94 ディーネ(異世界にて)・発見
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メルの母、ディーネはメルにあてがわれた部屋を出て、自己嫌悪に陥っていました。
半年前ほど前。施設を後にしたディーネは、しばらくは元の世界に戻って放浪していました。エルフとしての能力で傭兵の真似事をするなどしてお金を稼ぎ、当てもなく、ふらふらと世界を巡っていました。
そうしてある日。いつの間にか、ディーネは他のエルフと一緒に見知らぬ土地に立っていました。
その転移は、本当に突然でした。次の街へと歩いていたら、突然転移していたのです。その直後に頭に響いてきた声、神の声に、この場にいるエルフが何かろくでもないことをしていた、というのは何となく分かりました。ディーネはそれに偶然、もしくは以前の罪の関係で巻き込まれてしまったようです。
ディーネは何もせずに他のエルフの様子を窺っていると、やがて長老が声を張り上げました。これは神に与えられた試練である、と。長老は長々と語っていましたが、要約すれば、これを乗り越えて愛し子を迎えに行こう、というものでした。まったくもって意味が分かりませんが、彼らの中ではそれは正当性のあるもののようで、反対する者は誰もいませんでした。
多くのエルフが一丸となって現状の打破へと動き始めます。
そうした中、ディーネは長老に呼び出されました。
使いである若いエルフに案内されて、ディーネは長老の前に立ちました。
「ふむ。久しいな、ディネルース」
「はい。ご無沙汰しております、長老」
長老へと深く頭を下げます。彼らはまだ、ディーネがメルと会ったことは知らないはずです。
ディーネが里を出る時、長老たちには娘を連れ戻しに行くとだけ伝えてあります。きっと今もまだ探していると思っているでしょう。本当はもう、直接会って、あちらに任せてきた後なのですが。
「ディネルース。愛し子には会えたか?」
「いいえ、残念ながら」
やはり知らないようです。ディーネは内心で安堵しつつ、表情は険しいものを作っておきます。不審に思われないように。
「そうか。ならば丁度良い。愛し子は異世界にいる。我らは愛し子を迎えに行く準備をする故、貴様も協力するといい。そうすれば、異世界へ渡る時は貴様も共に連れて行こう」
長老はそう言うと、また若いエルフを呼んで指示を出していました。
異世界に渡るためには、この世界の神の許可がいります。メルを攫うという目的で、メルを溺愛している神が許可を出すとは思えません。ですが、あの長老の自信を見れば、何かしら方法があるということなのでしょう。
メルともう一度会うつもりはありませんでしたが、もしもの時に備えてディーネは協力することにしました。
そうして分かったこと、彼らがやろうとしていることは、とても単純なことでした。
彼らに協力しているのは、どうやら異世界の、つまりは地球の神のようです。もうすぐ、こちらの世界の神、その分体の力が尽きようとしていると連絡がありました。分体の力が尽きた直後は、その分体の回収、記憶の統合のために一日ほど身動きが取れなくなるというのです。
つまりエルフたちは、そのタイミングで異世界に渡ろうということでした。あまり頻繁に転移をしようとすれば神も気付くでしょうが、地球の神が協力してその一回だけ転移魔法を使うのなら、おそらく神に気付かれることはないでしょう。
そうして、地球の神から連絡を受けて転移をして、ディーネたちは地球にやってきたのでした。
ディーネの目的はもちろん、メルを助けることです。今更あの子を不幸にするべきではありません。ここで、幸せになるべきなのです。エルフたちの隙を突いて、あの子を逃がしてあげないといけません。そして、できるなら、エルフたちをこの世界から叩き出す必要もあります。
あの世界に戻りさえすれば、あとはあの神が裁きを下すでしょう。今回ばかりはあの神も激怒しているはずです。
「まずは、勇者たちに気付いてもらうことからね……」
待っていなさい、メル。ディーネは足早にその場を立ち去るのでした。
エルフたちの隙を突き、結界に小さな穴を空けたのは、メルの誘拐から二日後のことでした。
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「シュウ。メルが見つかった」
メルの誘拐から三日目、早朝。眠っていた修司はアイリスの声に、一気に目を覚ました。体を勢いよく起こし、ベッドの側に立つアイリスを見る。そのアイリスの姿を見て、修司は目を見開いた。
彼女は、白銀の鎧で身を纏っていた。腰には剣を吊っている。どう見ても、話し合いの姿ではない。彼女の中ではもう、話し合いの段階は過ぎてしまっているらしい。もっともそれは、修司も同じことなのだが。
「場所は?」
ベッドから飛び起きて、すぐに上着を羽織る。いつでも出られるように、服はいつも外出用だ。
「ん……。近くの民家。距離は一きろめーとる? ぐらい」
「近いな……。民家ってことは、買ったのか?」
「分からない。ただ、よくよく調べてみたら、地下に結界が張られているのが分かった。多分、メルはそこ。この結界のせいで気づけなかった」
アイリスが肩を落として言う。近くにいたことに気づかなかったことで落ち込んでいるらしい。昨日は魔力による探査は日本を終えて、次は海外という話をしていた。それがまさか国内どころか近隣とも呼べる場所で見つかったのだから尚更だろう。
「ん……。ごめん、シュウ……」
「あー……。うん。気にするな、とは言えないけど……。でも、見つけられたのは事実なんだ。気に病むな」
そう言って、アイリスの頭を撫でてやる。アイリスは少し目を瞠ったようだったが、すぐに小さく頷いた。
物音を立てないように、静かに施設を後にする。アイリスの先導で走りながら、
「どうやって見つけたんだ? 一度はこの辺りは探したんだろ?」
「ん。情けないけど、偶然。何があったのか分からないけど、地下の結界が一瞬だけ消えたんだと思う。いきなり複数の魔力を感じてびっくりした」
「へえ……。ということは、だ。内輪もめでもあったか?」
「ん……。もしくは、協力してくれる人がいるのかもしれない」
「エルフに限ってそれは……」
言おうとしたところで、不意に、メルの母親の顔が思い浮かんだ。さすがにあり得ないと首を振るが、しかしどうにも気になってしまう。エルフで裏切る可能性があるとすれば、ディーネぐらいのものだろう。どういった心境の変化があったのか分からないが、それならいいなと少し思えてしまう。
「シュウ」
アイリスの声色が真剣なものになっている。修司がアイリスを見ると、彼女はゆっくりと立ち止まって振り返ってきた。それに合わせて修司も立ち止まる。急ぎたい気持ちはあるが、それを知っていてなお足を止めるということは、それ相応の理由があるはずだ。
「注意がある」
「なんだ? 安全第一は同行の条件としてさんざん聞いたぞ。他にあるのか?」
メルが見つかった場合は修司も同行する。これは最初から言っていたことだ。アイリスとケイオスにも、身の安全を第一に考えるという条件をつけられたが、とりあえずは認められている。今更駄目だとでも言うつもりかと思ったが、アイリスは神妙な面持ちで言う。
「ん……。地下の結界は、私と魔王ですら気づけなかったほどのもの。私と魔王なら、ほとんどの結界は、中の様子が分からなくても存在まで気づけないということはあり得ない」
「そうなのか。でもほとんどってことは、今までもあったんだろ?」
「ん……。あっちでは、神様が自ら張ったらしい結界は、分からなかった」
アイリスの言いたいことが分かってしまった。分かってしまったからこそ、修司の顔は青ざめた。
つまりは、エルフには神かそれに近しい何かが味方している、ということだ。
「エルフが何をしているのか分からない。だから、本当に気をつけてほしい。私と魔王に何があっても、シュウはメルを助けることを優先してほしい。それこそ」
私たちが、死のうとも。
アイリスの視線が、真っ直ぐに修司を貫く。冗談で言っているわけではないことはすぐに分かる。アイリスはそれがあり得ることだと考えているのだ。それはおそらく、魔王も。
修司は喉を鳴らして、それでもしっかりと頷いた。
未だ実感は湧かない。そこまでの覚悟が修司にあるわけではない。けれど、時間があるわけではない。今はただ、アイリスたちの覚悟を無駄にしないようにするしかないのだ。
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ではでは。