74 イルカショー
円形の観客席と、中央に巨大なプール。時折テレビで見ることもある、よくあるショーのプールだ。そのプールの中では、すでにイルカが自由気ままに泳いでいる。メルはそれを、目を輝かせて見つめている。
修司たちが座るのは、最前列の席だ。雨合羽と傘が渡されたことから、何となくこの後に降りかかることが予想できる。メルは不思議そうにしながらも、修司に言われて雨合羽も着ていた。
「イルカさんかわいい!」
「うんうん。そうだな」
修司としてははしゃぐメルの方がかわいいと思う。伝わるはずもないのに、メルがイルカへと手を振っているのが微笑ましい。……イルカがよくメルの目の前でくるりと一回転したりしているが、たまたま、そう、気のせいだ。間違い無い。
少しして、ショーが始まった。進行役は男女二人組。お兄さんとお姉さんとでも呼んでおこう。二人が合図すると、イルカたちはボールで遊んだりリングをくぐったりと、様々な芸を披露してくれる。その後は決まって必ず魚もあげていて、こうして見ているだけなら確かにかわいいと思う。
メルはそれらの芸に細かく歓声を上げて、とても楽しそうだ。傘の準備をお願いします、というアナウンスの後に水をぶっかけられても、メルは嬉しそうにしていた。
ショーの最後は触れ合い体験だ。希望者のうちお兄さんお姉さんが一人ずつ選んだ観客に、イルカに触ってもらおうというもの。もちろん真っ先にメルが手を上げた。お兄さんとお姉さんも、すぐ前で歓声を上げるメルに気が付いていたのだろう、真っ先に指名してくれて、メルは嬉しそうにステージに向かう。
「あ、お父さん、でしょうか? 良ければ一緒にどうぞ」
「あ、はい」
お兄さんに促されて、修司もステージへと向かう。プールをぐるっと回ってステージの横へ。階段を上がれば、それなりに広い観客席を見渡すことができた。
「お父さん。そこなら水はかからないので、写真いいですよ」
「え? いいの?」
「はい。いつものことですから」
にこやかな笑顔のお姉さん。どうやらイルカを触る子供の写真を撮りたい親というのは、やはり多いものらしい。お言葉に甘えて、指示された場所へと向かう。近すぎず遠すぎずの場所で、分かりやすいように小さな円が描かれていた。本当によくあることらしい。
その間に、もう一人、メルと同い年ぐらいの女の子が指名されて、ステージに上がってきた。そしてもちろん、お父さんだろう人も一緒に。その人もお姉さんから説明を受けて、修司の隣に立った。
「いやあ、これはいい思い出になりますね」
そのお父さんの言葉に、修司は笑って頷く。
「ですね。帰ってからも喜んでもらえそうです」
そうして話している間に、お兄さんが合図をした。するとイルカが顔を出した。そのイルカへと、まずは女の子が手を伸ばした。おっかなびっくりといった様子だが、それでもしっかりとイルカに触れる。隣のお父さん、カメラを構えてシャッターをきりまくる。気持ちは分かる、とても分かる。
イルカが戻っていって、女の子がお父さんの元へと走っていく。大興奮だ。
次はメルの番だ。お姉さんが合図をして、再びイルカが顔を出す。先ほどとは違うイルカのようだ。そしてメルは、躊躇うことなくそのイルカに触れた。
「うお……」
少し躊躇うだろうと思っていた修司は慌てて写真を撮る。
「娘さん、怖い物知らずですな」
お父さんが笑いながら言う。修司としては気が気では無い。もっとも、少し慣れつつあるのも確かだが。
写真を撮っていて思うことは、随分と長いなということだ。先ほどは少しだけの触れ合いだったが、今回はイルカがなかなか戻らない。お姉さんも困惑しているのが分かる。
メルはしばらくイルカを撫でた後、普段とは違う、優しげな微笑みを浮かべた。
「うん。がんばってね」
メルがそう言った直後に、イルカが戻っていく。そうして挨拶とばかりに、飛び跳ねてくるんと一回転。メルはにこにこと嬉しそうだったが、お兄さんお姉さんのコンビは口をあんぐりと開けていた。
「何してたんだ?」
ショーを終えて、昼食のためにレストランに向かいながらメルへと聞く。もちろんイルカと触れ合っていた時のことだ。言わずともメルも分かっているようで、すぐに答えてくれた。
「あのね。イルカさんとお話ししてたの」
「お話しって……。イルカと? 会話できたのか?」
「イルカさんはすごくかしこいんだよ? えっと、しねん? のでんたつ? だったけど、ちゃんとい、し、えっと……。いしそつう! できたよ」
「おー。難しい言葉知ってるんだな。えらいぞー」
「きゃー!」
わしゃわしゃと頭を撫でてやる。メルは楽しげな声を上げながら逃げて、そしてすぐに戻ってきた。嬉しそうに修司と手を繋ぐ。褒めてもらえたのが嬉しいらしい。
「それで? 何の話をしたの?」
「んっとね……。狭い場所で大変だねって。辛くないのって聞いたの」
「そ、そっか」
ずっとはしゃいでいたメルだったが、もしかするとイルカには自分の境遇を重ねていたのかもしれない。聞いたところで何かが変わる、変えられるわけではないだろうが、聞かずにはいられなかたのだろう。
「答えは?」
「うん。狭いけど、ご飯がたくさん食べられるからいいんだって。人間に合わせてあげるだけでたくさん食べられるから、少なくともあの子は満足してるって言ってた。別のイルカさんは怒ったりもしてるらしいから、全員がじゃないらしいけど」
「そう、か……」
そう言えば昔、学校の教科書に、イルカや鯨の知能は人間に匹敵するとどこかで読んだ覚えがある。確か国語の教科書だったはずだ。事実はどうか分からないが、人間に対して何かしらの感情を抱いていても不思議ではない、のかもしれない。
「君も色々あるみたいだけどがんばりなさいって、言われちゃった」
「うん……。そっか」
どう言葉をかけていいのだろう。メルの境遇を知っていても、修司にその気持ちが分かるわけもなく。イルカにそんなことを聞いたということは、今もきっと何かしら思うところがあるのかもしれない。けれど、修司には、分からない。
自分の不甲斐なさを歯がゆく思っていると、メルがきゅっと修司の手を握りしめた。
「おとうさん」
「ん……。どうした?」
「今はすごく幸せ、だよ。大好きなおとうさんと一緒にいられるから」
にぱっと笑うメル。その言葉が嘘ではないと、誤魔化しではないと、すぐに分かる。
「だっこしてあげようか」
「だっこ!」
ばっと両手を突き出してくるメルに笑いながら、修司はメルを抱き上げた。とりあえず今は、甘えさせてあげよう。そんな気分だった。
館内を一通り巡り、たくさんの魚を見たメルはとても満足そうだった。帰りの電車では、メルは土産物屋で買って貰ったイルカのぬいぐるみを大事そうに抱えている。メルの背丈ほどもある大きなぬいぐるみで、それなりの値段だった。後悔はしていないが、今月はそろそろ節約しなければならない。
もふもふなでなでぎゅう。メルはぬいぐるみに抱きついてご満悦だ。思わず頬が緩んでしまう。
館内でもスマホで大量に写真を撮ったが、ここでも撮っておく。ぬいぐるみに頬ずりする娘はとてもかわいい。親のひいき目はもちろんあるだろうが、満足しているので問題ないのだ。
「えへへー。ふわふわ」
にこにこ満面の笑顔と、にやにや笑う父親。不審人物にも見えるかもしれないと自覚しながらも、修司は笑顔を堪えきれず、写真を撮り続けた。
後日。
「ほれ。この写真とかどうよ。帰りにぬいぐるみに頬ずりするメルだ」
「かわいい! なにこれかわいい! すごくかわいい! データちょうだい!」
「奏、落ち着いて。気持ちは分かるけど」
来月の動物園のチケットと引き替えにデータは提供しておいた。何となくだが、今後も同じようなことが続くような気がした。
壁|w・)遅れました。すみません……。
誤字報告ありがとうございます、助かっています。




