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運動会当日。五時に修司が仕事の最後の見直しをしていると、先ほど出勤してきた店長がバックルームから出てきた。何かを探すように周囲を見回して、そして修司と目が合ってこちらへと歩いてくる。
「お待たせ、霧崎君。あがっていいよ」
「え? いいんですか?」
「うん。運動会でしょ?」
それはそうだが、早く帰らせてもらえるとは思っていなかった。修司があんぐりと口を開けていると、店長は苦笑しながら言う。
「本当は休みにしてあげたかったんだけどね。ちょっと人がいなかったから……。ともかく、あとは私が引き受けるから、あがって少しでも寝てきなさい」
「はあ……。でも、店長も昨日夜十時まで入っていたじゃないですか。大丈夫ですか?」
「平気平気! 私は若いからね! なんせまだ二十歳だから!」
「…………」
「そこ、突っ込んで。何か反応して。切り捨てだろ、とか、四捨五入したら三十だろ、とか」
「いや、女性相手に年齢に関することは突っ込みにくいですよ」
「気にしなくていいのに」
ぶう、と店長が頬を膨らませる。修司は苦笑して、
「そんなことしないでくださいよ。年齢考えて……」
「あ?」
「すみません」
怖い。先ほどは突っ込めと言ったのに、いざ突っ込んだら殺気すら感じるほどに真顔だった。少しだけ理不尽を感じる。もっとも、本気で怒っているわけではないと分かってはいるのだが。
「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
「はいよー。あ、そうだ。よければ今度、お店に連れてきてよ。私も会ってみたいな」
「はは……。分かりました」
店長は子供好きだ。時折子供向けのイベント、例えば母の日に似顔絵を集めて貼り出したり、といったイベントを個人でする程度には子供好きだ。子供の笑顔は和む、といつも言っている。
「それじゃあ、お先です」
「はーい。気をつけてね。楽しんでおいで」
明るく手を振る店長に頭を下げて、バックルームへと戻る。制服を片付けていると、一緒にシフトに入っていた男が入ってきた。先ほどまで外の掃除をお願いしていたので、それが終わったのだろう。
「あれ、霧崎さん、あがりっすか?」
「ああ。子供の運動会に行ってくるよ」
「へえ。言ってくれれば、俺もっと頑張りましたのに。三時ぐらいに上がってもらえるようにしましたよ?」
「その結果仕事の出来映えが悪くて怒られるんだろ?」
「それはまあ。でも店長なら言えば分かってくれますって」
へらへらと笑っているが、彼は仕事に対してはとても真剣だ。この場合だと、入荷商品だけさっさと片付けて、細かい手直しは朝方にするという意味になる。そうなると、それを手伝う店長の負担は増えるが、理由があれば怒られることはない。
「まあ、また何かあったら頼むよ」
「うっす。あ、今度霧崎さんが溺愛してるその子に会ってみたいっす。かわいいんでしょ?」
「ああ、かわいい。すごくかわいい。世界一かわいい。機会があればな」
「相変わらず親馬鹿っすねえ」
楽しげに笑う彼にそれじゃあ、と短く挨拶して、店を出る。今帰ればまだメルは寝ているだろうが、お土産のプリンぐらいは買っていってあげよう。おやつを食べるメルは幸せそうなので、見ている修司も幸せになれる。
プリンを持ってレジに向かうと、レジにいた店長が少しだけ呆れたような目を向けてきた。
「朝からおやつは体に良くないよ?」
「いや、食べるのは……」
「娘さん、でしょ? 分かってるよ、だからこそ言ってるの」
「あー……。ですよね。いや、分かってはいるんですけどね……」
分かっている。分かってはいるのだ。けれどあの笑顔を見たくて、ついつい買ってしまう。
「まあ人の家庭だからうるさく言うつもりはないけどね。気をつけてあげなよ? 子供の体調管理は親の仕事なんだから」
「気をつけます……」
修司が頷いたのを確認して、ならばよし、と店長は笑ってくれた。
「はい、ありがと。それじゃあ、さっさと帰って少しでも寝ておきなさい」
「はい。ありがとうございます」
店長に頭を下げて、店を出る。本当に、この店で働いていて良かったと思う。ここまでアルバイトに気を遣ってくれる店なんてなかなかないだろう。
全力で自転車をこいで、施設に到着。静かに鍵を開けて中に入る。食堂では数人の職員がすでに働いていた。いつもより早いと思うが、すぐに理由が分かった。
今日は運動会。当然ながらメルだけでなく、同じ学校に通う施設の小学生たちも含まれる。そして運動会の日は給食は出ず、お弁当を用意しなければならない。つまり職員たちはお弁当を作っているところだ。
「おや、シュウ。おかえり」
職員の一人、恰幅の良いおばちゃんが修司に気付いた。修司が幼い頃からここで働くベテランだ。しかもボランティアとして、だ。修司どころか、院長ですら頭が上がらない方である。
「早かったじゃないか」
「ああ、うん。店長が早めに来てくれたんだ。運動会に備えて少しでも寝るようにって」
「へえ。あの子らしいね」
その職員の言葉に、修司は首を傾げる。まるで知っているような言い方だ。聞いてみると、本当に知り合いらしい。どころか、
「あの子はここにいた子だよ。シュウたちが来る前に引き取られたから、知らないのも無理はないね」
「そうなんだ。もしかしてそれで、気を遣ってくれてるのかな」
それは本当に知らなかった。店長も何も言ってはくれなかった。知っているなら、もう少し何か話してくれてもいいのに、と思ってしまう。そう呟くと、職員は苦笑して、
「あの子にも思うところがあるんだろうさ。……無駄なことを話したね。早く寝ておいで」
「ああ、うん。そうするよ」
「よし。ところで本当にメルちゃんのお弁当はいらないんだね?」
確認の言葉に、シュウは頷いておく。メルのお弁当は、運動会という行事を知ったアイリスが作ってくれることになっている。メルも喜んでいたので、任せることにした。修司の分も作ってくれることになっている。そして、ケイオスの分も。それだけは嫌そうにしていたが。
「アイリスが作ってくれるらしいからな」
「はあ……。あの子もなんというか……。いや、まあ、あたしが言うことじゃないね」
何を言いかけたのだろう。首を傾げるシュウに、職員は手を振る。早く寝ろ、と。どうやら教えてくれるつもりはないらしい。もっとも、何となく察しがつくのだが。修司としてはあまり触れたくない話題だ。
壁|w・)次回1日の更新は、番外編の投稿になります。
本編はその翌日、2日に更新予定です。




