第1話 今日、私の父が死んだ。
私は罪を犯した。決して法で裁かれる事の無い、しかし、とても大きな罪を。
今までずっと胸の内にしまってきた事を、ここに書き記す。
それを誰かに見てもらう事で、少しでも私の気が晴れたら良いと思ってる。
だから見て欲しい。私が犯した罪の記録を……。
私の名は洲崎真琴……これは私の実体験に基づいた回顧録であり、罪の告白。
◇ ◇ ◇
当時、私は公立高校に通う十五歳の女子高生だった。
サラサラした黒髪のロングで、背は他の子と同じくらい。
体は健康的な肉付きをしていたと思う。肌は白くて、胸は少しだけ大きかった。
中学ではソフトテニスをやっていた。
目は大きくて睫毛が長かったが、顔は自分では普通だったと思っている。たぶん、何処にでもいる普通の女子生徒。
それでも何度かクラスの男子に告白されたり、ラブレターを渡されたりはした。
(私って、案外イケてる?)
などと思いながらも、私は告白を全て断った。
理由は単純だ。告白してきた男子は全員、好みのタイプでは無かった。
友達と呼べる女子は数人いた。休み時間に昨日見たテレビの話をしたり、学校が終わった後に遊びに出かけたりもした。けれども、深い悩みを相談したりはしなかった。彼女たちは友達とは呼べても、親友とは呼べなかった。
◇ ◇ ◇
私には家族がいた。母は専業主婦で、父はサラリーマンだ。
父のローンで購入した一軒家に住む、そこそこ裕福な中流の家庭。
家族仲も悪くない。休日には親子三人で映画を見に行ったり、車で遠くにドライブに出かけたりもした。日本全体で言えば、私たちは恵まれた家庭だったと思う。
一つ心配事があるとすれば、父が発作の持病を抱えていた事だ。
父は生まれつき心臓が弱かった。ストレスに繋がる緊張や不安を抱えると、心臓の調子が悪くなる。そうなったらすぐに薬を飲まないと、命に関わる。父はいつも薬を手放さなかった。
それでも薬さえ飲み続ければ、父は長く生きられる筈だった。あんな事さえ起こらなければ……。
その日たまたま車が故障したために電車通勤した父は、乗客の一人に痴漢の疑いを掛けられてしまう。
「違う! 俺じゃないっ! 俺はやってない!」
父は必死に無実を訴えたが、周囲の人間に取り押さえられて、逃げないように電車の床へと強く押し付けられた。
その時、ストレスによる発作が起きて……父は薬を飲む暇も与えられずに亡くなった。
それからすぐ後、父を痴漢呼ばわりしたのは被害者の狂言だった事が発覚する。
なんでも電車内でのマナーを父に注意された女性が、父を逆恨みした挙句に痴漢の冤罪を被せたという話だった。
父は絶対に痴漢するような人では無かった。それなのに……。
「不幸な事故でした。ご家族の方々には本当に気の毒ですが……」
警察は父の死をそう説明したが、私は断じて認めない。
父は殺されたんだ。父を痴漢呼ばわりした相手のせいで……。
テストで良い点を取ると、父はいつも褒めて頭を撫でてくれた。私はそれがとても嬉しかった。勉強を頑張ったご褒美として、スマホを買ったり、犬を買ってくれたりもした。
優しい人だったと思う。ギャンブルもやらないし、酒を飲んで怒鳴ったりもしない。私の前では一度も夫婦喧嘩をしなかった。
私にとって理想の父親だった。好きだったかと聞かれれば、そうかもしれない。
でもその父親はもう、この世にいない。
父の死を知らされた時、母は泣いた。いっぱい泣いた。いっぱいいっぱい泣いて、目が真っ赤になって、涙が出なくなって、喉が枯れても、それでも泣き続けた。一晩中泣いた。
そして次の次の日、私が朝起きると母は居間で首を吊って亡くなっていた。
遺体のすぐ側にあったメモには、
まこと ごめんなさい。
おかあさんは さきにいきます。
と書かれていた。
それを読んだ私は、
「母さんのバカっ! 謝るくらいなら、自殺なんてしないでよっ!」
大声でそう叫んで、そして泣いた。涙が枯れるまで泣いた。一日中泣き続けた。
私は神様を呪った。いや神様なんていないと、その日強く思い知らされた。
それまで持っていた幸せを、私は三日足らずで全て失った。
◇ ◇ ◇
両親を亡くした私は、父方の祖母に引き取られた。
祖母は私に優しくしてくれる。親を亡くした私を不憫に思い、何でも言う事を聞いてくれる。私も出来るだけ祖母を困らせないようにした。
ただ祖母の住むマンションでは犬は飼えなかったので、親戚の家に引き取られた。さようなら、ワンちゃん。
今の生活に不満は無い。でもそれで両親を失った悲しみが消えて無くなる訳じゃない。
父を殺し、私から全てを奪った相手は、今も何処かでのうのうと暮らしている。私はそれがどうしても許せなかった。とても納得できなかった。
どんな手を使ってでも、父を殺した相手に復讐する……その思いは日増しに強くなった。
父は生命保険に入っていたため、多額の保険金は私が受け取る事となった。祖母は「好きに使っていいよ」と私に言った。ぜひそうさせてもらう。
◇ ◇ ◇
私は探偵を雇う事にした。むろん父を殺した相手を突き止めるためだ。そして都市伝説を扱うサイトで、ある探偵のウワサを目にした。
彼の名はジョージ・ナカタ……探偵になる前の経歴は一切不明。日本人かどうかさえ分からない。ジョージ・ナカタという名前も、恐らく偽名だろう。
彼は依頼をこなすためなら犯罪にも手を染める闇の探偵で、料金は高く、しかも前払いでしか仕事を受けないという。ただ一度受けた依頼は確実にこなす事と、依頼人の情報を漏らさない事には定評があった。
連絡先として書かれたアドレスにメールを送ると、待ち合わせの場所と時間を指定した返信が送られてきた。
半信半疑ながらも指定された待ち合わせ場所へ行くと、一人の男が向こうからやってくる。
「アンタかい? 俺に依頼したいというのは……」
男の問いに、私はコクンと頷く。
その男はトレンチコートを羽織り、中折れ帽を深く被っていて、マスクとサングラスで顔を覆い隠している。声はボイスチェンジャーで変換されている。
かなり用心深い男だとウワサにある。今目の前にいる人物が、本当にナカタ本人かどうかも分からない。彼に遣わされた代理人かもしれない。私はそれでも構わなかった。
「父さんを殺した相手を、見つけて欲しいのっ!」
そんな言葉が口をついて出た。
私は父が痴漢の冤罪を掛けられて死に追いやられた事、冤罪を被せた相手に復讐したい事、そのために探し出して欲しい事……そして復讐に役立ちそうな情報があれば、漏らさず報告して欲しい事などを伝えた。
話を聞き終えると、男は顎に右手を添えて考え込む仕草をする。依頼を受けるべきか否か、迷っているようだった。
だがしばらくすると、結論が出たように「フム」と声に出して頷いた。
「アンタの依頼、受ける事にするよ。振込先の口座番号を書いたメールを送る。そこに百万円が振り込まれたら、仕事を開始する。仕事が終わるまで十日ほど待って欲しい。それ以上経っても成果が出なかったら、受け取った金は全額返す」
依頼を承諾すると、男は最初に来たのとは別の方角に向かって歩き出す。そして建物の影に溶け込む忍者のように忽然と姿を消した。
◇ ◇ ◇
家に帰ると、口座番号が書かれたメールが送られてきた。私は男に言われるがまま、指定の口座に百万円を振り込んだ。新手の詐欺ではない事を祈りながら……。
それから十日後、添付ファイル入りのメールが送られてきた。中身を開くと、父に冤罪を被せた人物、その周囲を取り巻く家族や友人、それらの詳細なデータが画像付きで入っていた。
私が期待した以上の成果が、そこにはあった。これだけの個人情報を、どうやって調べ上げたかは分からない。何かしらの非合法な手段を使った事は間違いない。百万という大金に見合う、プロの仕事だった。
私は彼の仕事ぶりに感謝するあまり、「ありがとうございます」とだけ返信した。彼から再度の返信が来る事は無いと分かっていても……。