組んだ姿は、まるで堅固な城壁のようで交渉や譲歩の余地は無いように思われた。
頭を抱えたままウィストンがうめくようにつぶやく。
「ああ……、やはり駄目ですか。分かってはいたのです……。ですが、もうあなたに頼るしかないのです。あなたに見放されてしまえば、私には、あの子を救う手立てが思い浮かびません……!」
さめざめと語るウィストンの声にもサリスは答えようとしない。
だが、氷のように冷たい瞳の奥では、かすかな揺らぎが見え始めていた。
サリスとしても、哀れな依頼人に同情する気持ちはあった。もともと情に厚い、というより情に流されやすい性格なのだ。
借金の形に身売りされた女たちの哀れな境遇を思うと、このまま無視をきめこむのは気が引けた。しかしだからといっておいそれと仕事を請け負うわけにはいかない。
ウィストンから聞かされた依頼の内容にはかなり無理があるうえ、依頼に失敗した場合、サリス自身も少なからぬ負債を背負わされるのだ。安い同情心だけで動くわけにはいかない。
サリスが必要以上に突き放した物言いをしているのは、自分に対する戒めの意味もあったのだ。
不幸に見舞われた少女を救うため、困難を承知で救いの手を差し伸べるべきか。それとも、「金にならない危険は避ける」という傭兵の鉄則にしたがって見捨てるべきか。
現実的に考えれば後者と分かっているのだが、そうあっさり割り切れるほど冷徹にもなれない。
不意にサリスが大きなため息をついた。
まるで、胸にたまっているものをすべて吐き出すかのような長く深いため息であった。その勢いに圧されウィストンが身をすくませると、顔を伏せたままのサリスが絞りだすように告げた。
「……ちょっと、考えさせて」
それが、この日の会話を締めくくる言葉となった。