54 メル
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楽しい海から帰ってきて、二日が経ちました。夜のお仕事に備えて寝ているおとうさんを起こさないように、メルはこそこそ宿題などを取り出します。かばんにそれを入れて、一階で待機です。もうそろそろ、お迎えが来るはずです。
「メル。外に行くのか?」
階段の上から声を掛けてきたのは、院長先生です。院長先生に答えます。
「うん。おねえちゃんと一緒に、誠さんの喫茶店に行くの」
「そうか。ちょうどいい、お使いを頼んでもいいか?」
「おつかい!」
ぴょん、とメルが飛び跳ねます。お使いを頼まれるなんて滅多にないことです。職員さんの買い物をお手伝いすることはありますが、お使いは初めてかもしれません。
「喫茶店でケーキを買ってきてくれ。数とかお金はここに入れてあるから」
そう言って院長先生がお財布を渡してきます。お財布、お金を入れる道具。ちょっと持つのに緊張してしまいます。しかも大金が入っているお財布です。
緊張しながらメルが受け取ると、院長先生は笑っていました。
院長先生が部屋に戻って少しして、アイリスおねえちゃんが訪ねてきました。おねえちゃんは財布を握りしめているメルを見て、怪訝そうに首を傾げます。
「メル。そのお財布、どうしたの?」
「えっとね。お使い頼まれたの」
「ん……。預かる?」
「だいじょうぶ!」
これはメルが受け取ったので、ちゃんと自分で持っておきます。
おねえちゃんはじっとメルのことを見つめてきます。どうやら心配してくれているようですが、これぐらいは大丈夫です。
「ん……。行こう」
「うん!」
おねえちゃんに促されて、メルは喫茶店へと出発しました。
喫茶店にたどり着いたメルを、いつもの常連客さんが温かく迎えてくれます。皆さんに挨拶しながら、メルはいつものカウンター席に座りました。早速かばんから勉強道具を取り出します。
今日は夏休みの宿題です。ただ、それほど残っているわけでもありません。計画的に進めたので、残っているのは読書感想文だけです。
「懐かしいね。感想文か……。何を読むんだい?」
そう聞いてきたのは、ケーキを持ってきてくれた誠さんです。今日のケーキはチョコレートケーキです。本を片手に、フォークを手にします。
「これ!」
持っている本を見せると、誠さんは少しだけ驚いたようで目を丸くしました。へえ、と声にも出しています。
「確かに子供向けではあるけど、それなりに分厚い本じゃないか……。どこまで読んだの?」
「あともうちょっとで読み終わるよ」
「それはすごい。それじゃあ、邪魔をしちゃ悪いね。ゆっくり読むといいよ」
誠さんはそう言うと、離れていってしまいました。メルはケーキを一口食べてから、本を開きます。難しい漢字もありますが、その全てに読み仮名を書いてくれている親切な本です。
「メル。とりあえず一時間で声をかける」
「はーい……」
すでにメルは本の世界に入っています。隣で誰かが苦笑したのだけは分かりました。
ほう、とメルは満足げなため息をついて、本を閉じました。
ようやく読み終わりました。最後はみんな笑顔で終わる、気持ち良い終わり方のお話でした。その満足感に頬を緩めながら、ケーキを切り分けます。ぱくりと一口。甘い幸せが広がります。
「おいしい!」
「そうでしょ? 誠のケーキは絶品よ」
アイリスおねえちゃんとは逆隣から声をかけられました。そちらを見ると、そこにいたのは奏さんでした。機嫌良さそうな笑顔です。
「奏おねえちゃん、おはよう?」
「うぐ……。お、おはよう、じゃないわよ? ほら、外はあんなに明るいのだし……」
「でもいつもこの時間は寝てるよね?」
「ぐう……」
奏おねえちゃんは悄然と項垂れてしまいました。どうしたのでしょうか。
メルは、誠さんやおとうさんから話を聞いています。奏おねえちゃんは夜遅くまで仕事をしているのです。何の仕事かは分かりませんが、パソコンというものを使うものだと聞いています。
だからこそ奏お姉ちゃんは起床時間が遅いのです。そのことを責めるつもりはメルにはありませんし、その資格もないはずです。
「奏おねえちゃん、あーん」
ちょっとだけ名残惜しく思いながらも、メルはチョコレートケーキをフォークに刺して差し出しました。奏おねえちゃんは何故か戸惑いの表情を浮かべています。いらないのでしょうか。
「疲れてる時は甘いものがいいって、おとうさんが言ってたよ。だから、えっと、なんだっけ……? お、おすそわけ……?」
「ああもうメルちゃんかわいい!」
「わぷ」
何故か抱きつかれました。ぎゅうっと抱きしめられてしまいます。ちょっとだけ苦しいですし、ケーキを落としてしまいそうです。
「奏」
誠さんの声。奏おねえちゃんは慌ててメルを解放してくれました。
「奏おねえちゃん、いらないの?」
「えっと……。もらっちゃう! ありがとうメルちゃん!」
ぱくり、と奏おねえちゃんがケーキを口に入れました。途端に奏おねえちゃんの相好が崩れます。
「美味しい! メルちゃんがくれたから、特に美味しいわね」
意味が分かりません。メルが首を傾げると、奏おねえちゃんは笑いながら頭を撫でてきました。
その後はおねえちゃん二人に見守られながら、感想文を書いていきます。でも何を書いていいのか分かりません。原稿用紙を半分ほど埋めてみましたが、読み直してみるとこれはただの……。
「あらすじね」
のぞき見していた奏おねえちゃんが言いました。まさしくその通り、あらすじです。なになにがあって、こうなりました。その結果こうなりました。その次にこんなことが起こりました。その連続です。感想文なのに感想がありません。
どれどれ、と誠さんも読んで、そして何故か小さく噴き出しました。
「むう」
メルが頬を膨らませると、ごめんねと頭を撫でてくれます。仕方ないので許してあげます。
「いやあ、小学生の時に書いたシュウの感想文も、こんなだったなって思い出したんだよ」
「そうなの?」
「うん。こう書いていました。僕はこう思います。その繰り返しで、あらすじにちょっとだけ感想を差し込んだようなものだったよ」